
宮部みゆき 第二回目を迎えました「新潮文庫 感動大賞」。今回は八千六百十二編のご応募をいただきました。ありがとうございます。
そのなかから選ばれた二十五編の読書感動文が私の手元に届いたのは二〇〇九年末のことで、大賞の選考は二〇一〇年が明けて早々に行いました。その結果、上記の大賞、優秀賞を選定させていただきました。
私の世代の感覚では、二一世紀に入って十年目というのは、ほとんどSFの世界です。もう宇宙ステーションがくるくる回っているはずですし、火星旅行も実現しているはずでした。現実はそんなことはなく、二一世紀も二〇世紀と地続きで、進んでいるところは進み、停滞しているところは停滞したまま、むしろ後退したところもあったりするわけですが、しかし、嬉しいことに「本を読む歓び」に変わりはありませんでした。
今回限りで、私は選考役から外れます。感動大賞の前身「どっかんフォーラム」から数えれば十年以上、多くの読書感動文に触れることで、ほかでは得ることのできない楽しみや、新しい視点をいただいてきました。ここであらためて、応募してくださった多くの皆様に御礼申し上げます。
○大賞「ディズニーランドの憂鬱」(対象図書 『ミッキーマウスの憂鬱』)
一読、大賞はこれだこれだこれっきゃないと、楽しく笑いながら決めました。
「どっかんフォーラム」以来、私は、お預かりした読書感動文を読む際、対象図書を未読の場合には、まずそちらから先に読むことにしてきました。でも、この場合はそうしませんでした。
実は私、東京ディズニーランドが大好きなのです(余談ですが、三島由紀夫も好きだったんだって。もちろん本家本元の方ね)。なのでやっぱり『ミッキーマウスの憂鬱』は読みたくなかったのですよ。〈夢の国〉もビジネスなのだから、そりゃ裏側にはいろいろあるだろうけどカンベンしてよ、という気分でした。
それでも、この感動文は面白い! 何でしょう、このトボけた味は。こんな文章を書く十六歳を擁する三河安城の地よ、恐るべし。
昨今、世の中でウケている〈笑い〉が、どうにも自己中心的かつ攻撃的になっているような気がして、私はユウウツになることが多かったのですが、この一文でココロが晴れました。トボけているというのは、つまり自分を客観視できているということです。締めくくりの「また一緒に行こうね」がさらにいい! うん、もういっぺん行ってみてね。私はいっぺんスガキヤに行ってみますね。
○優秀賞「未来予想してみた。」(対象図書 『さくらえび』)
こちらもまたまた十六歳。またまた笑える読書感動文です。しかも身につまされつつ笑っちゃう。こんな文章を書く十六歳を擁するいわき市よ、恐るべし。いやはや、こうなると日本中が文章家の関ヶ原みたいに思えてきちゃいますね。
そうだよねえ。本を読んで感動したり、勇気を得たりすることはあるけれど、ふっと我に返ると現実が(笑)。先の見えない未来にため息をついてしまうのは、いくつになっても同じですよ。でも、この文章が素敵なのは、やっぱりそういう自分からちょっと離れて、照れくさそうに(かつ温かく)、外側から眺めているところ。この呼吸を忘れなければ、大丈夫、きっといつか未来の妻に出会えますよ。うん、たぶん、まあその、おそらく。
ああ、また身につまされちゃった。
○優秀賞「駅伝人生」(対象図書 『風が強く吹いている』)
組織に属して仕事をするということは、その組織の次世代に襷を受け渡してゆく駅伝だ、という考え方は、思いのほか新鮮なものではないでしょうか。
「百年続く会社でも百年働いた人はいない」
簡にして要を得た、これは至言です。
普通は、自分がその組織で何をするか、どれだけ重要な役割を果たすかということの方に、ついつい重きを置いてしまう。つまり、理想は〈脱・部品〉。そうでないと自分が惨めだ、生き甲斐がないと思えてしまうから。
でも、実は私たちみんな、いつでもどんな組織のなかでも〈部品〉なんですね。それは、ときどきカッコよく〈創造的な仕事〉なんて呼ばれる私みたいな小説家だって、事情はまったく同じです。文芸の世界、出版界の一部品なんです。何を失礼な、そんなことはない、それじゃ足りないとダダをこねれば、襷の受け渡しは絶えてしまう。
大切なのは、自分が渡された襷を受けて、まず走ること。それをしっかり自覚することと、個々の人生の幸不幸とはまったく別のものです。ここんとこを混同すると、やれ勝ち組だ負け組だ、本当の自分はどこにいる――なんて、ややっこしい迷路に入ってしまう。
『風が強く吹いている』は今回の人気対象図書でして、多くの若い方々から爽やかな青春感動文が寄せられましたが、この「駅伝人生」は、人生にある程度のキャリアを積んだ読者でなければ持てない視点が嬉しく、大いに共感いたしました。お互い、これからも頑張りましょうね!
|