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子どもはみんな問題児。

中川李枝子/著

1,100円(税込)

発売日:2015/03/27

  • 書籍
  • 電子書籍あり

「ぐりとぐら」生みの親から、お母さんたちへ。
心がほぐれる子育てバイブル!

「焦らないで、悩まないで、だいじょうぶ。子どもは子どもらしいのがいちばんよ」――名作絵本「ぐりとぐら」の生みの親は母であり、数多くの子どもを預かり育てた保母でもあった。毎日がんばるお母さんへいま伝えたい、子どもの本質、育児の基本。「いざという時、子どもは強い」「ナンバーワンは、お母さん」「がみがみ言いたい気持ちを本で解消」……45のメッセージを収めた、心がほぐれる子育てバイブルついに刊行!

目次
 はじめに
1 お母さんが知らない、保育園での子どもたち

どの子もみんなすばらしい問題児
子どもはたいがい臭いものです
お母さんのお弁当をどんなに喜ぶか、見せてあげたい
「お母さんのお腹には切った跡がある」って、それが自慢なのよ
子どもはなかなか紳士です
子どもは自分丸出しで生きています
子どもの言うことは全部ほんとうです
私はもう一回、子どもになりたいとは思いません

2 「りえこせんせい」が子どもに教わったこと

子どもはお母さんの鏡です
ナンバーワンは、お母さん
子どもは見れば見るほどかわいい
保育のポイントはどうやって遊ばせるかです
想像力豊かな子は遊び上手です
小さい子に「待って、後で」は通用しません
子どもはすばらしい先生です
遊びは本分、生活であり学習です

3 子育ては「抱いて」「降ろして」「ほっといて」

いざという時、子どもは強い
子どもをうちに閉じ込めないで
二四時間、一緒にいることはないのよ
心を傷つけたら、すぐ手当てをしてほしい
赤ちゃんのときどうだったという話はつまらない
子どもはお母さんの弱みを突いてきます
わが子にもにくたらしいところがありました
どこのうちでも早期教育をしています
わが家は三権分立
心を寄せあって楽しめるのは、幼児期まで
ケガや命にかかわる危険は叩いてでも教える

4 本は子どもと一緒に読むもの

「読み聞かせ」でなく、子どもと一緒に読む
こわい話には安全地帯を用意して
くだらないものを読むのは時間の無駄です
安心の場から子どもの読書は始まります
赤ちゃんは赤ちゃん絵本、と決めつけないで
本を読むにはエネルギーが必要です
子どもにおもしろい本は、大人にもおもしろい
見ているつもりでも、見落としがいっぱいある
わが子とも毎晩本を読んでいました
がみがみ言いたい気持ちを本で解消
いい作品にはいいお母さんがいます

5 いいお母さんって、どんなお母さん?

子どもがドンとぶつかってきて、よろめくようではだめ
お母さんの得意とするものがひとつあれば十分
いろんなお母さんがいて、いろんな良いところがある
子どもの心を無視する親が問題です
子どもが一番いやなのは夫婦げんかです
子どもとつきあうには石頭ではだめ
いいお母さんは、子どもの喜びに敏感です
 おわりに
 中川李枝子全作品リスト
 装画・挿画出典一覧

書誌情報

読み仮名 コドモハミンナモンダイジ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 160ページ
ISBN 978-4-10-339131-9
C-CODE 0095
ジャンル 妊娠・出産・子育て
定価 1,100円
電子書籍 価格 880円
電子書籍 配信開始日 2018/03/23

