新潮文庫


新潮文庫とは?


「文庫」とは


「文庫」とは、本来、読んで字のごとく[ふみぐら=書物を収めておく倉庫、書庫]あるいは[本や帳簿など、手回りの品などを入れておく小箱]のことです。前者の例として、京浜急行の「金沢文庫駅」は鎌倉時代に北条氏がその地に和漢の書籍を収蔵した「金沢文庫」を創建したことに由来しますし、世田谷区には和漢の稀覯本を集めた「静嘉堂文庫」があります。また、後者の使い方では「手文庫」という言葉もつかわれます。

「袖珍文庫」とは


江戸時代以来、袖や袂に入るほど小型の本は「袖珍本」と呼ばれてきました。そのような伝統のなかで、明治36年、冨山房が小型版の叢書を発刊し「袖珍名著文庫」と命名しました。また、明治44年には、猿飛佐助や霧隠才蔵らの活躍が人気を呼んだ講談本シリーズ「立川文庫」が発刊され、約200冊が刊行されました。このあたりの出来事が、[1]でみた「文庫」本来の使い方から離れて、現在の「文庫」の使われ方を生み出したようです。

「新潮文庫」とは


「立川文庫」から3年後の大正3年、「新潮文庫」は創刊されました。現在まで続く「文庫」としてはもっとも古いものです。ちなみに、「岩波文庫」の創刊は昭和2年でした。ただし、このときの「新潮文庫」は現在の文庫サイズよりやや小型で、造本も厚表紙に背クロス貼りという豪華版であり、大正6年までに43冊を刊行して中断してしまいました。

「文庫判」とは


現在、「○○文庫」と名づけられて刊行されている叢書シリーズは200種類以上におよびますが、それらのほとんどは、いわゆる「文庫判」の大きさに統一されています。「文庫判」の大きさとは、紙のサイズでいうA6判で、タテ148ミリ、ヨコ105ミリです。単行本の「四六判」はB判、「菊判」はA判の用紙を使って作られます。


新潮文庫判型の変遷

現在の「新潮文庫」とは


大正3年の第一期「新潮文庫」のあと、昭和3年から昭和5年にかけて第二期19冊が、昭和8年から昭和19年にかけて第三期495冊が刊行されて終戦を迎えました。昭和22年7月、川端康成著『雪国』が戦後第1号の「新潮文庫」で、現在まで続く「新潮文庫」の最初の作品です。そのことは、132刷『雪国』にも、その巻頭、本扉の下部に「1」の番号(入稿番号)で表示されています。この番号は2006年8月刊のG・プリンプトン著『トルーマン・カポーティ〔下〕』では「8007」となっております。つまり、昭和22年以降8007冊の「新潮文庫」が生み出されたことを表しています。




第一期[43冊]
1914(大正3)年9月〜
1917(大正6)年6月



第二期[19冊]
1928(昭和3)年12月〜
1930(昭和5)年6月



第三期[495冊]
1933(昭和8)年4月〜
1944年(昭和19)年10月




第四期
1947(昭和22)年7月〜現在


「新潮文庫」の特長(その1)


本の中に焦げ茶色の紐が入っています。専門用語でこの紐をスピンと呼びます。栞の役目を果たして尚且つ落とすことがない優れものです。製本の過程でこのスピンを最初にカバーに貼り付けます。結果として文庫本の上側を断裁できません。このことを天アンカットといいます。スピンと天アンカットはそういう関係です。因みに、他社文庫は3方断といって上側も断裁している文庫本も多々あります。

「新潮文庫」の特長(その2)


本文の用紙に赤系のものを使用しています。何故、真っ白い用紙を避けて赤系の用紙にしたのでしょうか? それは目にやさしいからです。活字は主に明朝体で組んでいます。長時間の読書に少しでも目の疲労を抑えられるように配慮した結果です。また、原則的にカバーに化学物質のプラスチックフィルムを貼り付けていません。水性コーターというもので処理しています。廃棄する場合に焼却が可能で、産業廃棄物にしないですみます。
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