ホーム > 新潮文庫 > 新潮文庫メール アーカイブス > 父が子に語る高峰秀子
新潮文庫メールマガジン アーカイブス
父が子に語る高峰秀子




「父が子に語る高峰秀子」  井上孝夫

 今日はちょっと、父さんの好きな女優さんの話でもしようか。
 高峰秀子って、知ってるかな?
 少し前に亡くなった女優さんだけど、若い子は知らないよね、きっと。
 父さんは高峰秀子さんのファンなんだ。ファンだった、のじゃない。亡くなった今でも、ファンであり続けているんだ。ある意味、高峰さんは恩人だとすら思っている。

 どうしてそんなにファンなのか、だって? じゃあ、高峰さんの映画との出逢いを話そうかな。あれは大学3年の夏だった。名作映画のリバイバル上映で、黒沢明監督の「生きる」が上映されていた。それを見に行ったんだ。その時2本立てで併映していたのが、「名もなく貧しく美しく」(松山善三監督=高峰さんの御主人)という映画だった。

 打ちのめされた。「生きる」にではなく、「名もなく貧しく美しく」にだ。それに出ている高峰秀子さんの演技に、魂の底から打たれたんだ。人の表情というものが、こんなに心に突き刺さるものだとは考えたこともなかった。

 この映画はね、耳の不自由な夫婦の話だ。戦後の荒廃した世の中を、ハンディキャップを抱えながら、貧しくも励まし合って生きてゆく夫婦の姿を描いている。当時は今より遥かに障害者に厳しい、辛い世の中だったから、それは並大抵の苦労ではなかったんだ。
 いろんな困難がある。子供を産むにしても、育てるにしても、そして生きていくために働くにしても。その中でようやく育てた子供が、親を嫌って避けるようになる。

 そしてある日、内職で使っている大切なミシンを、遊び人の弟に売り飛ばされるんだ。小型トラックの荷台に積まれて、持ち去られる。追いかけて荷台に掛けた手を踏まれて、怪我まで負って。
 絶望にかられた秋子(高峰さん演じる主人公)は、夫の道夫に置手紙をする。弟と一緒に自分は死ぬ、これ以上あなたに迷惑はかけられない、と書いて。

 駅まで追いかけて行った道夫は、電車に乗り込む秋子を見つけて、隣りの車両に間一髪乗り込み、連結部分のガラス窓から、ようやく気付いた秋子に手話で話しかける。次の駅で降りなさい、と。
 秋子は聞かない。そして彼女も手話で、私たちはもうおしまいです、私たちは苦しむために生まれてきたような気がします、と、しぼり出すように訴える。

 道夫は言う。困ったことをされたけど、あなたの弟だから仕方がない。もしそれが僕の弟なら、今のあなたの苦しみはそのまま僕の苦しみです。僕にはあなたの苦しみがよくわかります。
 そしてこう付け加える。「僕たちは夫婦です。どうしてあなた一人が苦しまなくてはいけないのですか」

 この時の高峰さんの表情が素晴しいんだ。絶望の、真っ暗な闇の中で、唯一つ射し込んだ光。それは夫の言葉だった。その夫にむかって、ガラス窓に手を付けて、すがりつくような顔をするんだよ。あんな表情は、見たことがなかった。
 夫の必死の説得で、秋子は家へ戻るんだ。

 そして時と共に、息子も徐々に親を理解するようになる。ある日、家へ戻ると、息子が留守宅に友達を招待していた。秋子は尻込みするけど、息子は「ばかだなあ」といって、友達に紹介する。そしてジェスチャーゲーム(一つの文章を身振りで表現して、それを当てさせるゲーム)をするんだ。でも、秋子は息子の手話であっという間に理解し、答えてしまう。
 「そんなのずるいよ!」という友達の声を聞いて、高峰さんはうれしそうに笑う。それは、やっと息子が自分を受け入れてくれたことへの心の底からの喜びを表した、見事な演技だった。こんな切ない喜びを演じきれる人は、もういないんじゃないかな。

 高峰さんの演技は、観客をその人物に同化させてしまう。性別なんか一遍に飛び越えて、その人物の心の奥にまで、観る者を引き込んでしまう、そんな芝居なんだ。上の二つの演技だって、台詞抜きの表情一つで、全て表してしまう。いや、魂そのものをそこに「示して」しまうんだ。

 「二十四の瞳」も有名だね。瀬戸内海の小豆島の小学校の、新米女性教員と12人の生徒たちの、戦争の時代を挟んだ物語だ。
 有名な作品だから詳しくは説明しないけど、一つ、父さんの大好きなシーンがあるんだ。それは金刀比羅宮(こんぴらさん)に向かう、修学旅行の船の上のシーン。

