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(「はじめに」より抜粋)
本書はベイコンの生前にはどうしても出版され得なかった。二人の友情に端を発するこの本が三十年間続いた会話の記録に基づいていることはすでに述べたが、それだけでなくベイコンの人生と作品を初めて総括的に記した本書はその相関関係に焦点を当てている。ベイコンの人生が素晴らしい、想像をも越えたものだったのは本人の言った通りだが、その人生に人が興味を抱くのは彼が素晴らしい絵画を生み出したからにほかならない。たとえベイコンの強い反対に背くことになっても、これらのイメージが生み出された背景についてもっと知りたいと願うのは当然の欲求と言える。残された作品はまるで未解決の殺人事件のように差し迫った問いを投げかけてやまず、観る者の自意識と今の時代に対する不安を掻き立てることで根幹を揺さぶり続ける。自分の作品は何も「言わない」し、何も「意味しない」と宣言し続けたベイコンがいなくなった今、これらのイメージを生み出した人生を探りたいという願いは強まるばかりだ。
幸運にも私はベイコンの家族と少年時代に関する多くの新しい情報を入手した。もちろん彼が話してくれた若い頃のことも大いに参考にした。同時に彼の思い出の多くがかなり脚色されていたことを発見したが、これにはさほど驚かなかった。また初めての海外旅行に関する新事実も浮かび上がった。イメージは人々の感覚と思考を変化させるという信念と野心とが生まれるきっかけとなったこの旅行は彼の人格形成に大きく関与し、パリで出会ったピカソとシュールレアリスムはその後のベイコンの芸術観と創作態度に影響を与え続けた。何よりもまずヨーロッパの芸術家であり、伝統の刷新という考えに強く惹かれていたベイコンは、その伝統をエジプト芸術にまで遡り、そこにヨーロッパ文化の源を見るに至った。逆に新しさを徹底的に追求した作品にも、それがバウハウスのデザインであれ、ジョイスの『ユリシーズ』であれ、ブニュエルの初期の傑作であれ、惹かれてやまなかった。後に彼は当時のフランスを代表する知識人、とりわけ元シュールレアリストの詩人で作家のミシェル・レリスとの親交を深めることでパリへの愛着を強めた。
しかしながら芸術上の信条も人格形成期の経験も、途方もなく複雑な総体であるベイコンという人間の一部にすぎない。本書では彼の人生と作品を結び付けることで、ベイコンという魅力的な存在のいくらかを甦らせようと試みた。持ち前のウィットと寛大さでこちらを幸せにしてくれる日もあれば、逆に憂鬱にさせられる日もあったが、一緒にいて刺激的だったのは彼の気分がどちらに転ぶか予測がつかないためだった。一人の人間があれほど急激に変化し、また矛盾に満ちているのを見るのはこのうえなく興味深かった。これ見よがしに世間に奔放さを誇示する一方、彼は自分が同性愛者であることを親類の一人がどう思うかに心を痛めていた。高尚な悲劇を描いた画家はまた高度な笑喜劇(ファース)の達人でもあり、人生の空虚さについて長々と語った後、オカマ口調の一言で人間存在の絶望を笑い話にしてしまうのだった。あるいは友人たちに豪華なディナーとワインを気前よくふるまった後、たいてい帰りには好んで地下鉄に乗った。同様に、黒い革に身を包んだ悪魔的風貌でソーホーの注目を集め、危険を顧みずサディストや犯罪者と付き合ったのも彼なら、果物を持って入院中の友人を見舞うのも彼だった。
ベイコンは捉えきれない人物だった。近づけば近づくほど、彼は意地悪になるか、あるいは単に姿を消して、壁を通り抜けてこちらがついて行けない別の生活へと移動しがちだった。ある状況から別の状況、あるいは一つの社会階級から別の階級へとすり抜ける術に長けていた彼は、数多くの知人を前にしてそれぞれ違った役を演じることを心得ていた。やくざな仲間とつきあった後で裕福な美術品蒐集家の妻を魅了したり、ボクサーとの抱擁の後にベラスケスに関する議論を続けたりという離れ業をやってのける彼は侵しがたくさえ思えた。彼が作品の内に探し求めた謎(エニグマ)は彼をマントのように包んで保護し、確立された思想と振る舞いの枠を幾度となく破ることを可能にした。謎は彼の並外れた強さと才気の源でもあった。謎は不思議な天賦の才であり、才能の秘密であり、彼が抱えていた極度の矛盾をまっとうし、イメージの内に埋め込むことで神託の持つ力を与えることを可能にしたのだった。
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