シリコンバレーからの手紙138

目からうろこが何枚も落ちた
オープンソースの“人間的本質”
 もうかれこれ十年近くにわたり、オープンソースというネット上の摩訶不思議な現象について、本欄で取り上げてきた。オープンソースは人間の本質を考えるきわめて重要な素材だと思うから、連載の大きなテーマとして考え続けてきた。その思考に小さなブレークスルーがあったので、ご報告しておく。
 オープンソースとは、ソフトウェアのソースコード(人が記述したプログラムそのもの)をネット上に無償公開し、世界中の不特定多数の開発者が自由に参加できる環境を用意し、そのソフトウェアをさらに開発していく方式のことだ。リーナス・トーバルズが創始したリナックスが有名なように、ほとんどのオープンソース・プロジェクトは欧米から生まれている。
 しかし日本人でたった一人だけ、世界中の人々が使うソフトウェアをオープンソース方式で開発したリーダーがいる。島根県松江市在住のまつもとゆきひろ(本名・松本行弘、一九六五年生まれ)である。彼が構想し、いまも日夜開発を続けるプログラミング言語「Ruby」は世界中に広がり、利用者は百万人にまで膨れ上がろうとしている。
 私は、昨年十一月と今年一月の二回、ネット上(ITpro)の対談企画でまつもとと深く語り合う機会を得た。オープンソース世界についてのまつもとの暗黙知を何とか引き出すべく全力を尽くしたが、私にとってそれはじつに貴重な時間であった。
 私がまつもとから学びたかったのは、オープンソース開発に参加する人々の動機についてだった。まつもとはクリスチャンでもあるので、信仰とオープンソースの関係、利他的な気質や奉仕の精神がオープンソース世界でどれだけの意味を持っているのか、といった問いを通して、参加者の動機の本質を探りたかったのである。
 オープンソース世界では、他者に何かを強制する道具立てがまったく存在しない。「お前、これをやれ」と人に強いるための裏づけがない。経済的な取引という概念も存在しなければ、雇用関係を基盤とする組織的指示命令系統も存在しない。すべては参加者の自発性だけに委ねられて、プロジェクトが進行する。プロジェクトが成功するも失敗するも、すべて参加者の自発性次第なのだ。ならばその自発性はどこから生まれるのだろうか。そこにオープンソースを考える本質がある。
「私の動機は利己的なものです」
 まつもとはきっぱりとそう言った。自分が欲しいものを作っているだけであると。オープンソース世界のリーダーたちは皆そうだと彼は感じているようであった。
 信仰とオープンソースの関係についての彼の考えは次の三点に集約された。(1)「Ruby」が欧米で受け入れられる段階において自らのキリスト教文化への理解が一助となったことは確かである (2) クリスチャンとして恥ずかしくない言動をと常に意識していることは、不特定多数を相手とするコミュニティ運営において好影響を及ぼしている (3) しかしリーナスは無神論者だし、信仰のオープンソースへの影響は副次的である。
 そして、利他的な気質とか奉仕の精神がオープンソースの本質なのではないと彼は断じた。本質は、あくまでも利己的な理由に基づく自発性なのだと。
 なるほどリーダーはそうなのかもしれない。リーダーは達成目標を持ち、その実現に向けての強い意志を有するからだ。
「でもその周囲に集まってきて、プロジェクトに貢献する人々の動機はいったい何か」
 私はまつもとに問うた。まつもとからは、私が一度も考えたことのない答えが返ってきた。
「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」
 世界中に知的レベルの高い人々は本当にたくさんいるが、その大半は自分で問題設定することができない。プログラマーの世界で言えば、プログラミングは好きだが何のプログラムを書けばいいかわからないという人が世界中に溢れている。成功しているオープンソース・プロジェクトは、そういう人々に対して、次から次へと「適切なサイズの問題」を供給するのだ。たとえばリーダーが大きな構想を打ち出していればいるほど、また新規機能の開発が進めば進むほど、ちょっとした不具合や、構想こそあるけれど開発が遅れている項目などが、「適切なサイズの問題」として不特定多数に提示され続ける。継続的に「いい問題」が供給されるなら、プロジェクトは成功する確率が高い。まつもとの見解はこういうことであった。私の目から、うろこが何枚も落ちた。
「新聞にクロスワードパズルが載っているでしょう。あれですよ。見つけると解きたくなる人がいる」
 クリスチャン・まつもとは、徹底したリアリストであった。そしてだからこそ、彼の語る成功のカギは、オープンソース世界のリーダーシップの在りようを超え、人を率いて何かを成し遂げようとする私たちのすべての行為に通用する普遍性を帯びているのだった。
梅田 望夫 
 
梅田望夫 うめだ・もちお
●ミューズ・アソシエイツ社長。1960年東京生れ。94年渡米、97年コンサルティング会社ミューズ・アソシエイツを起業。著書に『ウェブ進化論』(ちくま新書)、『ウェブ時代をゆく』(同)、『ウェブ時代 5つの定理』(文藝春秋)、『ウェブ人間論』(共著、新潮新書)など。メジャーリーグの野球、そして将棋の熱烈なファン。


back number
シリコンバレーからの手紙140
場所にいっさい縛られない そんな自由を求めて
シリコンバレーからの手紙139
いま自らに問いかける「私自身の核」とは何か
シリコンバレーからの手紙138
目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの“人間的本質”
定期購読の申し込み  
新潮社 フォーサイト