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第21回 日本ファンタジーノベル大賞

主催:読売新聞社 清水建設 後援:新潮社 発表誌:「小説新潮」

 第21回 日本ファンタジーノベル大賞 受賞作品

大賞

月桃夜

遠田潤子

大賞

増大派に告ぐ

小田雅久仁

 第21回 日本ファンタジーノベル大賞 候補作品

 鯨が飛ぶ夜 山田港
大賞 月桃夜 遠田潤子
大賞 増大派に告ぐ 小田雅久仁
 私小説 佐藤千
 化鳥繚乱 塵野烏炉

選評

荒俣宏

荒俣宏アラマタ・ヒロシ

意欲的な挑戦を歓迎する

 今回の候補作は、ストレートなファンタジーと変化球のメタフィクションとに二分された。こういう場合、私の役割は「癖のある分かりにくい作品」となるべく根気強く付き合い、「読めるファンタジー」としての可能性を掬い取ることが、暗黙裡に求められる。
 その内の一作、『増大派に告ぐ』が、個人的には今回もっとも歯応えある作品だった。この作品は、ひとことでいうなら、悪夢じみて理解不能の現実世界を「無理に理解しようとする」大勢派が、「妄想で抵抗する減少派」を抹殺する社会、を描く。しかも、一生懸命この小説を理解しようと努力するわれわれ選考委員を挑発するような書きっぷりだから、こちらも受けて立たなければいけない。ただ、この作品はひょっとして、主人公の妄想に引きずりまわされる「増大派」のほうこそが犠牲者なのかもしれない。主人公と家族の濃厚な関係がおもしろすぎるのだ。そこで、用心しながらストーリーを追うと、読者の警戒をあらかじめ想定したかのように、ファンタジーの構成をわざとギゴチなく狂わせてくる。地球破壊元素「クアトリウム」だの、宇宙船の船長だの、仰々しい虚構を並べたり、「増大派」の正体を隠蔽するというよりは放り投げるようなぞんざいな扱いをして見せるのだ。政治的アジテーションに似せたタイトルも、なんだかミスリードを狙った仕掛けに思えてくる。とはいえ、妄想の中にも現実にしっかりと打ち込まれた楔は必要だ。たとえば「闇の世界を見分けられる片目」の設定に、読者を真摯に驚愕させる役割や、結末での意外な効果を、もっと発揮させてほしい。それで、ひとつの物語を読了する満足感は、倍加するはずだから。この作品の長所は、ナイーブな少年の熱い妄想に付き合わされる実感に由来する、不思議な「無邪気さ」にあって、教条的な反体制小説に逸れなかった点だろう。
 もう一作、『私小説』に興味を感じた。この作品も、ある意味で前者と同じテーマに取り組んでいる。こちらは、自分を物語の駒として縦横に動かす「神」に対し、物語の登場人物である「私」が次元を超えて逆襲しようとする、「メタフィクション」だ。登場人物は、私とか彼とか呼ばれるが、書き手にとってはすべて「自分=私」である。そこで、冒頭から、いろいろな「私」が登場し、読者を混乱に陥れる。普通の作家なら、こんなややこしい話は書かないだろう。そこに敢えて挑んだ「こわいもの知らず」の蛮勇に、ほほえんでしまった。まだ十代の書き手と聞くが、ルイス・キャロルのような新感覚の寓話作家に成長してくれるだろうか。揃えるべき素材の下準備をし直して、再挑戦に期待したい。
 いっぽう、ストレートなロマンに分類した『月桃夜』は、ひさびさに重厚な奇談であり、これまでまともに取り上げられなかった奄美大島の歴史と人倫を興味ぶかく語りつくす。奄美の歴史は、運命の隙間を泳ぎ渡るしたたかさを持っていた沖縄と異なり、一方的な屈従の連続だった。そのなかで愛が成就されるとしたら、どういう苦闘が生じるかを、説得力ある筆で描く。そんな前近代の秘話を聞く役として、現代を生きる都会娘を登場させたのもナイスアイデアだった。だが、残念なのは、遠い昔と現代との異質な情勢同士が互いに切り結ばないこと。勝手に漂流した現代娘には救いがすぐに差し伸べられるのに、生きようと努力した奄美の恋人たちには一切の救いがなかった。この対比が物語の結末をさらに力強くできたはずだと思う。
 残った『化鳥繚乱』『鯨が飛ぶ夜』も悪くはなかったが、前者に『月桃夜』の厳しい歴史観が、そして後者に『増大派に告ぐ』の圧倒的に熱い人間関係が欠けている分、やや熟成不足の印象が残ってしまった。物語に「体力」を与える方法も開発したいところだ。

