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第12回 日本ファンタジーノベル大賞

主催:読売新聞社 清水建設 後援:新潮社 発表誌:「小説新潮」

 第12回 日本ファンタジーノベル大賞 受賞作品

優秀賞

仮想の騎士

斉藤直子

 第12回 日本ファンタジーノベル大賞 候補作品

 涙姫 奥野道々
優秀賞 仮想の騎士 斉藤直子
 こいわらい 松之宮ゆい
 場違いな工芸品 大濱真対

選評

荒俣宏

荒俣宏アラマタ・ヒロシ

二十一世紀の小説をめざして

 二○○○年度の候補作四編を読了して、最初に思ったのは、時代の変化だった。
 ファンタジーがどんどん軽くなっている。軽くなっていること自体は、たいへんによいことだと思う。二十世紀前半の重苦しい文学から手を切った、あの天馬のごとき身軽さは、ファンタジーがもたらした大きな「変化」だからである。しかし、どうもそれだけではなくて、軽さが甘えにすり替わり、一人よがりになっている部分もあるようなのだ。
 そういう意味で気になったのが、「涙姫」と「場違いな工芸品」だった。つねづねファンタジー・ノヴェルはデジタルのゲームを超える自在さとゲーム性を備えた新世紀ジャンルに大成し得ると思っていた。「涙姫」はそれに挑戦してくれた作品の一例だとは理解できる。しかし、このゲームは不毛すぎる。自分の気に入ったキャラクターに置き替えてゲームが繰り返されても大きな変化は望めない。といって堂々めぐりの恐ろしさを問題にしたわけでもなさそうだった。
「場違いな工芸品」も、空中に浮かぶ球体が単に宇宙人とつながるだけではふつうのSFに終わってしまいかねない。作者はそれを救うために、青年たちの心理と行動の変調にテーマを絞りこもうと努力した跡も見られる。文章も悪くないが、やはり「なんとなく軽いだけ」からもう一歩進みでてほしかった。
 ぼくの評価がよかったのは、「こいわらい」と「仮想の騎士」である。前者は、関西弁による軽い語りが巧みで、秘剣という時代ズレした題材も、よい意味で笑える。しかし狙い自体が幻想の追究にはなく、そのため体裁をファンタジーに仕立てようとしすぎて失敗した。これは堂々と、お笑い関西小説の道を歩むべきだった。「仮想の騎士」は今回の最高得点である。十八世紀のピカレスク歴史小説だが、そういったタイプにありがちな重さを吹きとばし、これまたカサノヴァに関西弁を使わせるなど、思い切った軽さが気に入った。テーマも前年度の大賞受賞作が扱っていた両性具有に注目し、錬金術思想から発して両性具有に永遠の生命を獲得する鍵をもとめるなど、仕掛けもおもしろかった。しかし、次の二点において疑問があり、大賞には推せなかった。現在の視点に立っての歴史評価をしすぎること、結末が弱いこと。とくに結末は、カリオストロにまでつなげるとストーリーがふくらみすぎ、収拾がつかなくなる。もっと手前で切り上げるべきだった。
 この賞がスタートしたとき、パラダイムが変化した世界を描く武器としてのファンタジー出現を、ぼくは願った。エンターテインメントとしても、ゲームより一歩先を行くおもしろさが誕生することを、祈った。だが、ここまでは予感に終わりそうだ。この祈りは二十一世紀に持ち越される。二○○一年度には、途方もなく軽くて、しかも深遠な、新しい才能が出てくることを信じる。