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どの子もみんなすばらしい問題児 ほか 2編 立ち読み

どの子もみんな
すばらしい問題児

 子どもはみんな、問題児というのが私の持論です。
 まず自分がそうでしたから。そしておかしなことに、私の周りの大人たちでおよそ自分はいい子だったという人はいません。
「私っていやな子だった」にはじまって、「ひがみっぽかった」「わがままだった」「よく親が見捨てないで育ててくれたと思うとありがたいわね」などと言います。
 でもみんな、ちゃんとりっぱな大人になっているのでご安心ください。
 おりこうさんで、言うことがすぐにわかって、「はいはい」と言う子だったらつまらないではないですか。育てるほうにとってもおもしろくありません。ロボットではあるまいし、すねたりふくれたりするぐらいのほうが私は好きです。
 そもそも子どもというのは欠点だらけで、自分なりにいい子になっていこうと悪戦苦闘のまっ最中なのではないでしょうか。だから純情でかわいいのだと私は思います。
 しばらく前のこと、うちに東京ガスの若いセールスマンがやって来ました。
 一生懸命ガス釜の宣伝をします。うちは電気だからいいのよと断っても、なかなか帰らない。するといきなり「せんせいじゃないですか」って言ったんです。
 そうよって答えると「僕はみどり保育園にいたケンジです」って。
「あなたケンちゃん?」って聞くと、そうだって。
 びっくりしました。だってケンちゃんは目のくりくりした、すばしこいいたずら坊やで、そりゃあかわいかったんですから。三〇歳直前の、しっかりした普通の青年になっていました。
 そこでうちへ入ってもらい、二十数年ぶりの再会を喜んだのです。
 積もる話の最後に、ケンちゃんは「保育園のホールの裏に、物置があったでしょう。じつは……」と打ち明けました。
「ぼくはときどき保育園の約束を破って物置に入れられたけれど、本当はあそこに入るのが好きだった。運動会やクリスマス会のお道具がしまってあるのに触れるし、ふしあなからホールにいるみんなが見えたから。でも、先生に悪いからいやだいやだって、いやなふりをしたの。まったくぼくは先生を困らせてばっかりいたんだから申し訳ない」
 つまりベソかきながら抵抗したのは、演技だったというのです。そしてもうひとつ、私のまったく知らなかったぞっとする話も打ちあけました。
 保育園のそばには沼がありました。危ないから絶対行ってはいけない決まりになっていたのですが、それを承知で一人こっそり見に行ったというのです。
 背よりも高い葦のしげみに迷い込み、泣きたいのをガマンしてじっと耳をすますと、保育園の方から声がして、それを頼りに抜け出した……。
 私はびっくりしました。もしそのとき沼に落っこちていたら!
 ほかにも、渋谷のデパートにできたばかりのエスカレーターに乗りたくて、小学生のお兄さんにくっついて駒沢公園から歩いていったこと。お腹はすくし、くたびれるしで泣きながら帰ってきたなんて、いろいろ告白してくれました。
 私はガス釜は買いませんでしたが、ガスストーブを買いました。ケンちゃんは達筆でサインして領収書を置いていきました。
「へえー、あなた、字が書けるの」なんて私が感心したことを、ケンちゃんは気づいたでしょうか。


ナンバーワンは、
お母さん

 一七年保育園に勤めて何がわかったかと言いますと、子どもはお母さんが大好きということです。
 どの子もみんなかわいくて、帰宅させるのが惜しいほどの日々。三六五日、朝から晩まで子どもを預かっていたいくらいなのに、私は絶対にナンバーワンになれませんでした。
 ナンバーワンはお母さんです。ナンバーツーがお父さん、スリーがおじいちゃんとおばあちゃんで、保育者なんてナンバーフォー以下だったでしょう。
 女の子と男の子でくらべると、男の子はさらにお母さんにべったりです。
 私が仲よくしている小さな教会幼稚園では、クリスマスに母子一緒のお茶会があります。見ていると、男の子はお母さんにぴったりくっついている。ケーキを食べるとパッと遊びに行きますが、すぐお母さんのところへ戻ってくる。そしてただただくっついている。そしてまた少し遊んで、戻ってくる。
 女の子たちは、もう自分たちだけで固まって遊んでいます。友達がいればお母さんなんか眼中にない。困ったとき、悲しいときは親と一緒にいたいけれど、いつもはお友達といたい。
 私自身も子どもの頃この思いが強く、子どもばかりの家で暮らす「みなしご」にあこがれました。
 ともあれ男の子のお母さんはもう慣れたもので、わが子がくっついてきても泰然自若としたまま適当になでたりしているだけです。
 お家に帰るとそんなに「すきすき」と言わないかもしれないけれど、親から離れると、お母さんがどんなにいい人か気がつくようです。

 保育園で子どもを注意するとき、「そんなことをしたらお母さんが悲しむでしょう」というのがいちばん効きました。それは男の子も女の子も同じ。
 自分の好きな人を悲しませるわけにはいかないのです。
 そうやって子どもたちは、お母さんを通して世の中の大事なこと、いいことを覚えていくようです。ですから、私はお母さんはどこまで知っているかしら、こんなに子どもに愛されて幸せねと思っていました。
 保母が子どもに何かを一生懸命やらせようと、「がんばれ」なんて言ってもだめ。「お母さんが喜ぶわよ」というとはりきってやります。
 最後にもうひとつ。元気がなくて様子がおかしいとき、私はそっと「お母さんに会いたい?」と聞いていました。
 もし涙をためて「うん」とうなずいたら要注意。まず熱があるか調べます。
 首を横にふれば大丈夫、ひとやすみすれば元気回復して遊びにいっちゃう。
「お母さん」は子どもの心身の健康のバロメーターでもあるのです。


