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彼女の知らない彼女
里見蘭

スポーツとは無縁の「私」が、東京オリンピック女子マラソン選考レースを走ることになるなんて。準備期間はたったの四ヶ月、しかも、パラレルワールドの「私」の影武者として――。選考委員大絶賛のリーダビリティと爽やかな読後感。違う生き方、あったかもしれないなって悩んでいる全ての人に捧ぐ、スポーツ青春小説誕生!

ISBN:978-4-10-313011-6 発売日:2008/11/21


| 1,260円(定価) |
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彼女の知らない彼女
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五、背を向けた言葉に
公園のベンチに腰かけて、蓮見夏子は、珍しくぼんやりしていた。そろそろ日も落ちようという頃である。
「夏子ちゃん」
声のかかったほうを向くと、野々宮千春が立っていた。砂場や遊具では子供たちが遊んでいて、彼らを見守る親たちもいる。気づいてはいたのだが、注意は払っていなかった。
「千春さん。結花(ゆか)ちゃんは?」
「あそこ」
千春は、すべり台のほうを指さした。何人かの子供に混じって、彼女の娘の姿も見える。
「座っていい?」
「もちろんです。どうぞ」
千春は、夏子の隣に腰を下ろした。
「どうしたの、なんか元気ないみたい」
「そうですか。もう年かな。どうも最近、疲れちゃって」
「あなたが年だったら、わたしなんかもう、おばあちゃんじゃない。年上の前でうかつにそういうこと言わない」
千春がたしなめた。千春は、近所に住む夏子の幼なじみである。弟しかいない夏子にとっては、昔から姉のような存在だ。
「でも、千春さんは、幸せじゃないですか。あんないいダンナさんがいて、結花ちゃんがいて。わたし、千春さんみたいにちゃんと大人になれる自信、ないなあ」
「夏子ちゃん、まだ恋人作ってないの?」
「ないです」
「まあ、男ができて解決できる悩みもあれば、そうじゃない悩みもあるか」
「わたしのは、たぶん後者じゃないかと。千春さんは、今の人生に、後悔とかはしてないんですか」
「そうねえ。今とはちがう、もっと別の人生もあったかもしれないって考えることは、ときどきあるかな」
「別の人生?」
「わたし、欲張りだから。でも、ダンナと出会えなかったら、結花とも出会えなかっただろうし、ふたりに出会えたことには感謝こそすれ、後悔なんてこれっぽっちもない。それだけで、この人生が、かけがえのないものだと思えるかな、なんてね」
千春は照れたように微笑んだ。
彼女は、剛という男性と結婚して、彼とともに実家の接骨院を継いでいた。よく喧嘩もしているが夫婦仲はよく、はたからは絵に描いたように幸せな家族に見える。
「そうかあ。わたしは、最近、ちょっと迷ってるんです。自分の人生、このままでいいのかなあって」
夏子は、素直に打ち明けた。
「父が亡くなったから、母がひとりで守っているお店を、大きくなったら自分が継ぐ。ずっとそれが当たり前と思ってきたけど、本当にそれでいいのかな。ひょっとしたら、他にもちがう生き方があったんじゃないかなって、この頃、よくそんなふうに考えるんです」
「責任感の強い子だからねえ、夏子ちゃんは」
「そんなことないですよ。本気で店を継ぐつもりなら、本当はちゃんと自分も調理師免許を取らないといけないのに、何となく気が乗らなくて、受験もずるずる先延ばしにしちゃってるし」
「そんなふうに悩んでるだけ、真面目だって。わたしなんか、接骨院の長女に生まれて、両親からはずっと跡を継げって言われて育ったけど、それがいやでいやでね。ワーキングホリデーでオーストラリア行ったり、調理師免許取って、レストランで働いたりしたのも、とにかく家を出たかったからなんだ。でも、好きになった人がたまたまカイロプラクターで、結婚してうちを継いでくれたら、はじめて接骨院の仕事の魅力とか、親が商売をしてくれていたことのありがたみが、わかるようになったわ。それまではずっと、わたしも夏子ちゃんみたいに、親の商売があるのは当たり前って思ってた。夏子ちゃんも、一度、思いきって今の環境を離れてみるのもいいかもしれないね」
「お店を? 無理です。これ以上母に負担かけられないし」
夏子は笑って否定した。そんなこと、とても考えられない。
「おせっかいかな? 夏子ちゃんの家のことだから、わたしも勝手なことは言えないけど。でも、夏子ちゃんがもしその気になったら、わたしも応援するよ。結花も手が離れてきたし、おじいちゃんもおばあちゃんもいるから、また昔みたいに、お店手伝えると思う。そのときは言ってね」
そう言って千春は、力こぶを作ってみせた。

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