しゃばけ読本




 【畠中恵・柴田ゆう・あゆぞう in 名古屋造形芸術大学】
 母校で夢のトークセッション



知られざる大学時代、デビュー秘話、
アルバイトとの兼業生活……。
今まで語られることがなかった畠中さんと柴田さんの
一面が明かされたトークセッションを、
バーチャル長崎屋の妹女中あゆぞうが完全レポート。
小説家、イラストレーターになりたい方、
必見ですよ~!!

「畠中さんと柴田さんが、畠中さんの出身大学でトークセッションをすることになったんだよ。あゆぞうも参加して、お二人のために司会進行をするように」
 それは、あまりにも一方的なおこぐ姉さんからの命令でした。驚きのあまり返事に窮しているあゆぞうに「テーマは、『小説と出版社、イラストレーションと書籍』だから、あゆぞうでもなんとか務まるよ」とケタケタ笑いながら追い打ちをかけるおこぐ姉さん。スキップをしながら去っていくその後ろ姿を見つめ、どうあがいても逃げられないと観念したあゆぞうは、腹をくくりました。畠中さん柴田さん、さらには未来を夢見る学生のみなさんのお役にたてるのならばと、僭越ながらも、大役を引き受けさせていただくことになったのでございます。
 そして迎えた九月某日。畠中さん、柴田さん、あゆぞう、それに「あゆぞうだけでは心許ないから」と同行を勝手に決めた博吉という一行で、いざ出発! 新幹線の車中では博吉に、「あゆぞうより俺の方が人気がある」と自慢され散々な目に遭いましたが、無事、愛知県小牧市にある名古屋造形芸術大学に到着いたしました。畠中さんが卒業されてからキャンパスが移転したため、実は畠中さんも今回が初めてのご訪問。「ずいぶんキレイで広い大学になったのですねぇ」と終始驚いていらっしゃいました。
 学長である高北幸矢先生のご案内で会場へ向かう道すがら、「緊張しますよ~」と仰る柴田さんに「大丈夫ですよ」と言いながらも、あゆぞうの心臓はもうバクバク。そして遂に壇上へ上がる瞬間がやってきてしまったのでございます。上手くしゃべれるのでしょうか……。

あゆぞう ま、まずは、畠中さんの出身大学や、どのような学生だったかを、教えていただけますか?
畠中 母校講演ですからね、あゆぞうさん。名古屋造形芸術短期大学出身です。ビジュアルデザインコース・イラスト科に通っておりましたが、ものの見事に目立たない学生でした。漫画家志望なのに絵が下手だったので、本格的に絵を勉強するために美大を選んだのです。けど、課題の多さには閉口しました。
あゆぞう 大学生活をエンジョイ♪ なんて?
畠中 できませんでした。柴田さんはどうでしたか?
柴田 私は愛知県立芸術大学のデザイン科でグラフィックデザインを専攻していたのですが、課題の提出は一カ月に一度だけだったんです。なので大学にはその講評の授業がある日しか行かずに、東山動物園でスケッチしたりしてました。
あゆぞう それが柴田さんのデッサン力につながったというわけですね。愛知県立芸術大学を選んだ理由は?
柴田 絵を描くことが好きだったからですが、そこしか合格しなかったので他に選択肢がなくて。ちなみに、こちらの大学も受験したんですが、不合格でした(笑)。

   畠中さんの投稿時代

あゆぞう お二人とも大学で勉強していたことと現在のお仕事が見事にリンクしているわけですが、畠中さんは卒業後すぐに漫画家としてデビューなさったんですか?
畠中 いえいえ。まずは、大学卒業後二年間ほど資金を貯めて上京し、漫画家志望が集まる学校に通い始めたんです。同時にそこで知り合ったある有名な漫画家さんのアシスタントになりました。
あゆぞう お仕事しながら自分の新作を描くのはハードだったのではないですか?
畠中 楽しかったですよ。あらゆる出版社に漫画を投稿しては落ちてばかりで、評価もいつも最低ランクでしたが、厳しい批評をされることがなかったので。二十八歳頃、ようやくデビューしたのですが、三作しか仕事は続きませんでした。
あゆぞう それから小説家を志したんですか?
畠中 都筑道夫さんという小説家の先生が開催していた小説教室に通い始めたのがきっかけでした。漫画家のアシスタントやイラストレーターの仕事があったので生活することはできたのですが、物語を作りたいという想いがどんどん溢れてきて、都筑先生の教室のドアを叩いたのです。
あゆぞう どのくらい通っていたのですか?
畠中 二週間に一回の講座を八年ほど。都筑先生に誉められたら賞に応募しようと思っていたのですが、全く誉められませんで……。
あゆぞう 誉めるタイプの先生ではなかった?
畠中 うーん。けど、誉められている方もいましたからね。七年くらいたった時に、初めて誉められたのですが信じられず、別の作品でもう一度誉めていただき少し自信がついたところで、日本ファンタジーノベル大賞という賞に応募したのです。それが『しゃばけ』です。優秀賞をいただき、結果的にデビュー作となりました。

