ケプラー予想
―四百年の難問が解けるまで―


 はじめに

 本書で取り上げるのは、四百年近くも数学者たちを悩ませてきた問題である。一六一一年、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、球をできるかぎり高い密度で詰め込む方法は、八百屋がオレンジやトマトを積み上げる方法と同じであると予想した。つい最近まで、この予想には厳密な証明がなかったのだ。
 証明への努力が足りなかったわけではない。第一級の数学者たちが四世紀ものあいだ、この問題に取り組んできた。しかしミシガン大学の若き数学者トム・ヘールズによってついに証明が成し遂げられたのは、ようやく一九九八年のことだった。しかもヘールズは、そのためにコンピューターの助けを借りなければならなかったのだ。大勢の数学者がこの問題につぎ込んできた時間と努力には驚くべきものがある。数学者たちはごく普通に四次元以上の空間を扱うが、ときにそれは困難をともない、想像力に重い負荷をかける。だが、勝手知ったる三次元空間なら何の苦労がいるだろうか? あいにく、そう簡単にはいかないのである。本書の中で語られる知の戦いは、三次元の問題がどれほど難しくなりうるかを証拠立てている。
 サイモン・シンはベストセラー『フェルマーの最終定理』を出版したのち、『ニュー・サイエンティスト』誌上で次のように述べた。「フェルマーの最終定理の後継者にふさわしい問題は、それに匹敵する魅力で数学者を惹きつけるものでなければならない。ケプラーの球充填予想はまさにそんな問題だ。簡単そうに見えるけれど、それを解こうとする者は言葉には尽くせない恐怖を味わうことになる」
 私がはじめてケプラー予想に出会ったのは一九六八年、スイス連邦工科大学の一年生として数学を学んでいたときのことである。幾何学の教授がふとした話のついでに、「もっとも高い密度で球を詰め込むには、どの球のまわりにも十二個の球が接するようにすればよいと考えられている」と言ったのだ。その教授は、はじめてこの予想を立てたのはケプラーであり、フェルマーの有名な定理とともに、もっとも古い数学の予想のひとつだと教えてくれた。しかし私はその後、このことをすっかり忘れていた。
 それから三十年という月日が流れ、何度か仕事を変えたのち、私はイスラエルのハイファで開かれたある会議に出席することになった。それは学問や芸術における対称性をテーマとする会議だった。私はスイスの日刊紙『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング』(NZZ 新チューリヒ新聞)の記者になっていたのだが、七日間にわたって開かれたこの会議は、ジャーナリストとしての私の人生のなかで最高の一週間となった。ハイファで出会った人たちのなかに、ミシガン大学の若き教授トム・ヘールズがいた。ヘールズはそのわずか数週間前に、ケプラー予想の証明を完成させたばかりだったのである。彼の講演はこの会議のハイライトのひとつだった。私はトムの証明を中核に据えて会議の記事を書き、それからまた政治記者に戻っていった。
 ところが翌年の春、トレーニング用トレッドミルで汗をかいているときに、ふとこんな考えが浮かんだのだ。数学者にかぎらず、ケプラー予想の話を読んでみたいという人はいるのではないだろうか? 私はトレッドミルを降りて執筆に取りかかり、それから二年半のあいだ書きつづけた。当時、パレスチナでは第二次インティファーダ(民衆蜂起)が起こり、中東和平への道のりはずたずたに引き裂かれていた。それはとても悲しく、やりきれない日々だった。そんなつらい時期にどうにか落ち込まずにいられたのは、新聞記事の締め切り時間が過ぎた後、この本の仕事に取りかかれたおかげである。

(中略)
 話の展開に興味がある読者は、難しい数学の話は飛ばしたいかもしれない。そういう読者のために、難しい数学のところでは別の活字を使うようにした。さらに難しい内容は巻末の付録にまわした。本書で述べる数学は、決して厳密なものではないことをお断りしておかなくてはならない。私の目的は、ある数学の証明がどのような性質のものであるかを、詳細に踏み込んで迷子になることなく、大枠として理解してもらうことにある。生き生きとした説明をすることに力点を置き、ときには厳密な議論を展開せず、例を挙げるにとどめたところもある。

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