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『百駅停車』に教えられる駅の栄枯盛衰 新旭川駅の来し方行く末

 正直に告白すると、駅や駅舎に興味を覚えたのはつい最近です。50歳を過ぎて鉄道の新しい分野に興味を持つとは思いませんでした。連休中には、福島交通の全駅を撮影してきました。乗ったり、降りたり、歩いたり、天気にも恵まれて楽しい1日となりました。

 車両の撮影と際だって違うところは、駅に行けばそこに駅があることでしょう。福島交通飯坂線は適当な間隔で電車が来るので、撮影ははかどりましたし、駅のベンチでまったりする時間もあって、十分すぎる休日を過ごしました。それに最近買ったX20というカメラは、コンタックスG1以来、シャッターを押したくなるカメラです。「シャッター頻度」を考えても駅の撮影にはお誂え向き。新たな「出かける口実」を見つけてしまったようです。

 前置きが長くなりましたが、駅に興味を持つきっかけになったのは、 『百駅停車』(小社刊、4月26日発売)という本の取材でした。筆者の杉﨑さんと334011.jpgあちこちの駅に出かけ、解説を聞きながら、撮影をしました。これまでも駅舎やホームの写真を撮ることはありましたが、こんなに熱心にシャッターを切ったことはありませんでした。
 そして駅にも人と同じように「人生」があるということに気づきます。順風満帆な人生を送る駅の方が珍しく、鉄道会社や町の都合に翻弄され、時には忘れられ、廃駅になることさえあります。
 『百駅停車』のなかで杉﨑さんは「忘じがたき駅」として宗谷本線新旭川駅を取り上げています。私は宗谷本線石北本線に何度も乗車したことがあるのに、この駅の存在を意識したことはありませんでした。新旭川 (4)r.jpg撮影:杉﨑行恭
写真を見ると、かなり大柄な駅舎です。北海道にはこれだけ大きな駅舎はそう多くはありません。

------この駅舎は半身になってもシャケの切り身のように観念した姿にはならなかった。無人化され、手負いになってもなお大地に根を生やしたように建って睨みを利かせているのだ。(『百駅停車』p65より)

開業当初の新旭川r.jpg旭川r.bmp








左:『宗谷線全通記念写真帖より』 右:『伸びゆく旭川』(昭和4年度)より
 開業当時の姿を見ると、かなり立派な駅舎であることがわかります。開業は大正11年。駅前からは「新師団道路」という道が伸び、石狩川を渡船で渡ると師団司令部に通じていました。軍関係者の乗降を想定した駅舎だったのでしょうか。
 やがて向かって右側の部分が切り取られ、窓も大半が埋められた姿で今も駅として使用されています。大正11年以来、建て替えられることなく、半身になりながらも生きながらえている新旭川駅。華々しく斬新な駅舎に変貌したお隣旭川駅とは好対照ですが、こんど旭川に行く機会があれば、まず新旭川駅を訪れてみたいと思います。
 これまで駅または駅舎の本といえば、名駅舎や木造駅舎などが定番でしたが、『百駅停車』では、「芭蕉や蕪村がいたら、一句ひねりたくなる」ような駅を選んでいます。ここで取り上げた新旭川のように、訪れた人に何かを語りかけてくるような駅ばかりです。是非ご一読ください。

 なお5月16日(木)の新潮講座「鉄道旅行・地図と駅の楽しみ」では、『百駅停車』の筆者杉﨑行恭さんをゲストにお迎えし、駅旅の楽しさを語っていただく予定です。詳しくはこちらをご覧ください。

2013年05月13日   北海道   タグ : 宗谷本線, 新旭川, 福島交通, 駅舎

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