二四時間、一緒に
いることはないのよ

 母と子はとにかく一緒にいればいい、というものではありません。
 お仕事を持って働いているお母さんが時間を大切に有効に使っていることや、離れていてもいつも子どものことを思っていることは子どもも分かっています。
 たとえ、一日のうちで一緒にいない時間のほうが長かったとしても、母と子の信頼関係はゆるぎません。
 歩けるようになった子どもは、うちに閉じこもってなんかいられません。仲間同士で遊ばせることが大事です。
 上野動物園の園長だった中川志郎さんが、ニホンザルの子育てをほめていました。
 赤ん坊は生まれるとすぐ母親にしがみついて、母親の行動のすべてを見ている。群れの中での挨拶、ボスザルへの対応など、母子密着のときに覚えてしまう。
 少し大きくなると、子ザル同士で遊ぶ。いたずら、ケンカもやりたい放題。それは、お母さんがいるからやれるのです。いざとなったら母親にぱっと飛びついてもう安心、つまりお母さんは安全地帯というわけです。そうやって一人前のニホンザルになっていくというのです。
 群れで生きるニホンザルの集団ではボスザルの存在が欠かせないのですが、人工飼育したサルはボスになれないそうです。
 母子密着から遊び仲間へ、そして自立して社会の一員になる過程は人間も同じでしょう。お母さんは子どもの安全地帯なのです。
 保育園では先生が安全地帯です。けんかも安心してできる、そしてくたびれたときは先生のそばにいってくっついてなでてもらう。
 子ども同士でも、けっこう神経を使ってくたびれて、ふっとひとりになりたくなるのです。すると私のそばにくる。特に用もないのになんとなくぺたぺたくっついて、ちょっとエネルギーを溜めてまた遊びにもどるということがよくありました。
 もう少し大きくなった子どもの遊びには「タイム!」とか「タンマ!」とかあるでしょう。ひとこと言えば休んでも、その場を離れてもいい合図。子ども同士でうまい決まりを作っているものです。
 天谷園長先生は、わが子を赤の他人に預けるにはすごく勇気がいると言っていました。保育園を信頼しているから子どもを預ける。私たちは、お母さんの信頼を絶対に裏切るわけにはいかないのよ、と。
 私たちはしっかりした安全地帯になるためにも、子どもは三年以上預かりたい、できれば生まれてすぐ預かりたいというぐらいの気持ちで保育をしていました。
 預けている子どもが病気になると、罪悪感を持つお母さんがいるでしょう。みんな、そうですよ。子どもの命を守るのは、お母さんですからね。
 健康管理は一番大切、病気にならないように気をつける。お弁当が大事なのもこのためです。天谷園長先生は子どもの健康と発育に細心の注意を払っていました。
 日頃の心がけとして、食事、排せつ、睡眠のリズムを崩さないこと。大人の都合を優先してはいけません。病気になったらゆっくり休むことです。

こわい話には安全地帯を用意して

こわい話には
安全地帯を
用意して

 暗い部屋で子どもを一人きりにしてこわい話をしないこと。
 恐怖でふるえあがるでしょう。
 おはなしは、子どもを膝にのせ、身を寄せあってするものです。たとえ大男や鬼ババ、おばけが出てこようと、あわてず騒がず、落ち着いてゆったりと平然と語りましょう。
 次にどうなるのかが肝心なのです。
 本を読むことを心の体験といいますが、私たちは本のおかげで、さまざまな体験を味わい、生き方を学びます。人生を何倍も豊かに経験することができるでしょう。子どもにとって大変興味ぶかいことと思います。
『ヘンゼルとグレーテル』『おおかみと七ひきのこやぎ』『三びきのやぎのがらがらどん』などを一つ一つ頭にえがいてみると、子どもたちはヘンゼルになったり、グレーテルになったりして、どきどきはらはらする。七ひきのこやぎにもなれるし、がらがらどんでは大きなトロルをやっつけます。
 情報のあふれる時代ですが、子どもは言葉によって成長します。
 お話を聞きながら、筋道を立てて考える力もつきます。

お母さんの得意とするものがひとつあれば十分

お母さんの
得意とするものが
ひとつあれば十分

 子育てをしていると、やるべきことが次から次に出てきます。家事にしたって終わりがありません。そのなかでひとつぐらい、これは私が全責任を持つと決めたのが食事でした。これが私の一点豪華主義です。
 家族全員が毎日美味しく食べられるものを用意して、栄養失調にも食中毒にも肥満にもしないこと。
 これは私の担当と決めて、だれにも有無を言わせない。いささか自己満足ですが、これで十分に自分自身を評価していました。
 息子が高校に入った時、生徒指導の生物の先生が「お弁当は持たせてください、餌付けが大事です」と仰った。ならばと三年間、お弁当だけは私が作って持たせました。
 保育園でお母さんを見ていると、お弁当作りが上手なお母さんもいれば、趣味のいい服を着せるのが上手なお母さんもいました。ただ両方できるという人はあまりいなくて、たいていどちらかだったものです。
 得意なものがひとつあればいい。
 それでお母さんは、自信をもっていばっていればいいと思うのです。

