シリコンバレーからの手紙140

場所にいっさい縛られない
そんな自由を求めて
 さていよいよ最終回である。
 私自身の核は「生活こそが作品」という意識である。他者とは絶対に違う「時間の流れ」を追い求め、誰もやったことのない「人体実験」を繰り返し、「作品」である生活を磨いていくのが私の流儀。そして「次の十年」の大テーマは「場所にいっさい縛られない自由」の徹底追求と「時間の凝縮」への挑戦である。そんなことを前号では述べた。
 飛行機に乗って日本に近づくにつれて、日本が遠ざかっていく。最近そんなことをよく思う。場所と時間についての感覚が揺らぎ、新しい時代に適応する過程にあるのかもしれない。
「人体実験」の一つとして、シリコンバレーでは「ネットに住む」ように暮らしているが、膨大な情報空間に身を置いて考え事をする時間を長くとれば、日本で何が起きているのかもリアルタイムで把握できる。
 一方、日本に着けば、飛行機を降りた瞬間から、分刻みのスケジュールで人に会い続ける、リアル中心の生活に変わる。そうなると、物理的には日本にいるにもかかわらず、「ネットに住む」時間がほとんどなくなるため、日本のことがさっぱり見えなくなる。場所よりも、質の高い情報空間に身を置く時間のほうがずっと重要になった、と実感するのはこんなときだ。
 逆に同じことがシリコンバレーについても言える。本連載を始めた九六年秋は、まだネット黎明期。この地にいる意味が今とはまったく違っていた。当時は、物理的な場所に情報空間が一体化して存在していたから、「シリコンバレーに住む」こと自身が生み出す価値が大きかった。しかし、いまはそこから情報空間だけが分離され、ネット上で誰にも開かれた。世界中のどこに住んでいようと、たっぷり時間をとれる余裕を持つ人こそが、あるテーマについて世の中で何が起きているかを正確に把握できる。そんな時代になったのだ。
 またこれまで仕事というものは「誰かと同時に何かをしなければならない」という制約に強く縛られ、莫大な時間の無駄が発生していた。ネットの本質とは、電子メールに顕著なように、人と人との関わりにおいて同時性を求めないですむことにある。これからもネットは、同時性の呪縛を解く方向へと進化し、「場所にいっさい縛られない自由」を私たちが享受できるよう道を拓くはずだ。
 こんな充実した情報環境でこれからの時代を生きる若い世代を、私は心底うらやましく思う。まったく違う道具を手にしたのだから、それを活かし、私たちの世代ができなかったことを是非とも成し遂げてほしいと願う。
 しかし私は私で、「四十歳を過ぎたところでこの新しい可能性にぶちあたったことはかえって幸運だったのだ」という仮説を証明すべく、これからは生きてみたいと思う。
 たとえばいま私が「ネットに住む」ように暮らして充実した知的生産活動を行なえるのは、前半生にリアル世界でもがき続けて積んだ経験により、「情報を大量に注ぎ込める容器」のようなものが身体の中にできあがっているからである。情報の価値はリアル世界での豊富な経験とあいまってこそ倍加するし、玉石混淆の情報から質の高いものだけを瞬時に取り込む判断能力も、リアル世界での試行錯誤を経て身につけたものだ。
 ネット上のさまざまな人が多くの時間を費やして生み出した情報を、世界中に散らばる仕事仲間たちとともに、迅速にしかも贅沢に摂取し続ける。そしてそこから皆が肝心な部分を抽出し、共有し、思考の刺激剤とする。同時性を必要とする会議などいっさいしない。そんなふうにネット上で共同作業を進めていると、かなり仕事が進んだと思っても、まだたったこれだけしか時間が経過していないのかと驚くことが多い。
 知的生産という営みにおいて明らかに「時間の凝縮」の萌芽を感じ始めているので、ここを基点にどこまでいけるか挑戦してみたい。
 しかしこれも、リアル世界で一緒に仕事をした経験から生まれた信頼が、私と仕事仲間との間に根ざしているからできること。そう考えることにしよう。たとえそれが若い世代から見れば時代遅れの発想であっても、私たちは私たちの世代なりの、リアルとネットのハイブリッドな強みを極めていこうと思う。
 前半生にリアル世界で某(なにがし)かの競争力を築けば、後半生ではそれをテコにし、ネットの力を最大限活用して、これまでの常識とはまったく異なる「時間の流れ」を自分でデザインできる。そんなことを「人体実験」で証明してみたい。
 そして、たとえば十年たったとき、
「えっ、いつからシリコンバレーに住んでいなかったの? ぜんぜん気付かなかった」
 と、親しい仕事仲間をして言わしめれば、私の実験は成功したことになるだろう。
 場所の名前を冠した「シリコンバレーからの手紙」という名の連載が終了するのは、そんな新しい時代を象徴してもいるのだ。
梅田 望夫 
 
梅田望夫 うめだ・もちお
●ミューズ・アソシエイツ社長。1960年東京生れ。94年渡米、97年コンサルティング会社ミューズ・アソシエイツを起業。著書に『ウェブ進化論』(ちくま新書)、『ウェブ時代をゆく』(同)、『ウェブ時代 5つの定理』(文藝春秋)、『ウェブ人間論』(共著、新潮新書)など。メジャーリーグの野球、そして将棋の熱烈なファン。


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