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そうだったのかキリスト教美術

作成者:芸術新潮

芸術新潮
「芸術新潮」2017年8月号

 広島弁で新約聖書を翻案しながらキリスト教絵画を読み解く。それが「芸術新潮」2017年8月号の特集「新・仁義なき聖書ものがたり」の試みだ。イエスの生涯はマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネによる4つの福音書に綴られているが、それぞれ内容が微妙に異なるのでややこしい。画家たちはその中から絵になる場面を選出、あるいは組合せ、そこに想像力を加えて描いた。広島弁で解きほぐすと、その絡み合った関係が分かりやすく面白く理解できるから不思議だ。

 宗教と美術は切っても切れない関係にあり、そのつながりが見えてくると宗教画や教会建築はもっと楽しめる。下記にご紹介する書籍も、そんな知的欲求を満たしてくれるものばかり。展覧会に足を運んだり、海外旅行に出かける前に、ちょっと知識を得ておこう!

あっと驚く構図に超細密技法で、16世紀フランドルの無名の人々の営みを写し取った天才画家。

聖書の世界 ヒエロニムス・ボスなど先人画家への挑戦

[本書 目次より →目次へ]

裏切り者はユダだけじゃなかった!

「わたし、わかったの!」と、ある日、友人が叫んだ。「日本人が印象派の絵ばっかりもてはやすのはね、宗教画がわからないからなのよ!」

[檀ふみ/「わかった」ことと「わからない」こと 「波」2003年1月号より →全文へ]

ロマネスクの荘厳な教会、美しくも苛酷な自然、豊富な海産物とワイン……。

全800キロにもおよぶ巡礼の道には「中世」が今も生きている!

その親密な空間や、おおらかで活気にあふれた壁画や彫刻などで、私たちの眼を愉しませてくれる。

ロマネスクを巡る旅は、すなわち田舎の美しい風景と、おいしい郷土料理を満喫する旅でもあります。

[担当編集者のひとこと より →全文へ]

人類が最も壮大かつ華麗な建築をめざしたゴシック期の金字塔を巡る、9都市の旅ガイド。

「大聖堂へ来たからには、尖塔までのぼるべき」

[担当編集者のひとこと より →全文へ]

中世のシチリアと南イタリアは、アラブとヨーロッパ世界をつなぐ「知の発信地」だった。

一度でもその伸びやかな美にふれたなら、きっと同好の士になってくれるはず、と願っています。

[本書より →立ち読みへ]

フィレンツェでいちばん眺めのよい聖堂は? ピサの斜塔はいつ傾いた? シエナはなぜ「聖母の町」なのか?

「古代復興」という考え方はけっしてルネサンス期に特有の概念ではありません。中世人も、古代ローマに憧れを抱き、彼らなりの方法で「ローマ風」の建築や美術をめざしました。

[担当編集者のひとこと より →全文へ]

北と南、東と西の民族・文化が交差した中世の北イタリアは、「ヨーロッパ」の原点だった。

中世の美術には決りごとがありません。自由です。奔放です。教会の「実用品」として、人々の心に(眼や頭ではなく)いかに響くか――そのことに一途な美術なのです。

[本書より →立ち読みへ]

中世の北イタリアをただ都市民の歴史と考えると、その豊かな歴史の重層性を見失ってしまう。北イタリアは、地中海、北ヨーロッパ、そしてユーラシアとの接触の歴史が刻み込まれた地域なのである。

[本書より →立ち読みへ]

ここは世界最小の国家にして、歴代教皇と天才芸術家たちが築き上げた美の殿堂、そして比類なき祈りの空間。

人間にとって宗教とは何か、芸術とは何か――。ローマに暮らし、「神の代理人」たちと向き合ってきた作家が語る、ヴァチカンの相貌。

[本書より →立ち読みへ]

知識より感情を、写実より形の自由を優先する新たな表現が、各地でいっせいに花ひらく。

なぜ人は彫刻や図像を見て、かわいいとか怖いといった根源的な感情を覚えることがあるのか

[保坂健二朗/複合的な視点で見る、美の生命性 「波」2015年9月号より →全文へ]

絵本かアニメから抜け出たようなイヌとウサギ。これが今からおよそ900年も前の彫刻とは。しかも、キリスト教の聖堂に刻まれたものなんです。

[イヌとウサギと太宰治……|担当編集者のひとこと より →全文へ]

なぜゼウスは、女性にもてたのか? どうしてダビデは、素っ裸なのか? 聖書の読みどころはどこ?

キリスト教についてのさまざまの知識を、信仰という立場からではなく、一つの文化現象をとらえるという立場から探求してゆこうというのが、この本の狙いである。

[本書より →立ち読みへ]

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