日本語の奇跡
―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―




 「序 章 〈ひらがな〉と〈カタカナ〉」より

 優秀な語学的センス
 新聞を開く、雑誌を手に取る、テレビをつける、街を歩く。……目をやれば、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字という四種類の表記で書かれた言葉が、我が国には溢れかえっている。
 しかし、我々にとって表記の区別などは問題ではない。
 たとえば、「トイレ」という単語がある。考えてもみてほしい。トイレを探しているとき、人は「トイレ」というカタカナ表記の文字だけを探すのではない。「お手洗い」というひらがなと漢字が混じった表記も、「便所」という漢字のみの表記も、「トイレ」という表記と同様に、トイレを意味していると日本人は老若男女を問わず知っている。のみならず、「便所」と同じく漢字で書かれた「化粧室」や「厠」、また「WC」や「TOILET」という外国語の表記をもトイレと認識できるのである。
 トイレをあらわす表記の使い分けは、単なる語彙の問題を超えていると言えるだろう。これは、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字といった世界に類をみない雑多な表記を使い分けることができる優秀な語学的センスを持っている、と言い換えてもいいかもしれない。
 こうした日本人の語学的なセンスのレベルの高さは、多様な書き文字の併用だけに止まるものではない。ある内容を誰かに伝えるとき、日本人は、場面に応じた言葉の使い分けをする。話し言葉と書き言葉の区別は外国にもあるが、複雑な敬語による使い分けさえもやってのける。
 さらに、一人称の多さという点を見ても、日本語のように「わたし」「わたくし」「俺」「ボク」「我が輩」「自分」「小生」「愚生」「手前」「当方」「不肖」「予」等々、遠近高下の間合いを繊細に表現するところは、世界広しといえども、日本しかないのである。

 先斗町も八重洲も
「学は和漢洋を兼ねよ」という言葉がある。
 我が国の歴史や文学に通じるだけでなく、中国やヨーロッパの学問などにも広く通暁しなければ、本当には日本のことは分からないということであろう。
 江戸という鎖国の時代にあっても、長崎には江戸期を通じて約一万人を数えるほどのオランダ通詞がいて、日本人は彼らを通してヨーロッパの文化、科学を吸収し、それを自家薬籠中のものにしていた。平賀源内のエレキテル、葛飾北斎の遠近法による絵画、食べ物にしても天ぷらやカステラなど、これらはいずれも長崎という細いパイプを通して流れ込んだものである。
 地名にしても古くから外国語が流入している。京都の先斗町はその形状にちなんでポルトガル語の「尖端」をあらわす「ポント」という言葉からつけられた名前だし、東京の八重洲も、徳川家康の国際情勢顧問や通訳であったオランダ人ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタインの「ヤン・ヨース」が住んでいたことによるという。
 世はまさに「グローバル化」が声高に言われているが、いやいや、日本という国は江戸時代でもすでに地球的な規模で文化を取り入れていたのである。
 しかし、同じようなことは江戸時代に限って行われていたわけではない。古代であっても、中国や朝鮮半島にあった国々を通し、我が国はアラビア、ペルシャ、インドとも深くつながっていた。
 我が国の歴史や文学を学ぶというのは、自分が拠って立つところを知るということに目的があろう。世界の最先端の知識や技術を古代からずっと受け入れながら自国の文化を創って来た日本。追って詳しく述べるが、その背景には様々な文化を受け入れ、そして咀嚼することを可能にする非常に柔軟な「日本語」という言語環境があったのである。

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