| 
小説『桃尻娘』でデビューした橋本治さんはおととし還暦を迎え、昨年、ゴミ屋敷の主である老人を主人公に小説『巡礼』を発表しました。『巡礼』は戦前・戦中・戦後と激しく変転していった日本社会を、ひとりの男がどのように生きて、そしてその果てになぜゴミ屋敷へと至ったのか、その内面に深く降り立って書き上げた小説です。
老年とは、いま現在だけではなく、生きてきた過去すべてを含むものなのだ、その時間を見ることによって、目の前の人物がまったくちがう顔を見せる、ということを、この小説によって改めて知らされた気がします。まだ61歳で、老年期の入り口に立ったにすぎない橋本さんに、これから体験するであろう老いと、平安から江戸、明治、そして現代へと至る日本人の老年観についてお話を伺いました。以下に少しご紹介しましょう。
 |
私の祖母は四十代でおばあちゃんになったので、人生の半分おばあちゃんだった人です。……子どもは、おばあちゃんが死んだらどうしようとか思っちゃうわけ。だって「おばあちゃん」だと思っているから。でもよく考えてみると、たいした年じゃないんですよ(笑)。人間は、年によってじいさんばあさんになるのではなく、関係性のなかでじいさんばあさんになるんですね。祖母が亡くなったのは八十すぎだから、私はかれこれ四十年近く、おばあちゃんが死んだらどうしようと心配してたことになる(笑)。
滝沢馬琴、葛飾北斎、鶴屋南北、この三人は、みんな五十頃から才能を開花させている。当時の五十はいまでいうともっともっと老人で、七十くらいだろうかなんて考える人がいるけれど、それは意味ないと思うよ。当時の五十はいまでも五十なんです。北斎なんて九十くらいまで生きてたんだから、五十が今の七十なんていってると、九十の北斎は二百歳くらいになっちゃうでしょ(笑)。
年とった人が、年とるとこういうものだというのを聞いていてうそっぽい気がすることがあるのは、その人が「年をとるということは未知のことだ」とあまり意識していないからじゃない? 年をとることってやっぱりわからないと思う人の、その年のとり方のほうが、正しい気がする。
|
橋本治さんが老年を語る、「年をとるって?」をお見逃しなく。
|