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「チープ革命」が生む方向性
情報技術(IT)が社会に及ぼす影響を考える上で絶対に押さえておかなければならないことがある。インテル創業者ゴードン・ムーアが一九六五年に提唱した「ムーアの法則」に、IT産業は四十年後の今も相変わらず支配され続けており、これから先もかなり長い間、支配され続けるだろうという点である。
もともとは「半導体性能は一年半で二倍になる」というシンプルな法則だったものが、現在は広義に「あらゆるIT関連製品のコストは、年率三〇%から四〇%で下落していく」という意味に転じた。新しい製品分野が登場してすぐは「こんな機能もほしい」 「もっと高い性能を」「より使いやすく」という顧客ニーズが多いから、製品価格が下落するのではなく、同じ価格の製品の機能・性能・使いやすさが向上していく。しかしその製品分野が十分成熟し、顧客にとって「必要十分」の機能が準備されると、一気に価格下落が急となる。
「ムーアの法則」が四十年も続いてきた結果、ついに我々は今「チープ革命」(Cheap Revolution)とも言うべき状況の恩恵を#蒙{こうむ}る時代に入ったのではないか。こんな問題提起をしているのが、米フォーブス誌コラムニストのリッチ・カールガードである。
この「チープ革命」という概念には、「ムーアの法則」によって下落し続けるハードウェア価格、リナックスに代表されるオープンソース・ソフトウェア登場によるソフトウェア無料化、ブロードバンド普及による回線コストの大幅下落、グーグルの検索エンジンのような無償サービスの充実といったことがすべて含まれる。そして、この方向がさらに極められていく「次の十年」は、ITに関する「必要十分」な機能のすべてが、誰でもほとんどコストを意識することなく手に入る時代になる。
今年上半期の日本は、フジテレビ・ライブドア問題で大騒ぎだったが、事の本質はこの「チープ革命」と深く関係している。テレビ局は「映像コンテンツを製作して、それを日本中にあまねく配信する」ために存在しており、そのためには、編集機材から放送設備まで莫大な投資が必要だった。しかし今や「チープ革命」によって、映像コンテンツの製作・配信能力は、皆が持っているパソコンやその周辺機器やインターネットの基本機能の中に組み入れられ、テレビ局だけの特権ではなく誰にも開かれた可能性となった。「ムーアの法則」の恐ろしさとは、そういう可能性がいったん開かれると、それを実現するための道具の価格性能比が年々ものすごい勢いで向上していくことが、誰にも予感できることなのである。
「映像編集ツールが与えられたからといって誰もが素晴らしい映像を作ることはできない」、「音楽編集ツールがあるからといって誰もがミュージシャンになれるわけがない」、「ワープロソフトが普及したって誰もがいい文章を書けるとは限らない」というのは確かに真実なのであるが、道具の普及が私たちの能力をぐっと高めていくことも、一方で真実である。特に子供の頃からこうした新しい道具を与えられた世代からは、明らかに旧世代とは違うリテラシー(表現能力)を持った人たちが数多く育っていくに違いないのである。
「チープ革命」以前は、こうした表現行為を行なうためには、テレビ局、出版社、映画会社、新聞社といった組織を頂点とするヒエラルキーに所属するか、それらの組織から認められるための正しい道筋を歩むしか方法はなかった。それゆえに既存メディアに権威が生まれたのである。
しかし、日本だけでも数千万人、世界全体でいえば十億人規模の人々が、#某{なにがし}か自らを表現する道具を持ち、その道具が「ムーアの法則」の追い風を受けてさらに進化を続けていくと何が起きるのか。それは、今とは比較にならないほど厖大な量のコンテンツの新規参入という現象である。人口全体に対する表現行為を行なう人たちの比率はそう大きくなくても、母集団が数千万とか億という単位になると、コンテンツの需給バランスが一気に崩れる。
「そんなコンテンツなんて大半はクズなのではないか」というのも権威側からよく聞かれる言葉なのだが、玉石混交の厖大な量のコンテンツの中から「石」をふるいよけて「玉」を見出す技術も、今や日進月歩ならぬ分進日歩といったスピード感で進化を続けている。
フジテレビ・ライブドア問題とは、「チープ革命」がもたらすこれからの「総表現社会」とも言うべき方向性によって、テレビ局に代表される既存メディアの権威が揺らぎはじめた象徴と理解すべきなのだ。
