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   <title>選書・編集者のことば</title>
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   <subtitle>編集者のことば</subtitle>
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   <title>銀座と資生堂―日本を「モダーン」にした会社―</title>
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   <published>2012-01-27T04:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-30T03:20:32Z</updated>
   
   <summary>日本一華やかな街と企業を育てた男...</summary>
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      日本一華やかな街と企業を育てた男
      　日本で第一位、世界でも第四位の売上げを誇る化粧品メーカー・資生堂は、日本を代表する企業のひとつ。「東京銀座資生堂」として知られるように、銀座という特別な街とともに名声を高め、規模を拡大してきました。
　その華やかなブランドイメージの基礎を築いたのが、創業者の三男にして初代社長の福原信三（1883－1948）です。この生粋の銀座っ子は、大正時代にコロンビア大学で薬学を学び、ヨーロッパ遊学を経て帰国。町の薬局にすぎなかった資生堂を、国際的な化粧品メーカーに育てあげました。その一方で、寂れつつあった銀座の復興に力を注ぎ、日本に西洋風の生活習慣を根付かせるために奔走し、また一流の写真家として活躍するとともに、同時代の芸術家たちのパトロンを務めるという、まさに異能の経営者です。
　これほどの魅力にもかかわらず、初期の資生堂や信三に関する本格的な論考は、これまで見られませんでした。執筆に当たって著者は、同時代の文献にあたるのはもちろんのこと、数年にわたって資生堂に通い詰め、資料館の書庫で貴重な内部資料の山と格闘しました。本書には、こうした「蔵出し」の情報がふんだんに活かされています。
　信三が活躍した大正から昭和前期にかけては、関東大震災や世界恐慌、さらには世界大戦に見舞われた時代でもありました。日本が似たような状況に置かれたいまこそ、彼の志と美学、経営哲学を再発見していただきたいと思います。
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   <title>蕩尽する中世</title>
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   <published>2012-01-27T03:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-30T03:19:23Z</updated>
   
   <summary>中世四〇〇年史をイッキ読み...</summary>
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      中世四〇〇年史をイッキ読み
      　日本の中世について、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
　その時代を生きた人物ならば、すぐに何人かの名前が思い浮かびます。平清盛や源頼朝、白河院や後鳥羽院、あるいは親鸞、西行、兼好法師……。しかし、そもそもどんな時代だったのかと訊かれると上手く即答できない、中世について明快なイメージは持っていない、というひとは少なくないのではないでしょうか。十一世紀後半の院政期から応仁の乱にいたる約四〇〇年間――この時代のわかりにくさの一因は、権力が一元化されていなかったことにあるようです。朝廷と幕府のように権力が並立し、南朝と北朝のように分裂する。鎌倉や室町の幕府とて、その支配の枠組みは一枚岩とは言えない。ですから、政治や政権にばかり目がいくと、この時代のイメージはぼやけてしまう。
　そこで、著者の本郷氏は「富のあり方」に着目しました。日本の中世とは、地方から吸いあげた富を蕩尽し続けた時代だったのではないか、と。たとえば白河院は、全国の荘園・公領からもたらされた富で、華麗な寺院や離宮を次々と造らせた。京都はいわば未曾有の不動産バブル景気に沸いたのです。中世のスカイツリーともいうべき法勝寺の九重塔がその象徴ですが、支配者の権威を視覚化し、都を睥睨した高さ八〇メートルのこの塔は、今や跡形もありません。富はもっぱら消費されるだけで、それを蓄積したり、再生産に結びつけたりするといった発想は、わが国の中世にはなかったというのです。
　え、そんないい加減なことで社会が存続するの？　と思いますよね。でもなんとか、四〇〇年も、存続した。それは何故か？　過剰なまでの消費を支えた経済システムとは一体どんなものだったのか？　平氏の物流戦略、鎌倉御家人の複雑極まる金融操作、悪党の経済力の本質とは何か？　著者はこれらの問いにひとつひとつ答えていきます。「蕩尽」という新視点から見つめ直す、意欲的な中世四〇〇年史をお楽しみ下さい。
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   <title>科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか―</title>
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   <published>2011-12-22T04:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-22T06:41:56Z</updated>
   