   深夜バスで東京まで通った一年間

あゆぞう 柴田さんはずっとイラストレーター志望だったのですか。
柴田 最初は、グラフィックデザイナーを志望していたので、広告代理店やデザイン事務所の面接を受けたのですが、不採用の嵐で。面接官に「君にはこういう仕事は向いてないよ」と通告され諦めました。他の仕事も考え始めたのですがその矢先に身体を壊してしまったため、就職できないまま大学は卒業しました。けど、どうせなら好きなことを仕事にしようと思って、雑誌の広告で見つけたイラストレータースクールに通い始めたのがイラストレーターへの第一歩でした。
あゆぞう どちらのスクールですか?
柴田 東京の築地にある「パレットクラブ・スクール」という学校です。安西水丸さん、原田治さんをはじめ、プロのイラストレーターや、デザイナーなど錚々たる方々が講師をなさっています。先着順だったので、試験もなく第二期生として通えるようになったのですが、定職もないまま東京で生活することはできないので、毎週、愛知から夜行バスで通っていました。
あゆぞう ひぇえ。何年くらいそんなハードな生活を続けていたんですか?
柴田 一年です。若さのなせる業ですね。
あゆぞう そこまでしても通うだけの価値があった?
柴田 色々な人に見てもらって、批評をいただくことで、自分のイラストを客観的に確認することができるようになりました。それはプロとしては絶対に必要なことですからね、有難かったです。スクールには二年通ったのですが、東京に拠点を移さないと仕事に差し支えることも分かってきたので、上京も決意しました。その準備をしている頃に、新潮社さんにお仕事がないか電話をかけたら、「ちょうど今、以前持ち込んでくれたイラストのファイルを見ていて、お仕事を頼もうと思っていたところだったんですよ」と言われたんです。そのお仕事が米村圭伍さんの『風流冷飯伝』という単行本のイラスト。私はこの作品でデビューしたのです。

   柴田ゆう流・イラスト持ち込み術

あゆぞう ということは、デビューのきっかけとなったのは、持ち込んでいたイラストファイルだったようですが、自ら売り込むのは困難も多かったのでは?
柴田 門前払いされることも多かったし、仮に見てもらえても、批判されるばかりでしたからね、最初はかなり戸惑っていました。
あゆぞう ファイルはどのように作るんですか。
柴田 今までに描きためたイラストの原画をカラーコピーしてファイルしていくのですが、イラストのセレクションはファイルを送る出版社や媒体によって変えます。小説でも単行本と雑誌では勝手が変わってきますし、雑誌のカットでも女性誌、男性誌、実用誌によって求められるものは違いますから。
あゆぞう ポイントはあるのですか?
柴田 名刺やプロフィールはファイルの表面など分かりやすいところに貼っておくことが大切です。編集部の本棚に並んでしまうことを想定して、背にも自分の名前や入れましょう。できれば小さいイラストも載せられるといいですね。表紙は透明のものを。棚から引っ張り出してもらえた時に、絵がぱっと見えた方が見栄えもいいし、印象に残りやすいです。
あゆぞう なるほどぉ。今、こうしてご自身のファイルをご覧になるとどう思われますか?
柴田 ヘタ、です。新潮社さんに最初に持ち込んだのは九年前で、自分の作品の方向が見え始めたばかりの頃なので、線も弱々しいですよ。
あゆぞう 私の目には上手に見えます。ちなみに、そのファイルから実際に採用された作品はありますか?
柴田 だるまのイラストを、先月発売された『しあわせになる禅』という新潮文庫のカバーに使っていただきました。ただ、私自身、お話をいただいてすぐにはどの絵か思い出せず、原画がどこにあるかも分からず、慌てて探しました。
あゆぞう 九年後に日の目を見たわけですね! 持ち込みファイルって重要ですね。
柴田 原画は絶対に捨てたらダメですね。
あゆぞう 捨てようとしたんですね。
柴田 引っ越しの時、邪魔だったんで……。他にも、描いた時のプロセス、下書きなどでもとっておくと、後々役に立ちます。


*名古屋造形芸術大学は2008年4月、名古屋造形大学に名称変更予定です。

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