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追悼特集 梅棹忠夫 「文明」を探検したひと

考える人 2011年夏号

(季刊誌 年4回発売)

1,440円(税込)

雑誌の仕様

発売日:2011/07/04

発売日 2011/07/04
JANコード 4910123050812
価格 1,440円(税込)
▼ 追悼特集[梅棹忠夫 「文明」を探検したひと]

ウメサオタダオ展をめぐって
小長谷有紀 知的生産の七つ道具にみる思想

外岡秀俊 「無所有」貫いた孤高のハンター

インタビュー 糸井重里
道具をつくる人 「ほぼ日」の父を訪ねて

梅棹忠夫略年譜

梅棹忠夫エッセイ抄録
「家事整理の技術について」「わたしは大工」

鼎談 「梅棹文明学」の来た道
やなぎみわ+山極寿一+横山俊夫

Essay 忘れがたいひと
鶴見俊輔 梅棹忠夫頌
谷 泰 記録の技法をめぐって
河合雅雄 おしかけ弟子という暴挙
樺山紘一 ヨーロッパ、チグハグ隊の顛末
石毛直道 梅棹さんの酒
小長谷有紀 沈黙の関係
小池信雄 たった一人だけの読者

Book Review 梅棹忠夫を読む
野村進 『日本探検』
関川夏央 『裏がえしの自伝』、『行為と妄想』
佐久間文子 『夜はまだあけぬか』

Book Guide
山本貴光 世界をデッサンする 梅棹忠夫の10冊

知られざる姿
小山修三 日本文明は三内丸山にはじまる 梅棹さんと考古学
川勝平太 文明の「生態史観」と「海洋史観」
坪内祐三 梅棹忠夫と山口昌男が鰻を食べた一九八八年春

小特集 花森安治と戦争

花森安治の三冊の手帖 津野海太郎

花森安治の書かなかったこと
対談 佐藤卓己×馬場マコト

「戦場」と「焼け跡」のあいだ 加藤陽子

考える夏
20世紀の闇の奥から伸びた長い影 会田弘継

特別レポート 1・17から3・11へ
兵庫県心のケアチームの111日 最相葉月

短期連載
星野道夫 旅の途上で 湯川豊

▼ High thinking

新連載 琥珀のアーカイヴ 第1回 / 今福龍太
瓦礫と書物――本の非在に耐える

續・浄瑠璃を読もう(9) / 橋本治
『妹背山婦女庭訓』と時代の転回点(中)

月日の残像(27) / 山田太一
寺山修司

須賀敦子の方へ 第四回 / 松山巖
「匂いガラス」を嗅ぐ

「便利」は人間を不幸にするのですか?(2) / 佐倉統
3・11大震災から[その1]

行ったり来たり(6) / マイケル・エメリック
遠く、近く

天下無敵 第十回 / 佐藤卓己
筆は剣よりも強し

文体百般 ことばのスタイルこそ思考のスタイルである 第三回 / 山本貴光
短い文――記憶という内なる限界

マチョ・イネの文化人類学(最終回) / 西江雅之
“異なる”ということ

レッドアローとスターハウス 西武と郊外の戦後思想史 第十二回 / 原武史
「ひばりが丘」から「滝山」へ(1)

親鸞と日本主義 第七回 / 中島岳志
自力の超克

チキュウズィン(0087-0090) / 木内達朗

考えない(36) / 宮沢章夫
映画バカ繁盛記

考える短歌(33) / 俵万智

帰国日記 最終回 / 加藤典洋
[三月十日~五月五日]

▼ Plain living

京都寺町お茶ごよみ(10) / 渡辺都
甘く冷たいグリーンティー

日本のすごい味(13) / 平松洋子
江戸前の鮨[前編] 東京・人形町「喜寿司」

私の暮らしかた 第二十三回 / 大貫妙子
東北の森へ

娘と私(28) / さげさかのりこ
今日が明日に、

みちくさ絵本(25) / おーなり由子
シオちゃん

考える手(35)
ジョージ・ナカシマの椅子

▼ Graphic special

ニッポンの里山(3) / 今森光彦
岩手県下閉伊郡岩泉町

動物たちの惑星 第十六回 / 岩合光昭
[アメリカ6]