   <summary>硬軟自在の科学ガイド...</summary>
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      硬軟自在の科学ガイド
      「日本の科学ジャーナリストの中で、最近流行りの宇宙論や量子論の意味を、数式レベルまで深く理解できているのは、じつは竹内薫ぐらいしかいない」――これはある科学者から聞いた話です。
　竹内さんと言えば、テレビでお笑いタレントを相手に軽妙なトークを披露したり、ねこ耳少女の萌え絵が表紙になっている不思議な科学本を書いたりと、どちらかと言うとエンターテインメント寄りのイメージが強いかも知れません。
　しかし、じつは東京大学の教養学部（科学史・科学哲学専攻）と理学部（物理学科）の両方を卒業し、さらにノーベル賞受賞者が9人も輩出している名門マギル大学で博士号（高エネルギー物理学）を取得した、元・一流科学者でもあるのです。
　そんな竹内さんに、世界の科学をリードする二大科学誌「ネイチャー」「サイエンス」を読み解いてもらいました。いずれも最先端の科学論文ばかりが並ぶ手ごわい雑誌ですが、竹内さんの硬軟自在のガイドのおかげで、エンターテインメントとして楽しみながら、深いレベルで「科学の存在意義」を学べる本となっております。
　原発問題で明らかになったように、いまや一般人もある程度の科学的見識が求められる時代です。「科学嫌い」のままでは、それこそ「日本を滅ぼす」ことにもなりかねません。ぜひ本書を入り口に「日本の科学のあるべき姿」を考えていただければ幸いです。

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   <title>説き語り 日本書史</title>
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   <published>2011-12-22T03:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-22T10:30:58Z</updated>
   
   <summary>石川九楊ワールドを理解するために最適な一冊！...</summary>
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      石川九楊ワールドを理解するために最適な一冊！
      　若い頃の石川九楊さんは、著名な書の文字の筆の動きを数限りなくなぞったそうです。夜中にふと目覚めたときにも、空中に自分の指でなぞったというから驚きます。
　その石川さんは書家として活躍する一方で、「筆蝕」をキー・ワードにして、世に流布する単なる印象批評とは一線を画する卓抜な書理論も精力的に発表してきました。その考察は書にとどまることなく、日本文化全般、さらには東アジアにまで及んでいます。
　石川九楊さんの代表作である『中國書史』『日本書史』『近代書史』の三部作は、書の歴史を解明する画期的な著作ですが、きわめて大部なものであり、読み通すのはなかなか骨がおれます。
　そこで、書のことを全く知らない人でも簡単に理解できるような本を企画しました。その第一弾が本書です。細かいことは省略して、日本の書の歴史の大きな流れが一望できるようにしました。 個々の作品については、100点以上ある図版のキャプションをたどるだけでも楽しめるように工夫しています。来年には、『説き語り 中国書史』の刊行も予定しています。
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   <title>蕩尽王、パリをゆく―薩摩治郎八伝―</title>
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   <published>2011-11-25T04:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-12T05:53:24Z</updated>
   
   <summary>純銀製のクライスラー...</summary>
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      純銀製のクライスラー
      　クラシックカーにも高級車と大衆車があったことを御存知ですか。たとえば、車の大量生産方式を確立したフォード、今でもアメリカ自動車業界でビッグスリー2位のメーカーですが、1908年から販売開始、1910年代から20年代にかけて国民車「Ｔ型フォード」を生産していました。その数は1927年までに1500万台。安価に買えるよう、部品を統一化し、形は直線的、つまり、板をはり合わせたようなデザインで、外装もペンキの乾きがいい、黒のエナメル仕立ての一色だけでした。一方、同じビッグスリーの一角を占めるクライスラーは、当初から先進的エンジンシステムを導入し、のちに流線的なボディーを取り入れるなど、高級車メーカーとして、フォードの対極にあるような自動車ブランドの名声を誇っていました。そのクライスラーのボディーを純銀製に仕立てて、1928年、カンヌの自動車エレガンス・コンクールでグランプリを獲得した日本人がいました。薩摩治郎八とその妻、千代子です。木綿で巨利を得た貿易商の家に生まれた治郎八は、ロンドンに留学した後、全盛期のパリに移り、正真正銘の「セレブ」として、パリの社交界で夫人とともに注目の存在となります。グランプリの後、この「純銀の車体に淡紫の塗り」を施した特製自動車を駆ってパリ市内を凱旋した二人の誇らしげな表情が今も目に浮かぶようです。「生活と美を一致させようとした」人生を送った一代の蕩児・薩摩治郎八の人生をこの本でたどって、節約とかエコとかとは無縁の「散財の美学」に、たまにはあなたも浸ってみませんか？
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   <title>西行と清盛―時代を拓いた二人―</title>
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   <published>2011-11-25T03:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-09T08:46:49Z</updated>
   
