日本カジノ戦略




   まえがき


 誰でもカジノで王様になれる。カジノという舞台では、万人が主役を演じることができるのだ。方法は簡単。お金を賭けるだけでいい。カジノに一歩入れば、地位や学歴、年収、資産など一切関係ない。同じ金額を賭ける者すべてをカジノは平等に扱うが、賭けない者とは明確に区別する単純な世界である。
 カジノは人を映す鏡――。賭ける人にあわせて変幻自在に姿を変える。軽くプレーする人にはレジャーとしてのカジノになり、戦いを挑む人には牙をむき、骨までしゃぶりつくす魔物となる。そして、時には女神の顔も見せる。
 1988年の夏、私はソウル・オリンピックの厳戒態勢の中、名古屋空港からソウル経由でロサンゼルスに行く大韓航空機に乗っていた。将来、日本でカジノを経営するという夢の第一歩として、ラスベガスのディーラー・スクールに入校するためだった。当時ラスベガスといえば、ギャンブルにつきまとうダーティーなイメージがまだまだ強く残っていた。テーマパーク型のカジノ群が現れるのは翌89年のミラージュのオープンからだ。
 その後ディーラー・スクールを卒業し、ネバダ州立大学大学院でカジノ経営学を学び、ラスベガスの大手カジノで実際に働く機会に恵まれ、理論と実践から多くのことを学ぶことができた。
 近頃、日本のカジノ計画が、少しずつではあるが前進しつつある。しかし、その内容は、経営者側の視点のみならず、顧客側の視点から見ても、カジノの基本からずれている点が多く見られる。だが、それも仕方のないことかもしれない。カジノの本当の世界を垣間見ることは非常に難しいからだ。いくら話を聞こうが、それだけで理解することは困難な世界なのだ。
 カジノとは、非日常的な空間で「期待」と「リスク」を販売する産業である。もっといえば「複合的な体験」を販売するのであり、それに対する「定価」は個々の顧客が決める。普通の商売の感覚とはだいぶ違い、とても説明しにくい。とにかく、「百聞は一見にしかず」ではなく、まさに「百聞は一験にしかず」の世界といえるだろう。どれだけ市場データを分析し調査をしようとも、この独特の世界における「掟」と収益の中心となる顧客の「感覚」はわからないであろう。しかし皮肉にも、この「掟」と「感覚」の絶妙なバランスこそが、カジノを成功に導く根源となりうるのだ。
 なぜ、かくも多くの人々がギャンブルをするのか。なぜ、負けてもまたラスベガスに舞い戻ってくるのか。
 後ほどゆっくりと説明するが、カジノ業界の特徴である客単価の広がり、期待値、大数の法則、そして1日に数億円を使うハイローラーと団体客が同空間に存在する異質さ……。これらの「わからないことだらけ」のカジノを、他国で儲かっているビジネスだからといって安易に模倣するだけでは、日本のカジノ産業の成功はおぼつかない。
 大事なのは、日本各地でカジノ誘致を掲げる自治体やカジノ経営に参入したい企業は、かつてのホンダや松下、ソニーのような気概を持つということだ。誰もが最初は模倣から始めた。しかし決定的に違うのは、自らの創造力を最大限駆使し、血と汗を流し、挑戦し続けた点である。自動車を例に取ればわかりやすいが、仮にあの時代に自国にノウハウがないからといって、経験豊富なフォードやメルセデスベンツの工場や販売店を安易に誘致していたら、現在の自動車産業の隆盛はあり得なかっただろう。
 本書ではカジノに関する法律的・社会的側面も取り混ぜながら説明するが、その多くの部分はカジノを成功に導くために最も重要な「期待とリスク」を中心に書いた。全章に渡り、「カジノを楽しむため」「カジノを経営するため」、そして「カジノを管理するため」の「期待とリスク」とは何かを様々な角度から説明した。どの立場にせよ、「期待とリスク」を理解することが、カジノを理解する唯一の道となる。
 本書を通して、カジノとは如何なるものかを理解し、日本カジノ産業が自らの力で立ち上がり成功するきっかけとなれば幸いである。
 なお、これから紹介する事例、マーケティング手法や数値に関しては、特定のカジノに関するものではなく、あくまでも一般論である。

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