「知の世界の秩序」再編へ
文章を書く、写真を撮る、語り・対話・議論を録音する、音楽を作る、絵を描く、ホームビデオで録画する、映像を作る。そして、その結果を皆がインターネット上に置く。ではそれで何が起こるのか。
確かにこんなことはインターネットが登場してまもない十年前から盛んに議論され、たくさんのビジネスが試されては消えていった。ITバブル崩壊と共に終了した第一次インターネット・ブーム時の結論は「何も起こらない」だった。「普通の人が何かを表現したって誰にも届かない」が当時の結論。でもそれは、玉石混交の厖大なコンテンツから「玉」を瞬時に選び出す技術が、当時はまだほとんど存在しなかったからだったのである。
そこに圧倒的な技術革新が起きたために、局面は一気に動いた。「何かを表現したって誰にも届かない」という諦観は、「何かを表現すれば、それを必要とする誰かにきっと届くはず」という希望に変わろうとしている。
技術革新の主役はグーグル(Google)というシリコンバレーの会社である。グーグルは「増殖する地球上の厖大な情報を瞬時にすべて整理し尽くす」という理念を打ち立て一九九八年に創業されたベンチャーで、二〇〇四年夏に株式公開を果たし、既に現在の時価総額は六兆円を超えている。シリコンバレー史にも類例がないほどのスピードで成長しており、今や世界中の才能がグーグル入社希望の列を作っているという「化け物」会社になってしまった。
グーグルって「検索エンジン」を無償提供している会社でしょ一般的な認識はそんなものかもしれないが、たとえば「検索エンジン」ひとつ取ってみても、その本質は「すべての言語におけるすべての言葉の組み合わせに対して、それらに最も適した情報を対応させる」ことであり、グーグルはこの「検索エンジン」を手始めに「知の世界の秩序」の再編成を目論んでいると考えればいい。日々刻々と更新される世界中のネット上の情報を自動的に取り込み、情報の意味や重要性、情報同士の関係などを解析し続けるために、グーグルの十万台以上のコンピューターが、三百六十五日、二十四時間体制で動き続けている。
「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。それがグーグル開発陣に与えられているミッションなんだよね」
グーグルに勤める友人は私にこう言った。恐ろしいことを考えているんだなぁと思ったが、目が澄み切っている彼らは、こういうことで冗談は言わない。本気でそう考え、次々と手を打っている。グーグルについては、本誌連載「シリコンバレーからの手紙」でこれまでに何度も取り上げて考察を続けてきたし、これからも続けていくつもりなので、さらなる詳細はそちらに譲りたい。
いずれにせよグーグルの登場は世界中のIT関係者を刺激した。「増殖する地球上の厖大な情報を瞬時にすべて整理し尽くす」という領域についての研究、技術開発、ビジネス創造が今や大変な勢いで行なわれるようになった。ここがポストITバブルたる現代の本質で、九〇年代後半とは全く様相を異にしているところである。そしてそれはすべて、インターネット登場以来の懸案だった玉石混交問題の解決につながる営みなのである。
それと同時に「チープ革命」も粛々と進行中で、表現行為のためのコスト的敷居は年々低くなり、道具は誰にでも使える方向に進化するから、表現者は増加の一途をたどる。グーグルと「チープ革命」が相乗効果を起こす形での「本当の大変化」はこれから始まるのである。
誤解を恐れずに言えばこれからは、文章、写真、語り、音楽、絵画、映像……ありとあらゆる表現行為について、甲子園に進むための高校野球予選のような仕組みが、世界中すべての人に開かれているのが常態となるだろう。
そしてそれは、詰まるところ「プロフェッショナルとは何か」「プロフェッショナルを認定する権威とは誰なのか」という概念を革新するところへとつながっていく。
英語圏では、分野限定的だがこの問題が表面化しつつある。ネット上の玉石混交問題さえ解決されれば、在野のトップクラスが情報を公開し、レベルの高い参加者がネット上で語り合った結果まとまってくる情報のほうが、権威サイドが用意する専門家(大学教授、新聞記者、評論家など)によって届けられる情報よりも質が高い。そんな予感を多くの人たちが持ち始めたということだ。そしてこの予感が多くの分野で現実のものとなるとき、既存メディアの権威は本当に揺らいでいく。