井上ひさし

井上ひさしイノウエ・ヒサシ

もっと大法螺を

 このところ、心理描写をくどくつらねて、物語の舳先を内側へ、内部へと向けて行く作品が多くなっているように見えるが、今回はこの傾きがいっそう強くなった。ファンタジーを志す気鋭の書き手なら、もっと景気よく、もっと堂々と、もっと華麗で構えの巨きな大法螺を吹きまくってもいいのではあるまいか。
 たとえば、小さな町が人口百万の大都会に成長する過程を書いた「涙姫」(奥野道々)。せっかくサンサンシティというふしぎな都市の輪郭を浮かび上がらせながら、その魅力と魔力と腐敗ぶりを、つまりその都市の本質を、ことばの力を用いて読者とともに摘出しようとはせずに、「ごっこ遊び」という手法で小さくまとめてしまっている。もったいない。
 ごっこ遊びの別名は、劇中劇である。そして劇中劇の形式を採用するときに、どうしても外すことのできない鉄則がある。まず、基本となる劇があり、次に、その劇がもう一つの劇、劇中劇を生み出す。もちろん初めのうちは、劇と劇中劇とは、画然と分かれていなければならないが、やがて劇と劇中劇はたがいに侵犯し合うのが定法だ。とくに基本となる劇が、自分の作り出した劇中劇の影響を受けて、次第に変容しはじめるというのが、ごっこ遊びの鉄則なのである。
ところが「涙姫」では、劇と劇中劇とは、最後まで行儀よく他人同士でありつづける。そのために巨大な塔になるはずだった物語が小屋のように小さくなってしまった。
「場違いな工芸品」(大濱真対)も同じ罠にかかっている。ある日、世界の五十八ヶ所に、日本では東京と愛知の上空に、銀色に輝く巨大な球体が浮かぶ。しかもその球体の下で、主人公の少年は、「私ね、宇宙からやってきたの」と発語する少女と出会う。途方もない発端である。いったいどんな壮大な物語が展開されるのか。固唾をのんで読み進むと、話は次第に青春学園ものに落ち着いてしまう。「アタマの上になにか常にかぶさっているような、うっとうしい、不透明な現代」を書こうとして奮戦している作者の姿勢に意欲を、また名古屋方言を巧みに駆使した会話の冴えには才能を感じるが、物語はうんと小粒になってしまっている。
「こいわらい」(松之宮ゆい)の導入部もまたすこぶる快調である。みなし子同然に世間へ放り出された名家の姉と弟。その二人の頼りない日々の描写のほどのよい感傷性。京言葉で織りなされる会話の滑稽味。さらに、姉は小脳失調という脳障害を持つ身でありながら、どういうわけか長さ三十センチの棒を持つとべらぼうに強いというふしぎな設定……ここまでは大傑作であった。しかし、物語の原動力が「ある個人の企み」というのだから、謎が解明されるにつれて話が細く小さくなるばかり。これだけ筆力のある書き手が、どうして自分の生み出した話を、自分で小さくしてしまうのか。残念である。
「仮想の騎士」(斉藤直子)も、物語に大きさがない。けれども、カサノヴァ、サン・ジェルマン、ルイ十五世、マダム・ポンパドゥールなど、実在の人物群を自在に使いこなしながら、あざやかで、きらびやかで、そして妖しい西洋講談を作り上げていて、その想像力に敬意をはらいたい。さらに、作者の頭の中で、書くべきこと、書かねばならぬことが、よく整理されているせいで、文章と語り方が律動的で、小気味がいい。登場するイタリア人が全員、関西弁でしゃべるという仕掛けなどにも才気が窺われるし、登場人物にいちいち洒落た後日譚を付ける手法も気が利いていた。主人公の両性具有性、つまり一人二役というおもしろい装置がもっとうまく使われていたら、掛け値なしの傑作になっていただろう。そこが惜しかった。
 おしまいに、候補作すべてに言えることだが、ご自分が得た発想をもっと可愛がって、うんと大きく育てていただきたい。どなたも、ご自分の発想を案外、粗末にしておいでのように見えるのだが。

