日本人よ!




 プロローグ

 サッカーとは、人生である。
 なぜなら、人生で起こることは、すべてサッカーでも起こるからだ。しかも、サッカーではもっと早く、もっと凝縮して起こる。つまり、人間が一生涯で経験できるものすべてが、非常に短い時間の中で起こりうるのだ。一度の人生で起こりうる美しいこと、醜いこと、すべて詰め込まれたのがサッカーなのである。
 私はサッカーに取り憑かれている。言ってみれば、「サッカー人間」(フットボール・マン)だ。これまでの六十六年の人生のほとんどすべて、私はサッカーの世界にいる。ひょっとすると、サッカーとは違うところに、もっと美しい人生、さらには人生のすべてがあったのかもしれないが、そういう可能性があることすら、忘れてしまっているほどだ。
 ここで私が気をつけなくてはならないのは、片寄った人間にならないようにすることである。もちろんサッカー以外にも経験した事柄はあるが、人生のほとんどすべてがサッカーの中にあった今の私が、サッカーだけに閉じこもらないようにしなくてはならないということだ。ピッチ内外で私が体験し、目にしてきたこと以外にも、人生にはたくさんの大切なことがあるのだ。
 では、サッカーとはいかなるものであるか?
 例えば、いまここにコップ一杯の水と一つの角砂糖がある。水が人生だとしたら、サッカーとは、一つの角砂糖のようなものであるとも言える。
 固い立方体の角砂糖を水に落とした瞬間、角砂糖は溶けてコップ全体の水が甘くなる。これは、角砂糖が水に影響を与えたということである。サッカーが人生に与える影響も似たようなものだ。サッカーは、そのままでは無味無臭である人生に、何らかの「味」をつけ加えるからだ。つまりサッカーは、七十年八十年という人の一生に対して、一つのとても大きな影響を与えるということになる。
 人生で起こりうるすべてのことは、サッカーの中に集約されている。
 選手がその人生の中でプロとしてサッカーをプレーできるのはせいぜい五、六年、運が良い者は十年くらいかもしれない。そのわずか十年間のサッカーで、その選手は一生涯にとっても十分過ぎるほどの出来事を経験するかもしれない。一週間に一度サッカーをするなら、毎週のように、歓喜、悲劇、絶頂、ストレス、成功、失敗、栄光、挫折、勝利、敗北等々を経験するのだ。これらのサッカーで起こるすべてを、一生涯に引き延ばして生きることができるのならば、実に魅力的な人生を送れるのではないかと思う。
 また、サッカーにおいては、人々は非常に速いスピードでお互いを知り合っていく。
 人の助けが必要な時、人が自分の助けを必要としている時、お金を持っている時、お金がない時、名誉を得た時、名誉を失った時、体調が万全の時、怪我をした時、病気の時、夫婦円満な時、家族に問題を抱えている時……。選手はそのすべてを、一つのサッカーチームにおける短い期間で経験し、それと共に生きていくのだ。だから、選手間で何が起こっているかをより良く知れば、チームはより良く機能し、試合はずっと楽になる。それが人生(サッカー)というものである。
 もちろん、他の人々は、違う仕事で自分の人生を象徴するものを持っている。例えば、サラエボの医者たちは、机上の勉強では決して学べないことを、戦争中に学んだ。短時間で多くの、しかも非常に難しい手当てをしなくてはならなかった。その経験は彼らの生涯の研究のために活かされていく。
 私にとってのサッカーも、そういうものである。
 今、代表監督として日本で暮しているが、日本との素晴らしい縁も、東京オリンピックの旧ユーゴスラビア代表で来日したのが始まりだ。あのときも今も、様々なことを経験し、今の私がある。
 サッカーで起こるすべてが、私の人生では起こってきた。そして、一生涯かけて起こるべきことが、サッカーでは常に短時間で起こっているのだ。
 本書では人生とサッカーについて、私の知っていることをすべてお話ししよう。

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