 貧乏で家が潰れたり、奉公(商家などに住み込みで働きに出ること)に出されたりして来られない子もいる。仕事の手伝いをしてお金を稼いで来た子もいる。
 そんな中、クラスで一番歌のうまい子が、唱歌「浜辺の歌」を歌うんだ。

 あした浜辺を さまよえば
 昔のことぞ しのばるる
 風の音よ 雲のさまよ
 よする波も かいの色も

 うらうらとした陽の光。舳先(へさき)が切る波の、輝くきらめき。
 その陽光の中で、高峰さんは微笑んでいる。その女神かと思うような美しさ。
 やがて船は、先生の旦那さんが乗り組んでいる遊覧船とすれ違う。生徒に冷やかされながら、つつましく夫に手を振る姿。
 この先も苦難の待ち受ける、つらく苦しい人生の途中に訪れた奇跡のような幸福の瞬間を、永遠のものとして刻み付けた、日本映画史上でも指折りの名シーンだと思う。

 もう一つだけ、映画の話をしよう。「浮雲」だ。これはちょっと大人の恋愛物語だね。でも、今で言う「不倫」の話だから、君に話すのは少し気が引けるが、まあもう君も大人だし、話してもいいだろう。
 ベトナムで戦時中知り合った、日本人同士の恋愛だ。しかし男には日本に妻がいる。終戦で再会した二人は、いつまでもずるずると関係を続けるんだ。
 こう書くと、どうしようもない人間のグダグダした恋愛みたいに聞こえるね。そして実際その通りなんだけど、そのグダグダの裏に隠された、悲しいほど「ただの人間」でしかない姿が、最後には底光りを放って来るんだ。もうこれは見てもらうしかないね。

 高峰さんの、男に対してふてくされた愛想尽かしの台詞を言いながら、でも心のどこかで期待を捨てられないでいる女になりきった演技。嫉妬の演技。最後に「連れてって」、「お金なんかいらない」となりふりかまわず泣く演技。肺病が発症して鹿児島の宿で寝込んだときに、僕が君を捨てて行くと思ったのか、と男に訊かれて、子供のようにうなずいてべそをかく演技など、もう、言葉では説明しきれない。

 上の三つの映画はDVDもあるし、どれでもいいから見てみるといいと思う。この他にもたくさんいい映画に出ているから、それを見てもいい。戦前の映画も(アイドル時代のもの)も、機会があれば是非見てほしいな。

 父さんだって、こう見えても、生きてく上ではつらいことも苦しいことも少しはあったさ。でもそんな時、高峰さんの映画の1シーンを思い出すことでずいぶん慰められたり励まされたりしたことがあった。恩人、っていうのはそういう意味だよ。日本映画で人生を教わった、という感じが強いんだ。その中でも、高峰さんは特別な女優さんなんだ。

 女優・高峰秀子は文筆の人でもあった。父さんが夢中で古い日本映画を見ていた頃、週刊誌で高峰さんの『わたしの渡世日記』の連載が始まった。毎週買って読んだよ。面白かったなあ。そして、ああこの人は「本物」を知っている人なんだ、と思った。日本映画の黄金時代の一流監督と仕事をし、当代一流の人物たちと交流のあった人だ。当然かもしれない。しかし、本人にそれを見抜く土台がなかったら、つまり性根が据わっていなかったら、高峰さんみたいに物事の本質を見抜けないよ。父さんは本物なんか知らない、ただのサラリーマンだけどね。それでも高峰さんが、本物とは何か、噛み砕いて教えてくれるわけだから、父さんにも分る気がするんだ。そして高峰さん自身が「本物」だ、ということも。それがどういうものなのか知りたかったら、この本を読んでみるといい。

 ほかにもたくさん、高峰さんはエッセイを書いている。最近復刊されたものも多いし、どれを読んでもいいだろうね。どこにも高峰さんの「本物」がキラリと潜んでいるから。『にんげんのおへそ』が文庫で復刊したから、手始めにどうかな。

 長い話になってしまったね。古い女優や映画なんか関係ない、と思うかもしれないけど、芸事や芸術には古いも新しいもない。本物か、まがい物か、その二つしかないんだ。そして高峰さんの演技も文章も、まちがいなく「本物」なんだ。
 手を伸ばしてまず見てごらん、そして読んでごらん。君の目の前に、宝物があるんだから。

井上孝夫
1954(昭和29)年神奈川県生まれ。出版社勤務(校閲者)。東京大学文学部言語学科卒業。在学中よりロマンス語派を中心に諸言語を学ぶ。趣味の漫画で、「にいがたマンガ大賞」第二回ストーリーマンガの部最優秀作品賞、「沢の鶴4コマ漫画大賞」第四回大賞などを受賞。著書に『世界中の言語を楽しく学ぶ』(新潮新書)。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2012年01月10日   今月の1冊
  •    
  •