椎名誠

椎名誠シイナ・マコト

低調ながら

「涙姫」。文章とその言葉の展開はうまいと思ったが同時にちょっといやらしい。それが計算のうちなのだろう。なにかぼんやりしているうちに饒舌にやられてしまう、という感じだった。ぼくはファンタジイやSFにはいつも設定された状況に対する作者の思考のトキメキや読者がこれからどうなるのだろう、と思ってとにかくついてくるアクロバチックな話の展開が欲しいと思っている。それらがこの作品には希薄だった。変な特殊な構造にせず、この話をそのままストレートに書いたほうが成功したのではないか。
「こいわらい」。不思議なタイトルでどきどきさせる。京都を舞台にした現代の怪しい武道譚。よくこんなことを考えつくな、というお話。設定と構成、という点で一番確実にしかも破天荒に思いどおり話をすすめている。しかしあまりにも思うままそのままで現実感がなくしたがって登場人物の顔がどうもよくみえてこない。終盤次々に驚くべき話の展開があり、波瀾万丈となるが、その謎的な話のすべてを解決しすぎてしまってかえって底の浅さを見せてしまったように思った。しかしいたるところでの発想の断片が面白く、才能のある人だと思った。
「場違いな工芸品」。風景としてはファンタジイだけれどお話はありふれた学園ものではないだろうか。長編ながら結局はワンアイデアの作品にとどまってしまったのはそのへんの融合がうまくいっていないからではないか。設定はSFで、どうしてこんなことになっているのだろう。ということに非常に興味がむくのだが、あえてその謎解きなどをしないというとぼけぶりがとてもいいのに、そのとぼけかたが学園もののドラマのファンタジイにつながっていかなかった。
「仮想の騎士」。達者な人だと思った。選考会のなかで「この作者は世界史の肝要なところをもう手の中にいれているね」という意見があり、世界史をあまりよく知らないぼくはほう、そうなのか、と感心した。絢爛たる登場人物とその舞台。いずれもクセのある一筋縄ではいかない登場人物をよくもまあこのようにテンポよくチョウチョウハッシと物語のなかで動かし続けたものだと感心するのである。
 話のテンポがはやく、登場人物も大勢でなんだか知らないが歴史の有名ブランドのなかでせわしなくいろんなことがおきているんだなあ、とびっくりしているうちに読みおえてしまった。それも技なのだろう。
 今回の四作品はぼくがこの賞の選考会に加わるようになってもっとも低調だったように思う。来るべき次世紀こそこうした、発想自由のジャンルが大きく動きだす時代ではないかと思うのに残念である。その意味で次回以降のとてつもなく夢とスケールの大きい傑作を期待します。

鈴木光司

鈴木光司スズキ・コウジ

うすわらい

 今年も去年同様、選評の直前まで台湾への長距離クルーズに出かけていた。戻ってすぐ選考会があるため、航海中に候補作を読まねばならず、四作品すべて持参しての航海とあいなった。全体的に中身が薄く、おもしろおかしく笑える作品ばかりで、波に揺れるキャビンの中で読んでも、船酔いにならずにすみ、有り難かった。総体的評価を一言で表現すれば、「うすわらい」といったところだろうか。
 さて、読んだ順に感想を述べていきたいと思う。
「こいわらい」は冒頭部分が秀逸である。小脳を失い、大脳がその機能を補完しつつある若い女性が、一体どのような人生を生きるのかと、興味津々で先を読んだ。だが、先祖代々から伝わる秘伝の剣技に磨きがかかったというだけでは、奇抜な設定が生きてこず、実にもったいない。脳にある種の障害を負ってしまった人間の、独自の神経器官による世界の見え方を描写して欲しかった。
「涙姫」はスタイルの面で大きな間違いを犯している。主人公の「ぼく」が、三つ子の女の子たち「ミゴ」が演ずる即興芝居に付き合わされるという設定がまずい。作者は新しいスタイルと意気込んだのかもしれないが、小劇団の脚本の域を出るものではない。「ぼく」と、様々な役を入れ替わり立ち替わり演ずる三人の女性がいれば、これは簡単に芝居になってしまう。小劇団の脚本としてなら、そこそこよくできていて、上演は十分に可能だろう。しかし、小説として見ると、このスタイルがダイナミズムを殺いでいる。サンサンシティがどんな街なのか、台詞ではなく地の文で描写してほしかった。もしスタイルを生かそうとするなら、三人のミゴそれぞれのキャラクターを描出した上で、役を演ずることによる葛藤と、葛藤から導かれる偶発性の物語を用意すべきであった。
「仮想の騎士」はフランス革命を目前に控えたフランスを舞台に、美男の剣士やカサノヴァ、錬金術師たちが動き回って、忙しいことこの上ない。イタリア訛りのフランス語を関西弁で表現するくだりは、まさに爆笑ものである。候補作四本の中ではかなり達者な部類に入るのだが、途中から話のテンポが早くなり過ぎるのが気になった。
「場違いな工芸品」はファンタジーというより、学園小説である。空に浮かぶ球体という小道具で、ファンタジー色を強く出そうと試みたに違いない。非日常が日常化していく過程を子供から大人への成長になぞらえ、青春の感傷をテーマとして出すなら、突如出現する非日常を、たとえば道路にできた巨大な穴ボコに象徴させることも可能だろう。UFOもどきを出現させたのは、応募する賞がファンタジーノベル大賞だったからではないかと勘ぐりたくなる。ただ、ぼく個人としては、作者のモチベーションや思いが心に伝わり、好感を持つことができた。書こうとする思いを大切に育んでほしい。次の作品に期待したいところだ。