井上ひさし

井上ひさしイノウエ・ヒサシ

値打ち物の小説

 今回の選評を褒め言葉でいっぱいにしたい。褒めることで、たとえわずかでも新人作家のみなさんの推進力を強めることに役立ちたいと願うからだ。
『鯨が飛ぶ夜』(山田港)の、「人間の憎しみや醜さや恐怖や劣等感、つまり弱さを食べて成長する鯨がいる」という発想は、とても魅力的である。学園物語の上に、友情物語や芸術誕生物語や音楽発見物語など、さまざまな物語を積み上げて一つの小説的建造物を立てようと試みた腕力にも敬意を表する。この発想からして、話の進み行きが外へ向かわずに、内へ心へと向かうのは自然の成り行きであるが、ちょっと内へ入り込みすぎた感はある。もっと外へ弾けた方がいい。
『化鳥繚乱』(塵野烏炉)の前半は、化鳥討伐の勅命を受けて小夜の中山へやってきた若い武官貴族の話。物語は、その化鳥(月小夜という名の美しい娘に変身している)と貴族が愛し合うことになるという思いがけない展開を見せ、さらに彼女は「恋しい男を食うか、それとも化鳥として男に射たれて死ぬか」という究極の選択を迫られる。後半は、化鳥の産んだ娘が実の父親である男=討伐使と交わろうとする話。どちらも説話的気分に満ちているが、作者は心理描写を多用し、いまでは貴重な美文調を駆使して、説話をファンタジー小説へ飛翔させようと力闘する。そこのところに作者の汗が飛び散っていて快い。前半の緊密な構造に比べ、後半の運びが少し緩くなったのは惜しかったが。
『私小説』(佐藤千)は、二重の構造。読者がまず読むのは、枝や根や幹をつなぎ合わせて木をつくる職人が、逃げたキリンを探すお話。お話は、奇妙に揺れて、その上、ふしぎなズレを見せて、高速で進展する。やがて、この歪んだ世界に追い詰められた職人が困り果てていると、じつはこのお話は〈一人の女の子が、授業中先生が話をしたことと自分の頭にある妄想を組合せて書いている……〉ものだと分かる。ここまではとても奇体で面白いが、しかし、自分たちが書割りの登場人物だと知って慌てるだけではだめ、登場人物たちがお話の作られ方に抗議するとか、登場人物たちが作者をお話の中に引きずり込むとか、もうひと踏張りしないと物語はおさまらない。お話が割れたところからもう一工夫したら、うんとよくなるはずだ。
 悪態小説や悪口演劇はむかしからあったが、『増大派に告ぐ』(小田雅久仁)は、すばらしい比喩をちりばめた文体で、出色の悪態小説になった。なぜこれほどすてきな比喩が続出するかというと、語り手がいびつに世間を見ているからで、このいびつな視点から奇怪でおもしろい比喩が飛び出す仕組みになっている。読み進めていくうちに、世間の常識や流行(これが増大派)の方がいびつに見えてくる。ここに作者の「正義の企み」が隠されているのだろう。負のエネルギーに満ちているので、読後感はかならずしもよくないが、ときおり現われる普通の日常生活が世話味たっぷりによく描けているので、ほっとする。この作者は、普通の小説も上手そうである。
 評者にはという注釈がつくが、今回の白眉は、『月桃夜』(遠田潤子)だった。奄美大島のはるか沖合を、カヤックで漂流する女性の前に大鷲が現われて、いきなりこう口をきく、「俺には屍肉を喰らう趣味はない」と。なんと大胆で巧みな導入だろう。大鷲が語るのは、二百年前の奄美の悲惨な階級社会であり、最下層の少年奴隷の苛酷な毎日である。その少年が一人の少女を守りながら、他人と自分を愛することを発見し、たまたま習った囲碁を唯一の武器に、この階級社会を一気に駆け登ろうとする。いたるところ名文句で飾られた文章は歯切れよく、律動的に物語を展開してゆく。もちろんその底に膨大な勉強量が隠されているのだが、なによりも、漂流の一夜と、「この世のおわりにまた会おう」という気が遠くなりそうな未来を、一編のうちに結びつけた雄大な構想がすばらしい。これこそ値打ち物の小説だ。

