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奇跡の脳
ジル・ボルト・テイラー、竹内薫/訳

ある朝、ハーバードの第一線で活躍する女性脳科学者を脳卒中が襲う。徐々に左脳が破壊され、歩くことも話すこともできなくなり、人生の記憶すらもが遠のいていく――。奇跡の再生を遂げるまでの八年間の苦闘を通して、脳に秘められた可能性と神秘を自らが解き明かす。アメリカで50万部の大ベストセラーとなった超話題作!

ISBN:978-4-10-505931-6 発売日:2009/02/27

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奇跡の脳



   はじめに  心と心、脳と脳

 どんな脳にもそれぞれの物語があります。そして、これはわたしの脳の物語。
 一〇年前、わたしはハーバード医学校で研究を行ないながら、若い専門家たちに人間の脳について教えていました。ですがある日、わたしのほうが痛い教えを受けるはめになったのです。
 一九九六年の一二月一〇日の朝、わたしの脳の左半球は、きわめて稀な脳卒中を起こしました。脳の血管の、まだ見つかっていなかった先天性の奇形のせいで、突然大きな出血が起きたのです。好奇心の強い脳解剖学者(神経解剖学者)であるわたしの目は、たった四時間のうちに、自分の脳の情報処理能力が完全に衰えてゆくのを見つめていました。
 その朝の終わり頃には、歩いたり、話したり、読んだり、書いたり、そして、これまでの人生を思い出したりすることが全くできなくなっていました。胎児のように丸くなり、精神が死に屈するのを感じました。そのときは、自分の物語をふたたび誰かと共有できるなんて、思いもしなかったのです。
『奇跡の脳』は、心の沈黙という形のない奈落へ旅したときの、わたし自身による年代順の記録です。この旅の間じゅう、わたしという存在のいちばん大切な部分は、深い安らぎに包まれていました。
 この本は、激しい脳出血から完全に立ち直った神経解剖学者による――わたしが知るかぎり――世界で初めての記録です。ここにはわたしの学問的な訓練と個人的な体験、そして新たな発見を織り上げたものが収められています。自分の道のりの記録が、ついに世に出て人々の役に立つと思うと、ぞくぞくするような興奮さえ憶えます。
 そして今何よりも、わたしは生きていること、ここにいることをありがたく思っています。無条件に愛の手を差し伸べてくれた、多くの心美しい人たちがいてくれたからこそ、苦しい治療に耐え続けることができたのです。
 長い間、わたしは、このプロジェクトをやりとげなくてはならないと思い続けてきました。その理由のひとつは、絶望に打ちひしがれた若い女性からの電話です。脳卒中で死んだ母親が、なぜ受話器を取って救急車を呼ばなかったのか、彼女にはどうしても理解できなかった。また、奥さんを亡くした年老いた紳士もいました。彼は、奥さんが死ぬ前に、昏睡状態に陥りながら苦しみ抜いたことへの責め苦を、一身に背負い続けているのです。また、いざというときにどうすればいいかわからず、一縷の望みにすがって電話をくれる、看護に携わる大勢の人々のためにも、(忠実な愛犬ナイアを膝の上に乗せながら)パソコンの画面に食らいついて書き続けました。
 わたしは、今年一年のうちに脳卒中に見舞われると予想される、七〇万人の患者さんとそのご家族のために執筆を続けてきました。一人でも多くの人が「脳卒中の朝」の章を読んでこの病気の兆候に気づき、遅きに失することなく、すぐに助けを呼んでくれれば、一〇年近くにわたるわたしの努力も報われることでしょう。
『奇跡の脳』は、大きく四つの部分に分かれています。まず、「脳卒中になる前の人生」では、脳がダメになる前の、別人であったわたしをご紹介します。なぜ脳科学者になろうと思ったか、何を勉強してきたか、どんなことを人々に伝えてきたか、そして、わたしの個人的な探求について述べるつもりです。わたしはのびのびと生きてきました。ハーバードの脳科学者としてNAMI(全米精神疾患同盟)の委員をつとめ、「歌う科学者」として全国を遊説して回っていたのが、かつてのわたし。この非常に短い個人的な経歴の後に、よろしければ、巻末の「脳についての解説」に目を通してみてください。そのほうが、脳卒中の朝に何がわたしの脳の中で生物学的に起きたかを、よく理解していただけるかもしれません。
 もし、脳卒中とはどんなものかを感じたいなら、まずは「脳卒中の朝」の章をお読みください。ここでは、一人の科学者の目を通して見た、認知能力が徐々に衰えてゆくという、類い稀なる旅へ、あなたをお連れします。脳の出血がだんだん酷くなるにつれて、わたしは、自分が体験している認知障害を、その根元にある生物学と関連づけて考えるようになりました。その結果、脳卒中のあいだに、脳解剖学者として学んできた年月で得たのと同じくらい、脳とその機能について多くを学ぶことになりました。
 あの朝が終わるころ、わたしの意識は、自分が宇宙と一体だと感じるようになりました。あのとき以来、脳の解剖学の見地から、「神秘的」あるいは「形而上学的」な体験とはどういうことか、理解できるようになったのです。
 もしあなたが、脳卒中や他の種類の脳障害にかかった人をご存じなら、回復について述べた各章は、測り知れない価値のある情報源になることでしょう。ここでは、年代順の回復の旅をみなさんと分かち合いたいと思います。ここには、完全に回復するためにわたしが必要としたこと(そして必要じゃなかったこと)について、五〇以上の助言が含まれています。「回復のためのオススメ」を、参考のために附録にまとめました。みなさんが、この情報を必要としている人に伝えてくださると嬉しいのですが。
 最後に、本書では、脳卒中が脳について教えてくれたことを、明確に述べています。この時点であなたは、この本がただ脳卒中についてだけ書かれた本ではないことに気づかれるはず。もっと正確に言えば、脳卒中は、わたしに「新たな発見」(insight)(訳注 原書のタイトルはMy Stroke of Insightであり、そのinsightを指すものと思われる)の機会を与えてくれたのです。
 この本は、人間の脳の美しさと回復力のたくましさを物語っています。それは、常に変化に適応し、機能を回復する、脳本来の能力に由来するものなのです。つまりこの本は、右脳の意識への旅でもあり、そこでわたしは、深い安らぎに包まれました。みなさんが脳卒中を体験することなく、わたしと同じ深い安らぎを得る手助けをしたい。そんな思いで、わたしは左脳の機能を復活させました。どうか愉しい旅路を!

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