表現者としてプロフェッショナルであり続けるためには、常態となった甲子園地区予選を戦い続けることを余儀なくされる「自由競争・継続競争の時代」になる。プロフェッショナルをプロフェッショナルであると認定する権威は、既存メディアから、グーグルをはじめとするテクノロジーに移行する。それに関わる「富の分配メカニズム」も全く新しいものに変わる。テクノロジーがその時々の「旬なプロフェッショナル」をネット上から常時選び出し、彼ら彼女らの知的社会貢献を自動算定し、広告費を原資に、個々にきめ細かく応分な報酬を自動分配するのである。
生活コストの安い発展途上国の若い人たちの中には、知的生産活動をネット上に公開することの対価としてグーグルから送られてくる毎月の報酬で生計を立てる人々も増えている。この背景については、本誌連載「シリコンバレーからの手紙」第九六回「グーグルが作る新たな経済圏」で詳述したし、第一〇三回「ネット世界で利益を稼ぐ『ロングテール現象』とは何か」とも深く関係するので、そちらもあわせてご参照いただきたい(本誌ホームページで公開中。「連載」 のメニューから入る)。そういう夢物語のように思える諸々のことを実現するための技術の洗練は、私たちが想像できるレベルを大きく超えてしまった。これが事の本質である。
旧勢力の間には合従連衡も
こうした新しいことがインターネットで起きている一方、私たちは相変わらず、テレビを見て、新聞を読み、雑誌を買い、電話をかける。莫大な制作費をかけたハリウッド映画を映画館で見てDVDも買う。作家の長い小説を本という形態で読み、人気ミュージシャンのCDを買い続けるだろう。「ネットはメディアを殺すのか否か」といった単純な議論で、新旧のせめぎあいを語ることはできない。
「今年は、グーグルとヤフーの広告収入が、米テレビ三大ネットワーク(ABC、CBS、NBC)のプライムタイム広告収入とほぼ拮抗するだろう」
新旧が奪い合うパイという意味での広告産業について、英エコノミスト誌は四月三十日号でこう書いた。日本でも昨年インターネット広告がラジオ広告を超え、四年後には雑誌広告を超えると予想されている。しかし広告産業全体で見たインターネットの台頭はまだ始まったばかり。世界中のメジャーメディア(新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、映画、アウトドア、インターネット)の広告総額は約三十七兆円だが、そのうちインターネット広告は、二年後にようやく二兆円に到達する程度なのである。
つまり産業構造的に言えば、新旧の共存・棲み分けはこれからも相当長い間続き、その間に少しずつインターネットが既存メディアを浸食していく構図を頭に描くべきだろう。そのプロセスでは、インターネットの浸食に対抗するさまざまな旧勢力の間での合従連衡も起こるはずだ。たとえば米国では「大バンドル時代」が到来し、固定電話、携帯電話、テレビ、ブロードバンド、エンターテイメント・コンテンツといったサービス群をすべて一括で提供する競争が、電話会社、ケーブルテレビ会社、テレビ局、ハリウッドなども巻き込んで進行していくだろう。しかし事の本質はそこにはない。より重要なのは、技術革新によって「知の世界の秩序」が再編されるというところなのだ。
これから始まる「本当の大変化」は、着実な技術革新を伴いながら、長い時間かけて緩やかに起こるものである。短兵急ではない本質的な変化だからこそ逆に、ゆっくりとだが確実に社会を変えていく。「気づいたときには、色々なことがもう大きく変わっていた」といずれ振り返ることになるだろう。
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| 梅田 望夫 |
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| 梅田望夫 うめだ・もちお |
| ●ミューズ・アソシエイツ社長。1960年東京生れ。94年渡米、97年コンサルティング会社ミューズ・アソシエイツを起業。著書に『ウェブ進化論』(ちくま新書)、『ウェブ時代をゆく』(同)、『ウェブ時代 5つの定理』(文藝春秋)、『ウェブ人間論』(共著、新潮新書)など。メジャーリーグの野球、そして将棋の熱烈なファン。 |
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