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サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台―
平田竹男

数々の劇的なドラマを生んできた日本代表の激戦。だが、真の戦いは試合前の交渉から既に始まっている! ドイツW杯を目指したジーコ・ジャパンの軌跡、アテネ五輪チームのアジア最終予選方式を巡る攻防、なでしこジャパン飛躍の裏側……。世界を相手にした激しい駆け引きを、通産省出身のサッカー協会・元専務理事が明かす。

ISBN:978-4-10-313831-0 発売日:2009/03/18


| 1,365円(定価) |
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サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台―
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序章 サッカーのもうひとつの戦場
アジアの果てなき戦い
アジアは広大である。東アジアから、東南アジア、中央アジア、そして中東諸国……。現在はオーストラリアもアジアサッカー連盟(AFC)に所属している。肌の色も文化も宗教もまったく異なる国々が、時差や気候の差の大きい広大なアジアを駆け巡り、ワールドカップ(W杯)出場を目指して真剣勝負を繰り広げる。それがアジアサッカーの現状である。
1982年のW杯スペイン大会、一次リーグのフランス-クウェート戦において、史上初の椿事が起きた。フランスの選手のシュートがネットを揺らし、いったんゴールと認定された後のことである。クウェートの王子がグラウンドに下りて猛烈に抗議を始めた。観客の笛をオフサイドの笛だと勘違いしたクウェートの選手がプレーを止めた後に、ゴールが決まったからである。そして王子の抗議を受けて、なんとゴールは取り消されてしまった。サッカーには、ある程度の誤審はつきものであり、これまでのW杯でも微妙な判定のゴールは数多くあった。しかしW杯の本大会で、いったん認定されたゴールが取り消されたのは、後にも先にも、この一度きりだ。
交渉相手として実際に相対してみると、中東勢はきわめてタフな国々である。広いアジアの中で日本が勝ち続けるには、中東対策をどのように講じていくかが、大きなポイントとなる。そのためには、タフな中東に対しての深い洞察に基づく交渉力が必要となる。しかしながら、そもそもイランはアラブではないという知識すら持たない日本人は多い。しかもその一方で、東アジアの国々は、これまでなかなか結束することができなかった。反日意識を抱えてきた韓国や中国との微妙な関係が影を落とし、国際的に孤立した北朝鮮の存在もネックになっている。東アジアは、いまだ「戦後」をひきずったままだ。
「サッカーは戦争である」とよく言われるが、戦わなければいけないのはピッチの中だけではない。ピッチの外で行われる、他国との交渉という戦争でも勝たなくてはいけない。欧州の伝統国やオイルマネーの豊富な中東などを相手に、自国の勝利やお金を懸けた血みどろの戦いが繰り広げられている。
例えば、1993年10月に行われた、W杯アメリカ大会のアジア最終予選を思い出してほしい。“ドーハの悲劇”として語り継がれている大会だが、このときは、最終予選に残った6チーム(サウジアラビア、韓国、日本、イラク、イラン、北朝鮮)が、カタールの首都ドーハで総当たりのリーグ戦を戦った。一方、その12年後、05年のアジア予選はどうだったか。最終予選は4カ国ずつ2グループに分かれ、6ヶ月にわたり、各国ホーム&アウェーによるリーグ戦を行った。日本は第1シードで、同組はイラン、バーレーン、北朝鮮の3カ国。W杯への出場国は32カ国に増えていたため、各組上位2カ国は無条件で出場決定、3位でもプレーオフを経て出場の可能性が残されていた。
