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建築家 安藤忠雄
安藤忠雄

17歳でプロボクサーデビュー。だが早々とその才能に見切りをつけ、独学で建築の道を志した。しかし仕事は何もない。依頼がなくても、他人の土地で勝手に構想を練り、設計図を描く日々……。数え切れぬほどの挫折と、わずかな成功の積み重ね、それが私の人生だ。社会の不条理に、建築で挑み続けてきた男のビジュアル自伝!

ISBN:978-4-10-309051-9 発売日:2008/10/24

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建築家 安藤忠雄




安藤忠雄の活動拠点

 私の活動拠点は、大阪・梅田の近くにある、敷地面積30坪の小さなアトリエだ。もとは、私の最初の仕事である小規模住宅〈冨島邸〉(1973年)だった。それを、のちに施主が諸事情で手放すことになった際、譲り受け、1980年に自分のアトリエにしたのである。以後、増改築を繰り返し、1991年の四度目の改造で完全に取り壊して全体をつくりかえ、現在の地上5階地下2階の姿に落ち着いた。
 内部は1階から5階まで吹き抜けになっている。ボスである私の席は、吹き抜けの一番底、スタッフの出入りする1階の玄関に面したスペースにある。つまり縦に重なる空間を吹き抜けでつなぎ、その一番下に中枢機能を持ってきたのだが、そうすることで、コンパクトさと同時に、私を核として総勢25名のスタッフが緊張感を持って真剣勝負の場に臨んでいるという強い一体感を出したかったのである。
 この席からなら大声で叫べば建物内のどこにでも声が届くし、階段をちょっと上れば、デスクで働いている各スタッフの様子も一通り見て回れる。そして、何といっても玄関ホールに座っているようなものだから、スタッフは建物を出入りする際、必ず私の前を通らねばならない。外部との連絡も、海外とのやり取り以外はEメール禁止、ファックスも禁止、個人用電話禁止とした上で、唯一残された手段である共用の電話5台を私の目の届く範囲にだけおいているから、誰とどんな話をしているのか、トラブルがおきていないかどうかすぐ分かる。
 管理する側にとっては、このように全てがオープンで、いつでも全体を把握していられるのは便利なのだが、裏を返せばボスもまたスタッフ皆に絶えず見張られているわけで、しんどい空間だなと思うこともある。
 しかし、そうした壁のない状態にしているからこそ、私とスタッフは常に近い関係を保っていられるし、彼らも互いの状況を確かめあいながら一つの仕事を進めていける。
 こうした事務所の体制と運営を維持するには、今ぐらいの規模の建物で、今ぐらいの人数が限界だろう。
 最初に述べたように、時折改造を加えながら自分の思う通りにつくってきた建物だ。一応満足はしている。しかし、唯一の難点は私の居場所が玄関脇のみならず勝手口にも面しているので、とにかく夏暑く、冬寒いこと。おまけに一番騒がしい。
「寒い」「暑い」「うるさい」……と、年中わいてくる“怒り”のエネルギーを、つねに仕事にぶつけているような具合だから、それに付き合うスタッフも大変だろう。



「ゲリラ集団」安藤忠雄建築研究所

 20年ほど前、ある建築雑誌からスタッフの教育方針についてのインタビューを受けた。聞き手が先輩建築家だったので話しやすくもあり、ありのままを答えると、翌月、そのインタビュー記事が、こんな見出しで掲載された。
「安藤忠雄──恐怖感で教育する」
 私自身は、字面にインパクトがあって気に入ったのだが、これ以降、事務所に入りたいと訪ねてくる学生の数が激減した。
 ところで、彫刻家や画家といったアーティストと、建築家との違いは何だと思われるだろうか。私は大きな違いの一つとして、我々建築家は活動のための組織を持たねばならない、という点だと思っている。たった一人で始めた駆け出しの時代からある程度のところまでは、組織なしでもやっていける。しかし、10年ぐらい経って、仕事の規模が大きくなり、手がける数も増えてくると、能力的にも社会的にも、ある程度の組織力がないと立ちゆかなくなってしまう。“社会的な組織を持った個人”となって初めて認知され、信用を得るようになるところがあるのだ。
 組織になると、当然、社会的、経済的なしがらみが出てくる。その中で、いかにその組織をいい状態で維持していくかは、個人の芸術的才能とは全く別次元の問題だ。組織というものは、放っておくと肥大化するもので、気がつけば、その存在を持て余し、自分のためにつくった組織に自分自身が振り回されるということになりかねない。個人が、組織に飲み込まれるようになってしまえば、その建築家は終わりだ。これは、重要な問題なのだが、何故か、建築の世界では、あまり話題にされることがない。

