昭和の墓碑銘



 はじめに

「墓碑銘」欄が初めて『週刊新潮』に登場したのは昭和四十九年(一九七四年)である。現在も続いているが、昭和の日付で発行されたのは六十三年(正確には六十四年一月十二日号)までなので、昭和時代に書かれた「墓碑銘」は十五年間に過ぎない。しかし、その十五年間に「墓碑銘」として刻まれた約七百六十人の故人が、それぞれ膨大な「昭和」を遺してくれている。本書は、その昭和を生きた七百六十人の貴重な記録から五十四人分を抜粋、まとめたものである。
「墓碑銘」が始まった昭和四十九年はたいへんな年だった。それまで続いた高度経済成長がストップし、初めてマイナスに転じた年である。前年の第四次中東戦争の結果生じた原油の値上がり、いわゆるオイルショックが、安い石油に全面的に依存していた日本経済を痛打したのだ。企業倒産は記録的に増え、物価は急上昇し、世間に不安感が漂った。これからは過去のような経済急成長は見込めず、太陽が昇るでもなく沈むでもない白夜のような状態のまま推移するというエコノミストの観測が流行した。しかし同時に、それまで人々がわき目も振らずに働いて、それなりの豊かさを獲得したところで、突然ブレーキを踏まれて目を覚まされた面もあった。世の中にはほっと落ち着いた気分も生まれたのである。誰かも言ったように、周囲を冷静に眺め、自分を見つめることができるのは急坂を登っている時ではなく、なだらかな坂道をゆっくり歩いている時である。新潮社の社内では、「これで世の中は落ち着きを取り戻し、みながゆっくり読書でもする時代になるか」などと、半ば期待を込めた声が出たりしたものである。
 余裕が生まれて初めて自己と対話し、歴史をひもとき、そして「死」を見つめ直す――そんな時に「墓碑銘」は生まれた。
 最初のころは「無冠の墓碑銘」というタイトルだった。社会的地位の高い人物や名を成した人についてはすでに語られていることが多く、同工異曲の記事では取り上げる意味がない。そこであまり光の当たらない人々、だがその生涯はユニークでドラマチック、人生の成功者でも失敗者でも、変人奇人、ツイている人、悲劇の人、汚点を残した人でもよい。さまざまである。有名人のみならずそのような無名の人物も追悼の対象とするという発想でスタートした。
 だが「墓碑銘」担当者にはそれなりの苦労がある。そもそも亡くなったばかりの人を扱う場合にはある種の限界を覚悟しなければならない。週刊誌である以上、ニュース性が最優先されるが、直後の取材には困難がつきまとう。死去の状況にもよるが、故人を最もよく知る立場にある人が、多忙などのために取材できないことがままある。また関係者の故人に対するコメントが過度に好意的に傾き、本人に不利な情報が隠される。執筆の際に最も苦慮するところだ。「棺を蓋いて事定まる」はその通りだろうが、事を定めるには時間がほしいと思ったこともしばしばである。

 それはともかく、かなり以前から、「墓碑銘」欄を単行本にまとめて出してほしいという読者の要望が数多く編集部に寄せられていた。『週刊新潮』を買うと真っ先に「墓碑銘」のページを開くという愛読者もいる。地味ながら人気コラムである。故人の過去の話と自分の体験を重ね合わせて感動する読者がいる。故人のエピソードから歴史認識の奥深さを味わう人がいる。「墓碑銘」を読んで、人の死に方、晩節の過ごし方を学びたいという高齢者も少なくない。
 何にせよ、敗戦という未曾有の体験をした昭和年間は、いくら語っても語り尽くせないドラマに満ちているのだ。その激動を生きた群像の記録には、たとえ片鱗であろうと無意味なものはなく、読者の心のどこかに糧として残るものと信じている。今回「墓碑銘」を一冊の新書としてまとめた意味もそこら辺にある。
                    『週刊新潮』編集部

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