はじめに

はじめに

 子どもへの最高の褒め言葉は、「子どもらしい子ね」ではないでしょうか。
「よい子」でも「賢い子」でも「聞き分けのいい子」でもない、「子どもらしい子ども」。
 では「子どもらしい子ども」とは、どんな子どもなのでしょう。
 子どもらしい子は全身エネルギーのかたまりで、ねとねと、べたべたしたあつい両手両足で好きな人に飛びつき、からみつき、ほっぺたをくっつけて抱きつきます。
 大人からすれば「ちょっと待って!」と言いたくなるときでも、子どもらしい子に「待った!」のひまはありません。
 いつだって自分がこの世で一番と自信を持っていますが、それだけに自分より小さい子にはとても寛大で、大人が何も言わなくとも小さい子を守ろうという優しさを持ち合わせています。
 面白いおはなしが大好きで、時にはチャッカリと、大人でも信じてしまうほどの作り話を披露することもあります。
 子どもらしい子どもは、ひとりひとり個性がはっきりしていて、自分丸出しで堂々と毎日を生きています。
 それで大人から見ると、世間の予想をはみ出す問題児かもしれません。
 だからこそ、かわいいのです。
 子ども同士で集まると「お母さん自慢」をして喜び合い、大好きなお母さんが本当に困った時には、ちゃんと気配を察知する力ももっています。
 いずれも私が一七年間保母をして、知った子どもの姿です(保母は今は保育士ですね)。私は東京都立高等保母学院を卒業してすぐ、みどり保育園の主任保母になりました。
 みどり保育園は現在の駒沢オリンピック公園(東京都世田谷区)にあった無認可園で、園長の天谷保子先生が立ち上げたばかりでした。通ってくるのは近所の四歳・五歳児。何もわからない小さな子ではありません。新米の私は毎朝、覚悟を決めて家を出なければならないほど、たくましい子どもたちでした。
 いまはっきり言えるのは、あの保育園に勤めなかったら、私は『いやいやえん』を書かなかったということです。『ぐりとぐら』シリーズも、『ももいろのきりん』も生まれなかったでしょう。
 目の前にいる子どもたちを何とか喜ばせたいと、おはなしを作ったのがきっかけで作家になりましたが、私の目指したのは日本一の保育をすることでした。

 この本を手に取って下さった読者の方は、お子さんを保育園に通わせているかもしれません。もう卒業したという方、これから預けるという方もいるでしょう。
 保育園ってどんなところでしょうか。
 大人からすると「仕事をしている間に行かせるところ」でしょうが、子どもはそうは思っていません。
 親が働いているから行くのでなく、自分が行きたいから行くところです。
 活発で好奇心旺盛な子どもたちは、うちになんか閉じこもっていられません。
 保育園にはうちにはないおもちゃがあります。何より遊び相手がいます。うちではできない遊びができます。そして安全地帯になる先生たちもいるのです。存分に、自分を解放できるではありませんか。
 でも、子どもにとっていちばんの安全地帯はお母さんと我が家です。
 子育てに悩んでいるお母さんが多いと聞いて、私はこの本を書くことを引き受けました。子どもを産んで初めて赤ちゃんを抱いたというお母さんも、いまでは少なくないそうなのです。
 私が保母だったのはかなり前のことになりますが、子どもの本質、子育ての基本は変わらないでしょう。私自身も初めはわからなくて戸惑うことばかりでした。子どもから無我夢中で教わったことを、この本で伝えられたらと思います。

 焦らないで、だいじょうぶ。
 悩まないで、だいじょうぶ。
 子どもをよく見ていれば、だいじょうぶ。
 子どもは子どもらしいのがいちばんよ。

著者プロフィール

中川李枝子

ナカガワ・リエコ

作家。1935年札幌生まれ。東京都立高等保母学院卒業後、「みどり保育園」の主任保母になる。1972年まで17年間勤めた。1962年に出版した『いやいやえん』で厚生大臣賞、NHK児童文学奨励賞、サンケイ児童出版文化賞、野間児童文芸賞推奨作品賞を受賞。翌年『ぐりとぐら』刊行。『子犬のロクがやってきた』で毎日出版文化賞受賞。主な著書に絵本『ぐりとぐら』シリーズ、『そらいろのたね』『ももいろのきりん』、童話『かえるのエルタ』、エッセイ『絵本と私』『本・子ども・絵本』。映画「となりのトトロ」の楽曲「さんぽ」の作詞でも知られる。『ぐりとぐら』は現在まで10カ国語に翻訳されている。

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