小谷真理

小谷真理コタニ・マリ

社会派の台頭

 一切の贅肉を削ぎ落とし鋭利に訴えかける力の強い作品ばかりで、選ぶのが本当に難しかった。ひときわぬきんでていたのは、遠田潤子『月桃夜』。なんといっても大きな魅力は、江戸末期、薩摩の圧政に苦しむ奄美大島のライフスタイルが生々しく書かれていること。禁断の恋愛小説としても読み応え充分。兄妹の愛情関係は、現代の少女マンガの蓄積をすら凌駕するかなり緻密な掘り下げ方で、圧倒的。本当の兄妹ではないので、なにをそこまで気にするのだろう、と読者は思うかもしれないが、その思いこみこそ、彼らを奄美の階級制に縛り付けているものと同等であるから、むしろ重要なのである。奄美由来の兄妹婚姻に関するフォークロアの奥深さを浮かびあがらせる配慮にも、感嘆した。
『月桃夜』は、階級問題に神話的な背景を絡ませ現代に接続してみせた点で深い作品と言えるのだが、さていっぽう現代社会にもやもやとたちこめる閉塞感や暗黒をストレートにとりあげている作品が、小田雅久仁『増大派に告ぐ』と山田港『鯨が飛ぶ夜』である。ただし、アプローチがまったく正反対なのが面白かった。
 小田雅久仁『増大派に告ぐ』は、14歳、団地、ホームレス殺し、関西……と、キータームを並べてみると、新聞の社会面でいつか目にした事件を思い起こさせる要素のてんこ盛り。
 正直、読み始めた瞬間から、はらはらし通しだった。負け犬社会の繰り返し構造という問題意識で情け容赦なくすすんでいく話なのだが、ラストに救いはないし、読後感もけして愉快なものと言えない。けれども不思議なことに、たとえ目を覆うような展開でも、事件を直視しようとする肝の据わり方には、一種の爽快感があり、作品自体に内包されるしぶとい闘争力には、なにか魂をゆさぶるような生命力の強さを感じさせる。この文学賞では類のない作品であるが、純文学でもノンフィクションでもドキュメンタリーでもなく、社会を情け容赦なく考察するこの作品をあえてファンタジーと捉えることによって、本賞の可能性を押し広げられるのではないかと考えた。
 一方、山田港『鯨が飛ぶ夜』は、『増大派に告ぐ』と同じ問題意識を抱えてはいるものの、学校を舞台にした正統的なファンタジーの形式を整えており、全体的にポジティヴな展開。安心して読める作りになっている。特に、語り手である教師の性格が秀逸で、やる気もなく白け気味の性格なのに、どこか倫理的というかお人好しの雰囲気が捨てがたく、最後まで好印象の彼に助けられる形で、物語は無事完結する。後味も悪くない。とくに欠点もみあたらない作品だが、まとまりすぎて弱い印象になってしまった感がある。
 佐藤千『私小説』は、ミスリーディングなタイトルながら、けして日本の純文学で言う私小説の意味ではなく、あくまで寓話的な語りによって進行する。現実の事物を幻想的なメタファーを使って描くというのは、ファンタジー文学のお家芸であり、この著者がそうした語りのスタイルに通暁した人物である、というのは非常によくわかる。ただし、それが一般読者にとってどんな意味をもつのかが、いまひとつよくわからない。思わせぶりで謎めいた展開であるにもかかわらず、凡庸な着地ぶりなのも残念。ただし、わからないなりにもリーダビリティが高く、筆者がとてつもない文才をもっていることは確信した。
 塵野烏炉『化鳥繚乱』は、昨今少なくなってきたエロティックな恋愛譚ということでは、なかなか健闘している。勇者のほうが仕留められる展開も一興で、母親よりも娘のほうがより魅惑的なのは、単に「若いから」というだけでなく、「少女的なるもの」の危険性にふれているからだろう。見慣れた主題であるにもかかわらず、どこか新鮮な雰囲気があり、若い世代の感性が溢れ出るような勢いにひきこまれた。今後の作品に大いに期待したい。