このふたつの予選を比べてみれば、どちらがより困難な道なのかは明らかだろう。93年当時、なぜ日本代表は、アウェー同然のドーハにおいて、2週間で5試合という過酷な戦いに臨まねばならなかったのか――。あの時の日本代表チームは、凄絶な戦いを続けて日本中を興奮させたが、最終戦5試合目のロスタイムで力尽きた。最終戦の相手はイラク。彼らは中東の気候に慣れていた。得失点差による、微差でのアジア3位であったが、日本はW杯には出られなかった。あのチームに力がなかったわけではない。協会まで含めた日本サッカー界全体に、まだ国際競争を勝ち抜けるだけの地力がついていなかったのである。
もうひとつ、戦いの例をあげよう。「谷間の世代」と呼ばれたアテネ五輪世代が、五輪切符をかけて臨んだアジア最終予選である。本大会へは同グループの4チーム中1位にならなくてはいけない。グループ分けの抽選が非常に重要な意味を持つ。しかし、シード順などを考慮すると、日本以外の同グループ3チームが中東勢になる確率が最も高いことがわかった。日本にとっては厳しい状況だ。通常のホーム&アウェーの大会方式なら、移動距離が長い日本が明らかに不利だからである。どうやって日本に有利な条件に持ち込むか。AFCからは24時間以内に交渉を妥結すれば、ホーム&アウェー方式を変えることも可能だと通達されていた。抽選はドーハのホテルで行われた。私は数日前から、抽選会場近くの部屋に乗り込み、日本サッカー協会の「前線基地」を置いていた。食べ物、飲み物を持ち込み、24時間態勢で他国の情勢を細かに分析し、抽選結果とその後の交渉のシミュレーションをした。ホテルの従業員らからの情報漏れを防ぐために、ホワイトボードに嘘の情報を書いておくなどの細工も施した。
抽選の結果、日本は予想どおり中東3カ国と同組になった。しかし、通常のホーム&アウェーではなく、日本とUAE(アラブ首長国連邦)での2カ所集中開催を勝ち取った。日本にとってはむしろ有利な条件だ。アテネへの切符がぐっと近づいた瞬間だった。
私にとっての戦争
2002年から2006年まで、私は日本サッカー協会のゼネラルセクレタリー(専務理事)として、様々なカテゴリーの日本代表が戦う「代表戦」の一切を取り仕切ってきた。サッカー界では「マッチメイク」と呼ばれる作業である。直訳すれば、「試合を組むこと」。ただ単純に、対戦相手と試合会場を決めれば終わりというものではない。私の定義では「サッカー協会が主体的に国際試合を組むこと」となる。その目的は、まず「代表の強化」と「競技の普及」にある。まだ試合を見たことのない人にも見てもらい、サッカーのおもしろさを味わってもらいたい。そのために必要なものは、魅力的な対戦相手、最適の試合時間帯、ベストの試合会場……と、さまざまな要素がある。
さらに重要な点は、試合を通じてしっかりとした収入を確保することだ。そうすれば、試合の設営経費や、相手を呼ぶ経費、代表チームの合宿費等をまかなうことができる。そして利益を出すことができれば、子供たちやユース年代の強化など、日本の明日へつなげるための投資も可能になる。試合の収支を良くするのは単に協会のためではない。サッカーの強化や普及を一貫性を持って続けるためには、協会が経営面で安定していることが必要不可欠な条件なのだ。そして、どうしても必要なときは、赤字であっても試合を組まねばならない。
そのためには対戦相手、試合会場、開催日時、営業収支、PR戦略、ファンの満足度のすべてにおいて最高のレベルを追求しなくてはならない。これはなかなか難しい作業であるが、絶えず戦い続けなくてはならない。逆に、準備や努力を怠ればどこまででも落ちていく。強化はままならず、普及も進まない。協会の財政も苦しくなる。日本の他のスポーツ団体でも、このマッチメイクがうまくいっていないケースは意外に多い。
日本のサッカーが発展するためには、ピッチの外の戦争でも勝たなくてはいけない。サッカー協会にいた4年間、私はそう思って戦ってきた。本書はその戦いの記録である。ドイツW杯を戦ったジーコ・ジャパンの軌跡。「谷間の世代」と呼ばれたアテネ五輪代表が世界への切符をつかめた理由。よちよち歩きの「なでしこジャパン」が世界に伍して戦えるようになるまでの道筋。それぞれの戦いの裏側について、かなり思い切って書いた。今後の日本サッカーが進む道しるべや、議論のたたき台にしてほしいという願いがあるからである。

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