新潮 くらげバンチ @バンチ
対談 vol.2 特撮のような"合作"


とり なぜヤマザキさんと僕が合作することになったのか、そのあたりのことをお話ししましょう。「原作者+マンガ家」というコンビは多いけど、マンガ家同士の合作というのは少ない。僕は何度か経験ありますが。

マリ はい。私は初めての経験です。

とり 話は『テルマエ』まで遡るんだよね。『テルマエ』の連載が終盤に差し掛かった頃、僕はマンガの連載が全部終了していて、いくらか時間がありました。その前にヤマザキさんが「古代ローマの背景が描けるアシスタントを募集します」というツイートをしていて、そのときはスルーしたんだけど......。

マリ それでまあ、いろいろあって......。物語がクライマックスに差し掛かり、古代ローマの遺跡など細かな描写が必要な画が多く、「一人だときついなあ」と思っていたところに、とり先生に「お手伝いしましょうか」とおっしゃっていただいて。

とり そうは言ったものの自分の画をヤマザキさんが気に入ってくれるかどうかわからないから、試しにいくつか描いたものを送った。

マリ それを見て私は腰を抜かしたわけです。「なんじゃこれ!」って。とり先生から届いた画を周りのイタリア人に見せたら、みんな驚いちゃって、「こいつは本当にジャポネーゼか!? マリ、あなたはもっと絵をがんばらなくてはいけないよ」と......。古代ローマのマンガを描いたこともなければ、趣味でその方面の勉強をしているわけでもない人が、ここまで再現率の高い画を描くのかと心底驚きました。で、次に同じ古代ローマを舞台にした『プリニウス』を描くのだったら、ぜひとり・みきを誘おうと心に決めたのです。とり先生には『山の音』や『石神伝説』という日本の民俗学や神話をテーマにした著作があったから、プリニウスの『博物誌』的世界もきっと面白がってくれるはず、という予感もあって、「ご一緒しませんか?」と聞いたら「やりましょう!」と即答。

とり それが二〇一二年の暮れのことですね。翌年に「新潮45」という総合誌で描くことが決まって、九月にイタリアまで取材に行って、連載が始まったのが二〇一三年十二月。

マリ 私がお誘いした時に迷いはなかったのですか。

とり 『博物誌』は面白そうだなと思ったので、迷いはありませんでした。逆に訊きたいんだけど、プリニウスをマンガにしようとすると、最期は確かに派手だけど、薀蓄ばかりの動きのないマンガになってしまう危険性もある。そのあたりの腹案はあったの。

マリ はい。プリニウス自身についての記録が少ないのが、かえってラッキーだなと。逆にそれは自由にイメージを膨らませて描いてもいい、ということ。古代ローマの歴代皇帝など記録がしっかり残っている人物は、ある程度史実に忠実にやらないと突っ込まれてしまうし、描く方もそれに囚われて自由に描けなくなっちゃいますが、『プリニウス』は大丈夫。

とり 二人の合作の工程について、ちょっと話しましょうか。ヤマザキさんはイタリア、僕は日本に住んでいますが、いまはマンガはデータでやりとりできる。まずヤマザキさんがネームをつくって、それを見ながら二人で議論して訂正や変更が入る。作画ではヤマザキさんが主に人物の画などを担当して、僕は建築物や自然描写など古代ローマの風景を描き、仕上げのエフェクトもつける。そのとき僕が秘かに楽しみにしているのが、二人の絵を「合成」する瞬間です。もともと二人の画はタッチもニュアンスも違うものですが、それを出来るだけ違和感を持たせないように自然に溶け込ませて一つにする――この作業が何とも楽しい。子どもの頃から特撮が好きで、とりわけ日常ではあり得ない画面が「合成」によって作品の中に現出してしまう瞬間が好きだった。そんな少年時代の夢は「特技監督になる」で、それがこの作品でちょっと叶った気分(笑)。
 特撮がらみでいうと、この第一巻の四話で半魚人のような謎の怪物が海から現れます。ヤマザキさんの最初のネームでは、あの「半魚人」はセリフだけに登場してたんだよね。

マリ 最初は、夢か本当かわからない描写にしようと。

とり それを見て僕は、「ここは思い切って実体化しよう」と。つまり、『博物誌』に書かれているものについては、この『プリニウス』の世界では"事実"なんだと。プリニウスが実際にその怪物を見たのかどうか、実在を信じていたのかどうかはわからないけれど、このマンガではその"虚"と"実"が同居していてもいい。

マリ そう決めて、とり先生が描いたあの怪物の画を見たとき「ああ、やっぱりこの人と一緒にやってよかった」と思いましたね。マンガでしかできない表現があの画に集約されていると思います。文字だとあの世界観は表現できないけど、マンガならばイメージを具象化できる。おそらくプリニウスがあの画を見たら、喜んだでしょう。私は史実の方に重点を置いてしまう傾向があるけれど、とり先生はポーンとその虚実の境界を飛び越えてくれるので、そこはやはり「合作」ならではの成果だと思います。

 

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