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夕映え天使
浅田次郎

さびれた商店街の、父と息子二人だけの小さな中華料理店。味気ない日々を過ごす俺たちの前に現れた天使のような女・純子。あいつは線香花火のように儚い思い出を俺たちに残し、突然消えてしまった。表題作「夕映え天使」をはじめ6編の短編を収録。特別な一日の普通の出来事、日常の生活に起こる特別な事件。人生至る所にドラマあり。

ISBN:978-4-10-439403-6 発売日:2008/12/19

立ち読み 書評 雑誌から生まれた本

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夕映え天使



  夕映え天使


 この正月が味気ないのは、親父がめっきり弱くなったせいでもなければ、五十というてめえの齢のせいでもあるまい。
 去年が華やかだったからだ。
「まだ飲むかい」
 炬燵に寝転んで面白くもおかしくもないテレビを見ながら、一郎は親父の足を蹴った。このごろ急に親父の耳が遠くなった。話しかけるときには、蹴ったりつついたりする。そうすれば存外聞こえるのだから、耳が遠くなったというより頭が鈍くなったのだろう。
「冷やでいいや」
 新聞を読みながら親父は言った。
「燗ならつけるぞ」
「いや、冷やがいい」
 一郎は、どっこいせと思わず呟いて起き上がった。何をするにしてもいちいち声が出るというのは、いったいどうしたことなのだろう。
 男やもめの親子の住まう家は、一階が十坪の店で、二階が六畳二間に台所の付いた住まいである。何しろ一郎が生まれ育ったのもこの家なのだから傷みもひどい。外から見ると明らかに隣の洗濯屋に寄りかかっているが、さらによく見ればその洗濯屋も隣の掛接屋に寄りかかっているから、おたがい文句も言えない。
「チャーハンでも食うかァ」
 厨房の棚から酒瓶をおろし、一郎は二階の親父に向かって大声をあげた。
「何だァ」
「チャーハンでも作るかって聞いてんだよォ!」
「いらねえよォ」
 自分の食うぶんだけ作ろうかと中華鍋を裏返したが、何だかみじめな気分になった。
 一郎は古いなりにきちんと整頓された店の中を見渡した。カウンターには八つの丸椅子が並んでおり、テーブル席はないがそのかわり、十人ほどの宴会ができる小座敷がある。
 座蒲団を畳み上げ、卓も立てかけたその小座敷に、ふっと純子が立ったような気がした。
「やっぱ、燗つけるぞォ」
「あいよ。どっちでもいいや」
 あいつはいったい何者だったのだろうと、一郎は考えた。いや、ずっと考え続けている。
 鉤型になったカウンターの隅の席で、ラーメンの汁の一滴まで啜りおえたあと、純子はほかの客が帰るのを見計らって、思い定めたように言った。
(あのう、住み込みで雇っていただけませんか)
 いったいどういう了簡なのか、一郎と親父は顔を見合わせたものだ。
 悪い時代ならともかく、まだ四十ばかりの女がいきなりそんなことを言い出すのは、よほど切羽詰まった、よんどころない事情があるからにちがいなかった。
(あいにくだけど、手は足りてるんだ)
 と、一郎はすげなく断った。すると女は洗い物を始めた親父に向かって、もういちど懇願した。
(少しの間でいいんです。ご迷惑はおかけしませんから)
(少しって、どのくれえだね)
 と親父が答えたのにはいささかあわてて、一郎は白衣の背をつついた。
(やべえよ、おやじ。なに考えてやがる)
(そうは言ったっておめえ、他人にこんなこと言うのァ、よっぽど困ってるんだろ。そこらで電車にでも飛びこまれたらどうすんだ。後生が悪いぜ)
 のちにわかったことなのだが、親父は後生がいいも悪いもなく、嫁が欲しかったのだ。この際わけありだろうが多少おつむが足らなかろうが、向こうから転がりこんでくるものを放っとく手はねえ、というのが親父の本音だったらしい。
(てえした給料はやれねえけど、三度の飯はたんと食わせる。住み込みったって余分な部屋はねえから、そこで寝起きだぜ)
 女は親父の視線を追って、畳を短冊に並べただけの座敷を見た。それから子供のようにカウンターの止まり木から滑りおりて、昼休みの客が散らかした食器を片付け始めた。
(やばかねえか。知らねえぞ)
(何がやべえ。人助けじゃねえか)
 その日から純子は、昭和軒の少し薹のたった看板娘になった。
 界隈のさびれようといったらただごとではなかった。ともかくも商店街の体をなしていたのは二十年も昔の話で、住人はかつての半分もいない。中途半端に地上げされた土地は、窮屈なコインパーキングか虫食いの空地になっている。昭和軒の客も、鋳物工場の老いぼれた職工が昼飯を食いにくるぐらいのもので、出前の電話もめったには入らなくなった。見なれぬ客はたいがい隅田川のホームレスだというのだから、情けないにもほどがある。
 商店会はいつのまにか自然解散してしまった。どの店も商売が成り立たず、跡取りもいないのでは仕方がない。もともとこのあたりは正体のよくわからぬ地主の土地で、ただ同然の地代に法外な借地権が付いたのだから、それを売り払ってどこかへ行くのは当然の話だった。
 おふくろが皿を洗いながらバッタリ倒れて死んだのも、一郎が上野のキャバレーの女にさんざんやりくられたのもそのころのことだ。
 おふくろは寿命だったと思えばあきらめもつく。だが籍まで入れた女が一週間でずらかり、兄と名乗るやくざ者におふくろの香典までふんだくられたのは、いまだに納得がいかない。
 以来、親子の男やもめはこんな暮らしをみじめだと思うゆとりもなく、惰性というかほかに方途がないというか、知らぬ間に二十年が過ぎたのだった。
 おととしの夏のかかりに純子はやってきて、年が明けるとどこかに行ってしまった。昭和軒の薹のたった看板娘でいてくれたのは、半年ばかりだった。
 書き置きも、さいならのひとつもなかった。三が日をおえて、ぼちぼち店を開けようと階段を降りると、何となく空気がうつろだった。厨房はぴかぴかに磨き上げられていて、昭和軒の古い暖簾と、押入れの中のシーツや枕カバーに、これでもかというくらい糊が張ってあった。
 純子は半年の間かいがいしく働き、川開きの花火みたいに華やかなおしゃべりをし、笑顔をふりまいた。
 川開きの花火、というのは親父の感想だった。打ち上がるだけ打ち上がって、消し口が潔い、というわけだ。言いえて妙だが、消し口は潔すぎて、一年が経った今でも花火がはねたあとの夜空のように、まだどこかでポンと打ち上がるような気がする。どうしても終わったとは思えない。一郎が厨房で仕込みを始めると、座敷の柱の蔭から、白い三角巾とエプロン姿の純子が、「おはようございまあす」と現れそうな気がする。

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