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受賞のことば

小説に命を捧げる

ほんの四、五年前まで本が苦手だった。嫌いだった。
だって文章なんて誰が書いても同じものだと思っていたし、そもそもページの両開きに活字の大群が列を成し密集している様子は、まるで落としたアイスキャンディーに集まる不気味な羽虫を彷彿とさせ、恐怖さえ感じていた。国語の教科書を捲るたびに絵はないのか、と愚痴り、授業時間外に本を読んでいる生徒がいるとすれば、それは狂人だ、と決め付けるほどだった。
そんなことより私はストリートダンスに惚れ込んでいた。中学生の頃から夜な夜なクラブに出かけるような悪い子だった。でも体を動かすほどに、ダンスという完成された表現は世界を救う唯一の手段だと信じて疑わなくなった。世界中の誰もがたった一つでも同じ踊りができれば、それこそが平和だと思った。だから真剣に上手くなろうと努力した。
ところが限界がくるのは早かった。私はもともと心臓に爆弾をかかえていたのだ。親指サイズのモーターを積んだミニ四駆でF1に出場しようといくら足掻いても、それは無謀と言わざるを得なかった。私は表現の世界で生きていきたいのに、すっかり希望を失ってしまった。
しかし新たな希望の始まりは些細なことからだった。大学生になると毎日の通学に要する時間が多くなり、その三時間があまりにも暇になったのだ。だから流行りに乗って小型のミュージックプレイヤーを耳に嵌めてみたり、離れた位置にいる乗客たちの会話を脳内でアテレコしたり、ひたすら眠ったりと、とにかく自分なりに時間を潰してみた。けれど、どれも長続きしなかった。心地好い車内のノイズが聴こえなくなるのは不愉快だったし、眠ると必ず首を痛めた。
救世主を求めて、しかし私は気軽な気持ちで本屋に立ち寄り、小説を手にした。
早速、通学する車内で本を拡げてみる。
感想を陳腐な言葉で片付けるならとても面白かった。感動した。身震いした。一通り読み終えて辺りを見渡せば、周りには意外にも文庫本を持った乗客が多いことに気付いた。一車両にたぶん五人以上はいた。活字離れが問題視されているはずなのに、結構みんな本を読むじゃないか、と感心した。そして彼らと一緒になって読んでいると、なんだか自分も知的な民衆の仲間入りができたような錯覚に陥って、それだけで幸せになり、わくわくした。日増しにうきうきした。
うきうきを繰り返すうちに、やがて真剣に、大好きな女の子に恋をするように本にのめり込んでいった。学業が疎かになるほど、活字を貪った。眠りに就くまで本と共に過ごした。超面白いじゃん小説、と手を叩いて笑ったりした。良い作品に出会えばその装丁を飽きるまで撫でまわし、そうでなければ、くそお、悔しいぞーと唸ったりもした。そのうちに、私はようやくあることに気付いた。
ああ、自分のやりたいことはこれじゃないか、と。
そして、私にはすべてを投げ出して小説に命を捧げる決心がついた。大学を卒業し、就職したのにたった二カ月で仕事をやめ、信じられないほど安月給のアルバイトを始めて、とにかく時間を作って書いた。もっと書いて書いて書きまくろう、と意気込んで文字を生産していた矢先、今回の受賞があった。この道は奇跡的に最短だった。本当に感謝だ。
いまは感謝しか出来ない。
私の敬愛する画家の一人に、錯視芸術界の巨匠マウリッツ・エッシャーがいる。彼は最高の芸術家だ。実際にはありえない世界をまるでそこに存在しているかの如く、計算しつくし、まことしやかに描き出す。私はいつか、この世界でエッシャーのようになりたいと思う。バカ野郎、何を生意気な、と思う方もいるだろう。ええ、私も同感です。だけど、なりたいのだ。そのくらい大きな目標は今のうちに言っておきたい。
エッシャーの信念の一つである「秩序と混沌の対比」というのが、今作品『ベンハムの独楽』のテーマだ。そしてこれが私のスタートになる。先陣を切るには相応しい作品だ。
尊敬する作家の荻原浩氏をはじめ、いままで私と関わったすべての方々に、感謝をしている。もう心から、それはそれは猛烈に感謝をしている。
あなた方がいなければ、私は小説に陶酔し、傾倒し、溺愛することはなかった。お返しに世界平和を叶えることはできないけど、代わりに心の隅っこに植え付ける小さな感動ならプレゼントできるかもしれない。
というわけで、どうか今後ともよろしくお願いします。

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