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第2回 新潮エンターテインメント大賞

主催:フジテレビ・新潮社 発表誌:「小説新潮」

 第2回 新潮エンターテインメント大賞 受賞作品

ミサキへ

※「100万分の1の恋人」に改題

榊邦彦

 第2回 新潮エンターテインメント大賞 候補作品

 ミサキへ※『100万分の1の恋人』に改題 榊邦彦
 夢屋 岡崎多加志
 元禄仇討ち異聞 神室磐司
 金沢城下才川有情 早瀬徹

選評

浅田次郎

浅田次郎アサダ・ジロウ

渇望と情熱

 先人の言に順えば、新しい才能は褒めちぎって育てなければいけないそうだが、かくも新人賞が増え、なおかつ小説を書くための補助機器がかくも行き渡れば、そう甘いことも言ってはおれまい。全体の水準が著しく低下しているのだから、無理に褒めれば人生を踏み迷わせる。
 受賞作を出したくなかったというのが、私の本音である。しかし選考委員がひとり、しかも昨年創設されたばかりの新人賞ともなれば、受賞作ナシの結論は見識というよりわがままであろう。よって絶対的基準ではなく、候補作相互の相対的比較に則って、榊邦彦氏「ミサキへ」を推した。
 この作品がはたして私小説であるのか、フィクションであるのか、あるいは一人称を用いたノンフィクションであるのか、私は大いに悩んだ。賞の名称が「エンターテインメント新人賞」である限り、どうでもよいことではあるまい。もしノンフィクションであるなら、「エンターテインメント」の語意をいかに拡大解釈しようと、受賞作としては不適当である。すこぶる類型的な登場人物、恋愛と病以外の社会的苦悩を無視した環境設定、といった点から考えてフィクションと断定したが、だとすると大団円にあたる後日譚の部分は書き過ぎであろう。読者に対して、「これは本当にあった話なのですよ」と念を押したことになりはすまいか。
 もっとも、この部分で作者は人生の黒白をつけぬ処世術という、きわめて独創的な結論を提示しているわけであるから、一概に蛇足とは言い切れぬ。むしろ皮肉なことに、私がこの作品に唯一の独創性を見出した点は、蛇足とは言わぬまでも禁じ手にはちがいないこの最終部分であった。
 しかしながら、全体的な完成度においては、他の三作品に較べて一日の長があった。将来の小説家を生むという新人賞の使命からしても、現時点でその可能性があるのはこの作者だけであろう。また趣味道楽の域を越えて、みずから小説家たらんとする渇望を感じさせるのは、この作品だけであった。前途は必ずしも約束されているわけではないが、情熱のあるところ思いがけぬ地平も開けるであろうと信じて、推挙することとした。
 早瀬徹氏「金沢城下才川有情」は、読みながらしばしば感心した。季節感の豊かな風景描写、説明的でない歴史知識、地域を特定しながら郷土自慢に落ちぬ普遍性、等々この作者は既成作家でもともすると忘れがちな、いわば小説の宝物をたくさん抱えている。
 ただし、致命的なことにはまことに近視眼である。つまり細部の描写には卓越しているのだが、いくらか目を引いて読むと全体の構築力に欠けており、まるで長篇小説の冒頭部だけを読んだような気になる。
 まず明確なテーマを据え、それにふさわしい人物を選定し、ストーリーを組み立てる。この手順が逆になると、うまいへたはともかく物語は均衡を失う。そうした小説作法さえ呑みこめば、この作者はおそらく新人らしからぬ佳品が書けるだろう。
 同じ時代小説でも、これと対蹠的であるのが、神室磐司氏「元禄仇討ち異聞」であった。
 ストーリー・テリングが実にダイナミックで、読み物として退屈させないかわり、ここぞという細部には無頓着なのである。ために時代の空気や生活感に欠け、読者を作品の世界に呼びこむことができない。
 さきの早瀬氏が「内向点描型」であるとするなら、こちらはさしずめ「外向拡散型」で、お二人が合作すればすばらしい小説になるのではあるまいかと思った。しかし、小説はひとりで書くものである。
 たとえば、本筋の仇討話と赤穂浪士の話は、小説全体を俯瞰すると合理的な融合性がない。別々の短篇に仕立てればよさそうなものを、強引に合体させたあたりに、物語をよりダイナミックに演出しようとする作者の指向性が明らかである。慎重に、計画的に、よく考えて書くことを覚えれば、突如として大化けするかもしれない。
 岡崎多加志氏「夢屋」は、読み口のよいファンタジーである。中国の話らしいがあえて中国的な人物も風景も描かず、どこでもいい任意の時代と場所、という設定はそれなりに成功している。
 いわゆる「枕中記」の民譚は類するもの数限りないが、夢を買う者の視点から書くのがこの際の定石であって、夢を売る側が語ってしまったのでは話になるまい。ミステリー小説でいうなら、真犯人がのっけから犯行を暴露してしまったようなものである。
 受賞作を含めて私が痛切に感じたことは、応募原稿のぞんざいさであった。パソコンもコピーもなかった時代に、一字の誤りにおののいて原稿用紙を破り棄てて書き直し、切り貼りなどしたことを思い出す。小説とは、小説家とはそういうものだと、私は信じていた。

選考委員

過去の受賞作品

新潮社刊行の受賞作品

受賞発表誌