 私が、事務所を持ったのは1969年、28歳のときだ。大阪の阪急梅田駅のすぐ近く、昔ながらの長屋が建ち並ぶ一角にあったビルの一室を借り、今日まで生活と仕事のパートナーである加藤由美子と二人きりの出発だった。
 最初は仕事は全くといっていいほどなかった。依頼にくる人もなく、国内外のコンペに参加するのが唯一の仕事という状態が続き、毎日事務所の床に寝転んで、天井を見上げながら本を読んだり、架空のプロジェクトを考えたりして過ごしていた。数年が経過してどん底の状態を脱すると、徐々に仕事も増えていったが、依然としてスタッフは2~3名。ごくごく小規模のままだった。
 自分なりの組織のあり方が見えてきたのは、ちょうど10年目くらい。スタッフが10人ほどになった頃だ。それは「ゲリラ集団」としての設計事務所という姿勢である。
 われわれは、一人の指揮官と、その命に従う兵隊からなる「軍隊」ではない。共通の理想をかかげ、信念と責務を持った個人が、我が身を賭して生きる「ゲリラ」の集まりである――小国の自立と人間の自由と平等という理想の実現のために、あくまで個を拠点にしながら、既成の社会と闘う人生を選んだチェ・ゲバラに強い影響を受けていた。
 私は〈冨島邸〉など最初につくった都市小住宅を、過密にあえぐ厳しい都市環境の中に、個人が強かに棲みついていくという意味で「都市ゲリラ住居」と名づけた。それは、自らが設計する建築のみならず、つくり手である自分たち自身もまた、ゲリラでありたいと思ったからだ。
 とはいえ、日本の平和な社会環境で育った若いスタッフたちに、急にゲリラになれ、と言うのも無理な話だろう。理想の実現のために、現実社会の組織のなかで具体的なシステムに落とし込んでいくにはどうしたらいいのか。



ボスとスタッフ、1対1のシンプルな関係

 まず考えたのは、すべての仕事について、全責任を負う担当者を決め、その全過程を、私と担当者との1対1のチームで進めていくというやり方。仕事が5件あれば5人、10件なら10人の担当者がいるという状態だ。そうすればすべての現場に、ボスが直結しているから、中間管理職など一切必要がなくなる。
 事務所が私の個人事務所である以上、最も重要なのは、私とスタッフとの間の認識にズレがないこと。そのためにはどうやって情報を正確に伝達し共有するかといった、コミュニケーションの問題が鍵だと思っていたから、とにかくすべてを単純明快にしたかったのだ。曖昧な状態が我慢ならない。これは私生来の性質かもしれないが。
 無論、いくら1対1にしても最高責任者である私と担当スタッフとでは、仕事に対する意識の差がある。緊張感がなければ良い仕事は出来ないし、いずれは独立して、自分の事務所を開くスタッフのキャリアを考える上でも、ここでの時間をどれだけ真剣に、臨場感を持って過ごせるかによって、得られる経験に大きな差が出てくる。だから、スタッフに対しては、徹底的に、厳しい姿勢で臨んできた。それが「恐怖感で教育する」の真意でもある。

 私は一人でかなりの数の仕事に関わることになる。それぞれについて、思いついた時に担当者と、進行状況を確かめ、必要なら修正を加える。そこで、不注意なミスや、考え抜くという姿勢を放棄したような怠慢さが見受けられたり、現場との関係やクライアントとの関係づくりにずさんなところがあったりでもしたら、容赦なく怒鳴りつけてきた。事務所を開設して数年間は、私とスタッフとの年齢差も10歳そこそこだったし、血気盛んな若い時分には、すぐに手も足も出た。ただ、デザインのセンスが悪いといって、責めたことはない。
 大切なのは、「その建物を使う人間への、気遣いが出来ているか、定められた約束を守り遂行できているか」ということ。
 問うのは、担当者一人ひとりの「自分がこの仕事をやり遂げるのだ」という自覚である。
 開設当時から、設計事務所に来る若者のほとんどは、恵まれた生活環境の中で大学教育を受けた、社会的に言えば、知識層に属する人間だった。彼らにとって、私のように激しく、攻撃的な性格の人間との出会いは、それ自体がショックであり、その未知の人種から容赦なく怒声が飛んでくる状況は、恐怖以外の何ものでもなかっただろう。
 いつでもどこでも、私と対峙し攻撃を受け止められるよう臨戦態勢を整えておく。その緊張感の中で、スタッフは仕事を覚えていった。勘が良い青年なら、2年も経てば、充分仕事を任せられるようになっていく。そうして、経験が浅い若者に、次々と仕事の機会を与えていき、失敗したら“俺が責任を取る”という覚悟でこちらが臨めば若者はどんどん成長するのだ。
 設計事務所という小さな組織の中で、あたかも大企業の一員といった感覚、「誰かがするだろう」「上司が責任をとるだろう」などと他人ともたれあったり、責任の所在があいまいだったりと、悪い意味でのサラリーマンのようにはなってほしくない。自分で状況を判断し、道筋を定め、試行錯誤しながら前に進んでいく、一人ひとりが責任を果たす覚悟をもてる、そんな力強い個の集まりでありたい。そう願いつつ、1960年代末から今日にいたるまで40年余りの間、事務所を続けてきた。他人の資金で、その人にとって一生に一回きりかもしれない建物をつくるのだから、それなりの覚悟と責任が必要なのである。

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