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立ち読み

2010年2月号

ボート
ナム・リー、小川高義/訳

たった一人難民ボートに乗り込んだ少女の極限状態の十二日間。重い荷を背負って生きてきた父への切ない愛情。そしてヒロシマやコロンビアで、ふいに断ち切られてゆくいくつもの命。自身も生後三ヶ月でオーストラリアに渡ったベトナム人作家による、注目のデビュー短篇集。プシュカート賞、ディラン・トマス賞ほか多数受賞!


平松洋子/青さと芳しさのあいだ


 まだ青みがかった洋梨を掌にのせると、皮と実がぴっちり密着して硬質な感触を伝えてよこす。じゃあ、もうすこし待ってから。いったん棚のうえに置き直して忘れていると、ある瞬間、針が振り切れたように瑞々しい芳香を放ちはじめる。機は熟したのだ。
 まだ、と思ったのに、もう。いつのまにか位置が逆転していることに気づいて、たじろぐ。すでに熟したものは、今度はこちらが追いかける番なのだ――一九七八年生まれ、若い未知の作家ナム・リーの手による短編七篇を読み終えたとき、そのような関係の変化を味わった。もちろん、追いかけることになったのは、読むわたしのほうである。
 七篇の構成にしたたかさを感じる。なにしろ冒頭の一篇、アイオワに住む作家志望の息子のもとへオーストラリアから訪ねてくるのは、ボートピープルだったベトナム人の父親なのだから、ナム・リー自身の境遇とまるでそっくりなのだ。息子は苦闘のすえ自分の家族の物語を完成させるが、父親はその苦心作を読み終えるや、おどろくべき行動にでる。その衝撃が第一篇の意表をつく幕切れ。
 意図をもって、みずからの現実と重ね合わせた設定である。ナム・リーは生後三ヶ月め、両親とともにボートピープルとして国外へ脱出、マレーシアの難民キャンプを経由してオーストラリア・メルボルンで育ったのち、アイオワ大学に学んで作家の道を歩みはじめた。この第一篇のにがい結末は、作家としての自分を突き放すような印象をあたえて戸惑わせるけれど、油断してはならない。そこに潜んでいるのは、作家個人の現実との重なり、または、恣意的なずらし、巧妙な計算だ。
(わたしはボートピープルの肩書きをつけたまま読まれたくはないのです)
 ナム・リーの声が聞こえてきそうだ。若いといえば、むろん若い。しかし、青さも硬さもまず味わってみることだ。好奇心を刺激されて、つぎの一篇へすすむ。
 七篇の舞台は無国籍に空間移動する。コロンビアの町、メデジン。ニューヨーク。オーストラリアのハーフリード湾。ヒロシマ。テヘラン……読者を楽しませる趣向いっぱい。しかし、すぐに気づく。この空間移動はナム・リー自身が生まれたベトナム、育ったオーストラリアから羽ばたく姿でもある、と。
 どこへ辿り着いても生きていかなければならない。だからこそ、知る土地にも知らない土地にも等距離な感覚を抱く――生後三ヶ月で背負ったボートピープルとしての宿命は、まちがいなくこの短編集に色濃く投影されている。
 それぞれの土地には、周到な取材を下敷きにしたであろう独自の時間と空間が描きだされる。コロンビアの殺し屋の世界に生きる少年。うつくしいチェリストに育った娘に再会しようとあがく老画家。恋愛に傷ついて、テヘランで政治活動に打ちこむ親友をたずねる女性弁護士……鬱屈をかかえた登場人物たちが、それぞれの靴音を鳴らして土地を歩き動く。そして、ヒロシマの少女「小蕪」。日本人の読者にとっては、わたしたちの記憶の奥底に沈むあの暑い八月を描く一篇が作家の手腕を読みとる手がかりになることも、おもしろみのひとつだろう。
 いよいよ第七篇、表題作「ボート」。東南アジア沖へ漕ぎだした一艘のボートは「死者の海域」へ入ってゆく。百人の難民のなかに紛れこんだ少女マイが、ひとりで遭遇する怖ろしげな闇。鼻を突く匂い。ベトナム語のやわらかな抑揚に彩られた歌声。マレーシアに漂着したとき、生者は半分しか残っていない。待ちわびた上陸直前、少女の胸をふかく抉った痛みとは。さいごに待ち受けていた一篇は、生死の境界をみごとに描ききっていた。
 なだらかな曲線をまとう洋梨。この芳しい果実は、硬さと芳醇のあいだを行き来する。『ボート』には、その洋梨のうちがわで起こる大胆な振幅に通じる魅力がある。

(ひらまつ・ようこ エッセイスト)

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