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写真のイスラエル人男性と日本人女性を、本誌の読者はきっと誰も知らないと思う。
Davidi Gilo(ダビディ・ギロ)。一九五八年テルアビブに生まれ、高校卒業後に入隊。約五年間の軍隊生活では歩兵としてレバノン戦争に参加。その後、渡米、カリフォルニア大学バークレー校に入学するも、一学期でドロップアウト。突如、アラスカでペンキ塗装事業を起こし小さな成功を収めるが、それには飽きたらず一念発起、シリコンバレーに戻り、独学で半導体技術を学び、八〇年代後半から次々と半導体ベンチャーを創業して株式公開した。イスラエル・ハイテク少年たちにとって憧れの英雄だ。
 東恵美子氏とダビディ・ギロ氏(ウッドサイド市のオフィスで) |
東《ひがし》恵美子。札幌生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒。モービル石油、マッキンゼーを経て渡米。ハーバード・ビジネススクール卒業後、「二、三年ニューヨークで働いたら面白いだろうなという軽い気持ちで」投資銀行のリーマン・ブラザーズに就職。そのままニューヨークで十年、キャリアを磨く。文系ながら情報技術(IT)の最先端を独習。一九九六年、メリルリンチのテクノロジー産業担当マネージング・ディレクター(共同経営者)として、アメリカ人弁護士の夫とともにシリコンバレーにやってきた。
一九九九年十一月、インテルが半導体ベンチャーのDSP Communications 社を十六億ドルで買収。ダビディはそのDSP Communications
の創業者。恵美子はインベストメント・バンカーとして、このディールを最初から最後まで担当した。ITバブル最盛期の巨大買収劇の陰で、全く異なる軌跡を描いてきた二人の人生が交錯したのだった。
ウッドサイド市。夏も木々が鬱蒼と生い茂るシリコンバレーの高級住宅地兼別荘地にGilo Venturesがある。ダビディがChairman(会長)、恵美子がCEO(最高経営責任者)を務めるこの会社は、ダビディの個人資産の一部(約百五十億円)を投資する会社だ。シリコンバレーとイスラエルのハイテク・ベンチャーを探索して投資すること、そして、ダビディが過去に投資した企業の経営を支援し、その価値を高めること。この二つがGilo
Venturesのミッションである。
「ダビディが私をGilo Venturesに誘ったのは、大仕事を通じて人間としての信頼関係を築くことができたから。二人ともお互いが持つtenaciousness(絶対にギブアップしない執拗さ)を評価したのでしょう。あとアメリカ人でないがゆえの親近感が二人の間にあったのも事実ですね」
難しい英単語や英文がまず口をついて出る。そしてその日本語表現を空で探すようにしながら、恵美子はこう述懐する。二人の話を総合すると、大学をドロップアウトした独学の連続起業家・ダビディにとって、ハーバード人脈とニューヨークの投資銀行人脈を有する恵美子は、米国エスタブリッシュメント世界への窓という重要な役割を果たしてもいるようだ。
「でも今の仕事は、恵美子が持つ能力の五〇%くらいしか必要としていない。自分のパートナーとして恵美子が長期的に価値を持ち続けるためには、恵美子の能力が常に一〇〇%以上発揮できる場が必要。新しい何かを構想して、そんな場を用意したい」
ダビディは今こう考えている。
「機会に対するオープン性」。これが恵美子のシリコンバレー観だ。
「シリコンバレーの人は、個人を見て、この人は面白いな、この人には価値があるなと思ったら、すぐに議論を始めて、さあ何か一緒にやりましょうとなる。誰もがこういうメンタリティを持つという意味でここは極端な場所。物事を楽観的に捉えて、何でも機会だと考えられる若い日本人は、きっとシリコンバレーに向いている」
五歳と二歳の二人の娘に「あなたたちには半分、日本人の血が流れているのよ」と「プライドを持って話している」恵美子は「母親が自慢する日本について、将来娘たちが落胆してほしくないなぁ」と、最近強く思う。「今の日本に対して自分は何ができるのかしら。自分にはできて人にはできないことがあるはずだけれど、それは何だろう」と自問するようにもなった。
「ダビディのイスラエルへのコミットメントから、無意識のうちに自分も強い影響を受けているのかもしれない」
自らに訪れた変化をこう分析する恵美子が、ダビディと二人で始める新しい挑戦には「日本」がどんなスキームで組み込まれていくことになるのだろうか。
梅田望夫 |
| 梅田望夫 うめだ・もちお●ミューズ・アソシエイツ社長。1960年東京生れ。94年渡米、97年コンサルティング会社ミューズ・アソシエイツを起業。著書に『シリコンバレーは私をどう変えたか』(新潮社)がある。 |
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