新潮エンターテインメント大賞



第二回新潮エンターテインメント大賞


受賞のことば


言葉を紡ぐということ

『ミサキへ』のストーリー・登場人物・団体は、いずれもフィクションであるが、ハンチントン病という病気は実在し、現代医学でも不治の難病である。

 この難病の発病のリスクを背負った女性を題材に、小説を書くことについて、執筆前・執筆中、そして執筆後も、自分の中で、いくつもの煩悶があった。
 自分のように、ハンチントン病と、まったく関係のない立場のものが、単に「書きたい」という動機で、この病気に苦しむ人を題材に小説を書くなどということは、ひどく不遜なことなのではないか。実際に、この病気に苦しむ方々にとっては、モデルにされること自体、とても不愉快で、許しがたいことなのではないか。自己嫌悪にも近い、疑問や悩みが、いくつもいくつも自分の中で、巡り続けた。

 その過程で、自分が思った一つ目の覚悟は、
「病気を背景にしてはいけない」
 ということだった。
 病気について、真摯にまっすぐに見つめることからしか、この小説を書くことは始まらないと思った。軽々しい気持ちで、この病気を作品に描くことは、決して許されることではない。

 一方で、書き進める中で抱いた二つ目の思いがある。
 もしかしたら、一つ目の覚悟とは相反するものかもしれない。
「病気そのものを書く小説であってはならない」
 という意識だ。
 この病気に苦しむ人を描くことによって、その向こうに、人間の生き様や人間の魂について、何か問うものになっていかなければ、いけない。
 それが、本当の意味で、この病気を題材に小説を書かせていただくことに対する自分の答えのようにも思った。
 もしかしたら、いよいよ驕った気持ちだったかもしれない。
 しかも、実現しているかどうかは、ひどく心もとないところではある。

 実際、原稿を読んでもらった友人には、涙を流して抗議をされた。
 何かをモデルにして書くことの難しさを、何度も何度も痛烈に思い知らされ、その度に、書き直し続けた小説だった。

 加えて、医学的な部分について誤りがあっては決してならないし、当事者の方々に対して、読者が誤解を招くような表現があってはならない。
 その配慮も書き手としての当然の責務であったろう。自分なりに、出来る限りのことはしたつもりだが、それでも不十分なところもあるかもしれない。この場を借りて、お詫び申し上げたい。

 今回、「第二回新潮エンターテインメント新人賞」受賞のご連絡を頂いたときは、数多くの応募作の中から、私の作品を選んでいただけたことが、奇跡のようで、嬉しさに舞い上がるばかりだったが、今は、覚悟と責任に身が引き締まる。

 言葉を紡ぐことは、とても怖ろしいことだと思う。
 見えないものを形にすることもできる。命のない事物に命を吹き込むこともできる。そして、人を傷つけることもできれば、人を救うこともできる。
 今までも、自分なりに考え続けてきたことではあるが、『ミサキへ』は、自分に、「言葉」を紡ぐことの罪と可能性とを突きつけ続けた小説だった。
 自分の言葉は、これからどのように進んでいくのだろう。
 拙くても、言葉の可能性・人間の可能性を誠実に見つめた言葉を記していきたい、今、切実にそう思っている。

 今回、私の小説を受賞作に選んで下さった浅田次郎先生、本当に有難うございました。
 また、至らない自分を、いつも励まして支えてくれる、家族・友人に心から感謝します。
 本当に有難う。
 言葉にはなりません。

 最後になりましたが、『ミサキへ』の主な舞台は、二〇〇〇年頃を設定しています。
 今後、ハンチントン病の研究が進み、一刻も早く、ハンチントン病を根治する治療法が開発されることを祈ってやみません。



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