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見えない音、聴こえない絵
大竹伸朗

絵画を軸に立体や版画、コラージュなど幅広いジャンルで活動を続ける画家は、絵そして芸術の「根っこ」の在り処を探し続ける。尽きることのない創造への衝動と、その原点たる少年期の追憶から、「全景 1955-2006」展へ向けての軌跡、創作の日々のなかで心に浮上する現在と未来を記録した、待望のエッセイ集!

ISBN:978-4-10-431002-9 発売日:2008/12/19

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見えない音、聴こえない絵


 等身大ポパイ


 昭和三十四年(一九五九)からテレビ放映を開始したアメリカの水兵物アニメーション『ポパイ』を子供の頃よく観た。「波止場」という言葉がまだきわどく「昭和」に貼り付いていた小学校低学年の頃だ。
 アニメ冒頭ではいつも操舵室の木製の扉がガッと開き、霧笛の音とともにその日のアニメタイトルが唐突に現われた。最後は決まってポパイが握りしめた缶詰からパイプをくわえたままの口にほうれん草をガッと流し込み、悪漢ブルートを殴り飛ばし危機一髪で愛するオリーブを救い出す、そんなお決まりの落ちは冒頭タイトルの出現と同時に百も承知だったが、それはどうでもよかったのだ。
 ある日、学校で「学級新聞」を作ることになった。担任の若い女教師は大きな白い紙を黒板に伸ばし四隅を丸い磁石で留め、説明を始めた。一年間のクラスの目標や行事、注意事項などを十二色のマジックインキを使ってみんなで絵を組み合わせ面白おかしくまとめて黒板脇に貼ろうといったことだった。
 それが「模造紙」というものを生まれて初めてまともに見た時のことだ。こんな大きな一枚の紙が世の中にあったのかと驚いた。
 なぜか新聞の下書きを任され、丸めたその大きな紙数枚を家に持ち帰った。帰り道、既に「学級新聞」のことは頭から消えていた。
 大きくなったら漫画家になろう、そう決めていた。絵といえばマンガのことだった。それが地球上で一番カッコイイ仕事だと思っていた。
 家には『漫画家入門』と、その本から得た知識でGペン、ガラスペン、かぶらペンの三種類、ワラバン紙、インクを自腹で購入し揃えていた。鉛筆やマジックインキはガキの道具だと思っていた。また、自分にとって真っ白の紙とは、大きさを問わずマンガや気合の入った落書きをするための高級品であり、先生の力説する退屈な「学級新聞」のためのものではなかった。
 家に着き、早速二階の六畳間の畳の上に広げた。その上に何かを描きたいという思いは込み上げてくるのだが、初めて目の当たりにするその大きさと、いつもとは明らかに異なる複雑な思いはなかなか交差せず、横たわる模造紙をボーッと眺めた。やたらデカい紙だと再び思った。
 ふと、デカい「ポパイ」を描こうと思った。そうだ「等身大のポパイ」だと思った。自分と同じ大きさのポパイしかないと思った。これはヤッタゾ!という気持ちになった。デカい「紙」にデカい「ポパイ」、これ以上の考えはありえない気分になっていた。あとは描くだけだ。
 デカく描く方法は漠然と頭に浮かんだ。まず模造紙をタテに二枚並べ糊貼りし、もっとデカくした。下書き用の鉛筆を利き手である左手に持ち、目の前の模造紙の上に仰向けにキヲツケ!の姿勢で寝た。あとは頭のてっぺんに鉛筆の軸を当て、少しずつ自分の身体の輪郭を写し取っていった。
 グルリとおおまかな形を途切れ途切れの線で写し終え、紙から起き上がり鉛筆の輪郭を目で追った。それまでノートに描いていたものとは異なる白い影のようなものがうっすらとその上にあった。
 その形を目安に、今度はポパイ全体像のパーツを部分部分引き伸ばして描き込み、最後に色を塗った。
 こうして予想を超えたデカいポパイ像が完成した。こんなポパイは見たことがなかった。先ほどまでの「ヤッタゾ!」の気持ちを明らかに超えていた。経験したことのない気持ちが込み上げた。
 しかし、ポパイもデカいがその分周りの余白もデカかった。見ているうちに何か少しずつ思いとズレ始めた。
 確かに予想以上の等身大ポパイはできあがったのだが、ポパイを取り囲む余白が気に入らなくなっていた。ポパイだけ切り取ってしまえと思った。最初から背景を描き込み大きな絵を描こうとしたのではなく、単にデカいポパイが描きたかったのだ。輪郭に沿ってハサミで余白部分を一気に切り取った。
 目の前にはペラペラでフニャフニャのポパイが現われた。これには再び驚いた。ヤッタゾ!とは微妙に違っていた。
 目の前の畳の上のポパイが痛快だった。いつも観るテレビの中から本物のポパイが日本間にペロリと現われてきたように思え、並んで寝てしばらく天井を眺めた。それは不思議な体験だった。それまでのマンガを描き終えた気分と何かが決定的に違っていた。

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