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[国際人のための日本古代史 第5回]
「天皇の政治利用」で身を滅ぼした恵美押勝

歴史作家 関 裕二 Seki Yuji
「天皇の政治利用」で身を滅ぼした恵美押勝
>>本誌49ページ

関 裕二
Seki Yuji

1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』(以上、新潮文庫)など著書多数。近刊に『伊勢神宮の暗号』(講談社)『天皇名の暗号』(芸文社)など。
 私利私欲のために天皇を利用すると、ろくなことにはならない。藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ)/七〇六-七六四)がいい例だ。
 天平九年(七三七)、藤原不比等の四人の男子が天然痘で全滅すると、反藤原派が台頭し、藤原氏は一気に凋落する。
 ところが藤原氏は、雑草のように生き残る。ここで登場したのが、藤原仲麻呂(不比等の孫)だ。仲麻呂は藤原氏の復権を企て、聖武天皇と激突する。
 仲麻呂はまず、聖武天皇の息子で、藤原の血を引かぬ安積(あさか)親王を密殺し(真犯人は分からぬが、仲麻呂がやったことは、ほぼ通説となっている)、聖武天皇を皇位から引きずり下ろすことに成功する。こうしておいて孝謙天皇(聖武天皇と光明子の娘)を皇位につけた。
 聖武天皇が崩御されると、仲麻呂は聖武の遺詔(遺言)によって立太子した道祖王(ふなどおう)(天武天皇の孫)を排除し、自宅で飼い慣らしていた大炊王(おおいのおう)(天武天皇の孫。舎人親王の子)を皇太子に据えることに成功する。そして仲麻呂は、皇族と同等であるかのように振る舞いはじめた。
 さらに、謀反を企んだとして、反藤原勢力を一網打尽にした。彼らの多くは「杖下(じょうか)に死んだ」と記録されている。つまり、裁きを受ける前に、拷問でなぶり殺しにされたのである。これが、橘奈良麻呂の変(七五七)だ。
 血の粛清によって政敵を一掃した仲麻呂は、信用できない聖武の娘・孝謙天皇を引きずり下ろし、大炊王を即位させる。これが、淳仁天皇だ。
 仲麻呂は亡くなった長男の嫁を淳仁天皇にあてがい、淳仁に「父」と呼ばせるように仕向ける。その上で、淳仁天皇に本当の父親・舎人親王を「皇帝」と称えさせた。婉曲なやり方だが、これで「淳仁の義父=仲麻呂」は、自らをも中国の皇帝になぞらえることに成功したのだ。
 事実、仲麻呂は独裁権力を握り、「皇帝」になった。淳仁天皇から「恵美押勝」の名をもらい受けると、天皇御璽(ぎょじ)と同等の力をもつ「恵美家印」の所持を認められた。この時代、天皇御璽が捺印された書類によって、官僚や軍が動くシステムだったから、恵美押勝(仲麻呂)は朝堂の全権を掌握したに等しい。太政官の承認を受けずに、好き放題なことができるようになった。
 さらに、貨幣の鋳造を許可されて、恵美押勝は一家(藤原一族ではなく、恵美家だけ)で朝堂を牛耳り、恵美家だけが栄え、民衆はインフレに苦しむという悪夢が出来したのである。

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