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「ITとインターネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」
前号で詳述した将棋プロ棋士・羽生善治さんのこの言葉は「インターネットの本質」を実に鋭くえぐったものだ。この「高速道路の整備と大渋滞」は、インターネットの普及に伴い、ありとあらゆる世界で起きつつある現象なのである。
これでもかこれでもかと厖大な情報が日々インターネット上に追加され、グーグルをはじめとする恐ろしいほどに洗練された新しい道具が、片っ端からその情報を整理していく。いったん誰かによって言語化されてしまった内容は、インターネットを介して皆と共有される。よって後から来る世代は、ある分野を極めたいという意志さえ持てば、あたかも高速道路を疾走するかのように過去の叡知を吸収し、もの凄いスピードで「プロの一歩手前」くらいまで到達できるようになった。これが羽生さんの言う「高速道路の整備」の意味である。
数学や物理学のような長い歴史を持つ学問の世界では、インターネット有無などとは関係なく営々と「知の体系化」が行なわれてきた。一流の学者によって多くの教科書が書かれ、それが後進のための高速道路の役割を果たしてきた。しかし今、それと同じ意味のこと、つまり「学習のための高速道路」が、さまざまな分野で日々自動的に敷かれているのである。しかも、その道の権威が知を体系化して弟子に伝授するような閉鎖的なやり方ではなく、無数のプロフェッショナルが自らの知や経験を自由なフォーマットでインターネット上に公開するだけで、それらがすぐさま整理・体系化されていくという新しいやり方によってである。
「コンピュータのプログラムを書く」ということを例に取ろう。プログラマーが書いたプログラムそのものをソースコードと言うのだが、元来ソースコードとは、開発した企業の企業秘密そのものであって門外不出の知であった。しかしインターネット時代の到来と共に不思議なことが起きた。
ソースコードをインターネット上に公開し、誰もが自由に改良を加えることができる環境を用意すると、そのプログラムがどんどん進化していく場合があることがわかったのである。これをオープンソース現象という。最も有名なオープンソース・プロジェクトはリナックスであるが、フィンランドの一人の学生リーナス・トーバルズによって一九九一年に種が蒔かれ、インターネット上の無数のプログラマーによって育てられた基本ソフト・リナックスは、今やマイクロソフトにとっての最大の脅威となるまでに成長し、さらに進化を続けている。
このオープンソース現象によって、これまでは閉鎖的な知だったソースコードがインターネット上に溢れるようになった。その結果、世界最高峰のプログラマーが書いて世界中で利用されているプログラムのソースコードを、誰もが自由に読んで勉強することができるようになった。オープンソース現象は副次的に、「プログラムを書く」ことを学ぶための高速道路を一気に整備してしまったのである。
知を閉鎖的な世界に抱え込むのではなく開放すると、無数の人々がインターネット上で力を合わせ、その知が発展していく。だから知は開放したほうが全体の進歩に寄与する。インターネットを空気のような当たり前の存在として育った一九七五年以降生まれの若者たちは、こうした「インターネットの本質」を身体で理解している。
しかし「学習の高速道路」が良いことずくめかと言えばそうでもない。高速道路とは言っても、所詮「他者の知」を効率よく吸収していく「学習の過程」に過ぎず、高速道路の終点まで到達したところで混雑が起こる。その混雑が発生するのがちょうど「プロの一歩手前」あたり。これが羽生さんの言う「大渋滞」の意味である。
さまざまな分野で「学習の高速道路」が敷かれつつあるゆえ、全体のレベルが上がっていることは間違いない。しかし、多くの人が次から次へとあるレベルに到達する一方、世の中のニーズのレベルがそれに比例して上がらないとすれば、せっかく高速道路の終点まで走って得た能力が、どんどんコモディティ(日用品)化してしまうことになる。英語で言う「Goodenough」(そのくらいで十分)という能力を持つ人々が量産されて、結果としてその分野全体に地盤沈下が起きる場合も想定すべきだろう。
一気に高速道路の点にたどりついたあとにどういう生き方をすべきなのか。若い世代のためにそんな哲学が今求められているのではないか。「王道を走って大渋滞を抜けようとするばかりが人生ではなく、どこかで高速道路を降りて自分の道路を築く人生もまたいいもの」なんて、そんなことを口にしそうな自分を発見し、ずいぶん歳をとったなぁと痛感する昨今である。
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| 梅田 望夫 |
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| 梅田望夫 うめだ・もちお |
| ●ミューズ・アソシエイツ社長。1960年東京生れ。94年渡米、97年コンサルティング会社ミューズ・アソシエイツを起業。著書に『ウェブ進化論』(ちくま新書)、『ウェブ時代をゆく』(同)、『ウェブ時代 5つの定理』(文藝春秋)、『ウェブ人間論』(共著、新潮新書)など。メジャーリーグの野球、そして将棋の熱烈なファン。 |
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