※今号、津野海太郎「花森安治伝」は休載いたします。

編集長から

文章家としての梅棹忠夫
「考える人」編集部

 梅棹忠夫は「ひと言」で捉えにくいスケールの持ち主ですが、私にとってはまず文章の人でした。
 中学生の時に読んだ『モゴール族探検記』が最初の出会いなのですが、何といっても強烈な衝撃を受けたのは、大学時代に『文明の生態史観』を手にした時です。「戦後思潮にとってコペルニクス的転換をひき起こした」(粕谷一希)といわれる斬新な内容にも驚かされましたが、魅了されたのはその文体でした。まず書き出しはこうです。
〈トインビーというひとがやってきた。歴史家として、たいへんえらいひとだということだ。その著書は、いくつか翻訳がでているので、わたしも、そのうちのふたつをよんだ。『歴史の研究』簡約版と、『試練に立つ文明』とである。ふたつとも、じつにおもしろかった。これは偉大な学説だとおもった。
 しかし、それですっかり得心がいったというわけではない。わたしもわたしなりに、ひとつのかんがえをもっていたが、それがトインビー氏の説で、すっかりうちこわされはしなかった。わたしは、トインビー説に感心はしたけれど、改宗はしなかった〉
 実に平明で、誰にでも分かる文章です。歯切れが良くてパンチがあって、颯爽としています。これは一九五七(昭和三二)年の「中央公論」二月号の巻頭を飾った記念碑的論文ですが、総合雑誌の(とくに学者の手になる)論文というのはもってまわったような悪文が横行し、“難解さ”を売り物にしているのではないかというのが定評でした。梅棹の文章は、その対極でした。明快であり、かつトインビー先生なにするものぞという気概と自信に溢れています。アカデミズムの権威を楯にするのではなく、自分の頭で考え、自分の言葉で堂々と真っ向勝負を挑む、実に爽快な印象があります。
 これに似た読後感を味わった作品といえば、江藤淳の『夏目漱石』が近いかもしれません。共通しているのは、滑走路を飛び立つときの思い切りの良さ、度胸だと思います。一般的に、学問や研究には地道な努力の積み重ねが必要です。私自身は苦手なのですが、そういう根気のいる勉強をいかにも愉しげに、天職のように続けておられる碩学にお会いする度に感銘を覚えます。その一方で、ただ「飛び立つタイミング」がつかめなくて、滑走路をいつまでも走っているだけのような飛行機を見ることもしばしばです。
 梅棹、江藤という人たちが際立つのは、その離陸の鮮やかさです。まばゆいばかりの直観力です。このふたりに相違点があるとすれば、江藤さんが二三歳で『夏目漱石』を書いたのに対し、梅棹さんは若い論壇デビューとはいっても三六歳です。年の功もあったのでしょうが、これほど挑戦的な内容であるにもかかわらず、気負いが一切なくて、とてもカジュアルな感じです。京都人気質に由来するところがあるかもしれません。
 唖然とするのは、「最後に、すこし裏話を」と断った後の文章です。論考をまとめるにあたっていろいろ教示を得た人たちの名前を列挙したのに続けて、
〈わたしが、西ヨーロッパおよび東ヨーロッパを実地にみていないことが、いまのおおきな弱点だ。できるだけはやい機会に、いってみたいとねがっている〉
 エッ、ヨーロッパに行かないでこれを書いたわけですか!?
 たまげたとしか言いようがありませんでした。しかし、この自由さ、のびやかさ、明るさ、軽やかさ――何とも魅力的ではないでしょうか。
 梅棹さんは、昨年七月三日に九〇歳で亡くなられました。新聞各紙は「知の巨人」「知の探検家」の死去を大きく報じ、「朝日新聞」の「天声人語」は「『知のデパート』の静かなる閉店」と書きました。足跡を辿り、業績を総合的にとらえようとすれば、そういう表現に集約されるのもよく分かります。
 しかし、梅棹忠夫の一番の魅力はと聞かれれば、それはつねに多くの人々を驚かせ、刺激し、勇気づけ、鼓舞し、そして時代を力強くリードした、知の躍動感だと思っています。その生き生きとした魅力を、いまの時代だからこそもう一度見つめ直したい。そう考えて取り組んだ今回の企画は、実に九〇ページの大特集となりました。
 編集にあたり、夫人の梅棹淳子さん、ならびに梅棹資料室の三原喜久子さん、明星恭子さんには格別のご協力をいただきました。また「ウメサオタダオ展」実行委員長の小長谷有紀さんはじめ国立民族学博物館の皆様にも厚く御礼申し上げます。
(和)

バックナンバー

雑誌バックナンバーの販売は「発売号」と「その前の号」のみとなります。ご了承ください。

雑誌から生まれた本

考える人とは?

産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースは plain living, high thinking(=シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)という言葉を書き遺しました。工業化と都市化の急速な進展のなかで、イギリス人が本来持っていたはずの plain living, high thinking を人々が失いつつあるのではないか、とワーズワースは感じ、嘆いたのです。

 ちょうどその頃、ロンドンに留学していた夏目漱石も、イギリス人が環境汚染に悩まされ、都市生活がもたらす不安とストレスにさらされる様子を見て、そこに日本人の未来像を予感していました。

 私たちの暮らしも生き方も、産業革命後の世界の上に成り立っています。さらに、IT革命という新しい大きな変革の波の上に私たちは浮遊しています。漱石の予感を上回る変化のなかで、私たちは生きているのです。

 暮らしにはモノも情報も溢れている。私たちが日々のなかで「考えている」のは、ほんとうに自分が考えたことなのか、疑い始めるとなんだか怪しくなってくることもあります。溢れる情報の何を選択し、何を捨てるのか。暮らしに大切なこと、不要なモノをどう判断すればいいのか。大きな変革の波は、私たちの生活に、頭のなかに、じわじわとしみこみ始めています。その大きな波のなかで自分の船をどのように漕ぎ出せばいいのか、途方に暮れることも少なくありません。

 ものの考え方と暮らしはウラとオモテのようなもの。暮らしぶり、生き方と無縁の「ものの考え方」はないはずですし、「ものの考え方」はその人の日常から切り離すことはできないはずです。plain living があってこその high thinking であり、high thinking あってこその plain living なのです。

 私たちは今ふたたび、ワーズワースの言葉を頼りにして、自分の頭で考える力を問い、シンプルな暮らしを考えるべき時間と場所へたどり着いたのかもしれません。

 たまにはテレビを消して、身の回りも整理して、一人の「わたし」に戻り、自分の言葉と生活を取り戻したい。溢れるモノや情報をいったんせき止めて、ひと息つきたい。思考する頭に新鮮な空気を送り込みたい。そんなあなたのために用意する、小ぶりの静かな部屋に季刊誌「考える人」はなりたい、と考えています。

創刊編集長 松家仁之(まついえ・まさし)