クリント・イーストウッド監督作『父親たちの星条旗』や、梯久美子さんのノンフィクション
『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道―』をはじめとして、「硫黄島の玉砕」は、近年、広く知られるところとなった。
だが、北方のさいはての島でも、同じような戦闘が繰り広げられていたことは、あんがい知られてはいない。
東京大学の山内昌之・教授(国際関係史)が、『週刊ポスト』(7月25日号)の書評において、「もう一つの硫黄島」と命名されたのが「占守島の攻防」。
取り上げられたノンフィクションは、大野芳
『8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記―』である。
千島列島北端の占守島(しゅむしゅとう)で、壮絶な戦いの火蓋が切っておとされたのは、昭和20年8月17日。
ポツダム宣言受諾後にもかかわらず、千島列島を不法占拠しようとするソ連軍が侵攻した。
対する第九十一師団長の堤不夾貴(つつみ・ふさき)・中将は、徹底抗戦を指令する。日本側の資料では死傷者は、ソ連軍が約3千名、日本軍は約600名にのぼり、戦闘は、8月23日にようやく終結した。
もし占守島の攻防がなかったら?
ソ連軍は、北海道はおろか東北地方にまでも侵攻し、不当占領されていた可能性もあったとも推測されている。
そんな危機を救ったのは、栗林中将と同じように、「日本の防波堤となるべし」という意志を持った戦車第十一連隊長の池田末男・大佐をはじめとする誇り高い職業軍人たちだった。
戦闘での生き残り兵士に綿密な取材をかさね、「もうひとつの硫黄島」の全貌が、長い歳月をへて明らかにされた。