椎名誠

椎名誠シイナ・マコト

体格と技が違うけれど

 選考会終了後、関係者に状況を報告する場がある。荒俣さんが最初にスピーチをした。
「今回は力作が揃い、最後は大相撲でいえば白鵬と朝青龍との対戦になりました」わかりやすく面白いコトをいう人だなあ、と感心した。六五二編の応募の中の最終五編から優勝をきめる場だ。強者が揃っている。
 作品のテーマ、文章、構成、展開、どれをとってもどっしりとバランスのいい『月桃夜』はまさに白鵬を連想させた。対する『増大派に告ぐ』は、力のある曲者だ。技がたくさんある。ケタグリやヤグラナゲなんてのもだしてくる。なによりもとぼけている。いったい何がいいたい小説なのかよくわからないが何かしてくる危険なかおりもする。だから、選考が煮詰まってくるにつれてこの作品にたいする論議がふえた。各方面からの物言いみたいなものだ。
 結果的に、ひさしぶりにこの二作、同時大賞受賞となった。「この二作品だな」と思ってその日の選考会に臨んだので文句はなかった。『月桃夜』は二百年前の奄美大島を舞台にした堂々たる幻想的歴史小説である。ぼくの知っているかぎり、これまでこれほど綿密にこの島を舞台にして小説が語られたことはなかったように思う。作者はてっきり奄美の人かと思ったがそうではないらしい。
 琉球(沖縄)と薩摩(九州)に挟まれて奄美は存在感の薄い島だった。文化が曖昧だった。どちらかというとおとなしく暗いイメージもあった。この小説が世にでることによって、奄美のあたらしい別な魅力がひらかれればいいな、と思う。
『増大派……』の作者は、受賞後もなにかいろいろ楽しいヘンなことをしてくれそうな予感がする。受賞後、プロになる率がかなり高い、と言われているこの賞であるから、そういうことを期待したぼくの一票と受け取っていただきたい。今回もう一作『私小説』というかわいく怪しい小説があった。面白いけれどいかにも軽く脆弱で、三役相撲で競わせるのは可哀相だった。
 それにしても、日本のファンタジーはなんでみんなこんなふうに無理やり暗く狭くてまがまがしいものばかりなのだ。もっとでっかくて明るくて世界中の人がひっくりかえるようなとてつもない嘘話を今後に期待したい。

鈴木光司

鈴木光司スズキ・コウジ

小説を書かせる情念

 毎年夏、日本ファンタジーノベル大賞応募原稿を読んで選考会に臨むまでの数日間、過去の自分に触れるかのような懐かしい気分に浸ることがある。どの応募原稿にも、多かれ少なかれ、この作品を書かずにはいられないという情念が込められている。作家本人の体験と関わるその核心部分に触れるのは、応募作を読む楽しみのひとつであり、いい意味の刺激を受ける。自分もまたデビュー作執筆当時は、持て余すほどの情念に手を焼きつつ、ぶっ叩く勢いでキィボードを打ち続けたものだと、記憶が喚起される。
 今回、迸る情念を感じさせる作品が二本あった。『増大派に告ぐ』と『鯨が飛ぶ夜』である。
『増大派に告ぐ』は、読者のすべてを敵に回しかねない危険な作品である。一体、「増大派」とは何のメタファーなのか。アメリカ的キャラクターの総称なのか、あるいは今流行の草食系の対となる概念か……、かと思えば、エントロピー増大の意味を含むことが明らかになる。ようするに世界に混沌をもたらす者たちのこと。読み進むうち嫌な気分になってくるのは、糾弾の矛先が自分に向けられるような錯覚を覚えるからだ。しかし、癒し系と言われる温い表現が跋扈する風潮に逆らい、傷口に塩を塗るかのごとき危険な賭けを打つ勇気は、大いに評価したいところだ。書き続け、荒削りな情念が沈静化したとき、本物の書き手が現われると期待する。
『鯨が飛ぶ夜』の「鯨」のメタファーは、「増大派」と重なり、現実世界を崩壊させようとする勢力を意味する。個人的体験がモチベーションの源となっているという手応えを得つつ、途中まではおもしろく読んだ。ところが、猫の名前が「エルビス」であると明かされ、ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、ジョン・レノンなどと名乗る猫や鼠たちの昔話が始まるや、物語は崩れ、類型に堕す。惜しい。応募の締切りが間近に迫り、焦ったのだろうかと勘ぐりたくなる。
『月桃夜』と『化鳥繚乱』は、ぐっと趣を異として、伝奇風、説話的な語り口で、構成も堂に入っている。個人的情念の発露とは別のモチベーションから生まれているため、安心して読める。
 カヤックで奄美の海に漕ぎ出した現代の少女に、鷲が、過去の物語を語り始める『月桃夜』の冒頭部分は、詩的で美しく、目に浮かぶ情景は印象的だ。江戸時代、薩摩藩から弾圧された奄美大島を舞台に繰り広げられる兄妹の悲劇と、現在との関わりが明確になれば、さらに完成度は増す。
『化鳥繚乱』もまた、古典的な風雅を保って文章力は安定し、完成の域に達している。まとまりのよさが、ダイナミズムを失わせているのかもしれない。もう少し、現代風にアレンジしてみてはいかがだろうか。
『私小説』のラストで明かされるカラクリは、もはや封じられるべきもの。「あなたはだまされている」という謎をちりばめておきながら、「小説の中の作り話でした」で終わるのは、展開に収拾がつかなくなって「実は夢でした」と放り出すのと同じ手法。長めの童話として再構成すれば、優れた作品となる可能性がある。

選考委員

過去の受賞作品

新潮社刊行の受賞作品

受賞発表誌