矢川澄子

矢川澄子ヤガワ・スミコ

次世紀に希望をつないで

 ファンタジーノベル大賞もこれで十二年目だけれど、二○世紀の掉尾をかざるべき大賞級の作品は、残念ながらついに見当らなかった。候補作四点に目を通したときから、こちらとしては特に肩入れしたい作品もないまま選考委員会に臨んだのだが、他の選者諸氏もおなじ思いだったらしく、結局優秀作一本というところに落着いた。
 初回からずっと選に当っておいでの荒俣・井上両氏も同様の感慨をもらしておられたが、出発の頃はまだファンタジーノベルという概念規定すらもあやふやであって、それだけに選者・応募者ともにある緊張というか、あらたなジャンルの創出に賭けるといった意気込みがあったと思う。
 この十二年間の変動は俗にいうIT革命のそれとぴったり重なる。ざっとふり返っただけでも、当初はまだ東西の壁も残っていたし、インターネットもヴァーチャル云々といった言葉も、すべて九○年代半ば以後の流行なのだ。
 こうした社会全般の変化はこの賞の応募者たちにも微妙に影響しはじめているだろう。文学もしくはファンタジーの本質は古めかしい表現を使えば万古不易とわたしなどは思いたいが、早い話がこの賞の選考自体、いまでこそプリントアウトされた活字を読むことで成り立っているけれど、来るべき世紀にはどのようなかたちになるのかもわからないのである。
 個別評に戻ろう。まず優秀作にノミネートされた「仮想の騎士」。斉藤直子が実名とはとても思えず、筆名にしてはあまりにも曲のないだけにかえってある警戒心をそそられた。しかもこれだけの知識を自家薬籠中のものとしているとすれば、おそるべき歴史通といわねばならない。ただ、わたしとしては昨年度の重厚な大賞作品とおなじ両性具有の問題に関わるだけに、いま一息乗りきれず、博識のひけらかしといった印象を拭いきれなかった。この点はもしかして荒俣氏のいわれたように、現代の視点からする批評が多々まじることに基づくのかもしれないが。
 あと三本がいずれも男性作家の手になるとは驚きだった。ゆいとか道々とかいった性別不明の筆名で男性がこうした物語をカタ(語か騙か、いずれにしても)るとは、これも世紀末、というより末期的現象で、人間が自然からあまりにも遠離ってしまったことの表れでもあろうか。
 そうした中で唯一、名実共に男っぽい青春譜を刻んでみせたのは「場違いな工芸品」だったが、主題からいえば強いてファンタジーに仕立てなくてもよかったのではないか。「こいわらい」は快調な滑り出しで、剣術(道とはいわない)の知識にかけてはやはり舌を捲かせる。ただ最後に悪の根源が身近にあったというのは少々安直な気がする。のこる「涙姫」は閉鎖的環境に成り立つごっこ遊びで、一応は読ませたものの、ロリコン調が殿方の顰蹙を買ったようだ。ともあれ、初回以来維持しつづけたハードルの高さに十分耐えられるような大型の作品を、来世紀に期待しよう。

選考委員

過去の受賞作品

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