   <summary>中世日本人のふたつの生き方...</summary>
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      中世日本人のふたつの生き方
      　西行と清盛。この二人にはいくつか共通点があるのですが、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
　後世の日本文化と政治のありように多大な影響をあたえた。――ちょっと大づかみな捉え方になりますが、たしかにこれは共通点といえそうです。西行は二十三歳で出家するまではれっきとした武士だったから、二人はともに武人として人生をスタートさせた。――これも正解。でも、西行と清盛には、ある意味でもっと単純な共通点がありました。どちらも一一一八年生まれの、同い年。
　本書はそんな二人の歩みを比較しながら、遁世と武断という中世日本人のふたつの生き方、ひいては十二世紀という時代のおおきな変わり目の空気を読み解こうとする意欲作です。
　いくつかの共通点があるとはいえ、二人の生き方は対照的なものでした。片や世俗の生活を捨てて中世を代表する歌人となり、片や孫を天皇にすえて栄華をきわめ中世を代表する武士となったすえに滅亡する。また、西行には『山家集』『残集』などの歌集があって、その内面を物語る主観的な資料には事欠かないものの、人生の足跡をきちんと辿れるような客観的史料には乏しい。一方、清盛にはその心情をみずから吐露したような資料は乏しいけれども、何年何月に何をしたかを伝える史料は豊富に残されています。
　そこで、著者は、西行の内面と清盛の外面をいわば合せ鏡のように対照するという極めてユニークな手法を考案し、二人の人生の節目を十年ごとに区切りながら、その足取りと時代の動きをていねいに活写していきます。来年のＮＨＫ大河ドラマは『平清盛』。その前に、日本中世史の泰斗によるこの渾身の書き下ろしをご堪能ください。
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   <title>ミシュラン 三つ星と世界戦略</title>
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   <published>2011-10-27T05:00:00Z</published>
   <updated>2011-10-26T10:21:58Z</updated>
   
   <summary>ミシュランという不思議な会社...</summary>
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      ミシュランという不思議な会社
      　本書は、「ミシュランガイド」の発行元である、フランスのタイヤメーカー「ミシュラン社」の内実を描いたものです。
　2007年に「ミシュランガイド東京版」が発行された際には、「あそこが載っていない」「なぜあんなところに星がつくのか」と、個別のレストラン評価を巡って議論が噴出しました。しかし、なぜミシュランが「星による格付け」を行っているのかという「思想」の部分や、それがタイヤメーカーとしての「国際戦略」とどう連動しているかについての分析はほとんど見られませんでした。また、食の国際化と嗜好の変化の中で、ミシュラン自身がガイドの役割を再定義している現状もあります。こうした部分への視線を欠いた批評では、日本にとって「ミシュランガイド」が持ちうる「意味」は、表層的なものにとどまらざるを得ません。
　また、ミシュラン社は、フランスの大手上場企業の中で唯一パリ以外に本社を置く「地方企業」であり、代表社員が無限責任を負う「株式合資会社」という形態で経営され、それゆえにミシュラン家の関係者が代々トップを務めてきた「同族企業」です。巻末の「ミシュラン家の系図」をご覧頂けば、同族支配を可能にしてきた、カトリック信仰に基づくミシュラン家の「多産」ぶりがわかります。その一方、早くから世界的に事業を展開し、若きカルロス・ゴーンを経営者として鍛え上げたという、開かれた一面も持ちます。
　ミシュラン社はこのように、独特の企業文化を持った会社です。本書では、多くの資料を渉猟し、関係者に会い、著者独自の視点で、この不思議な会社の実態に迫っていきます。ご一読いただければ幸いです。
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   <title>政治家はなぜ「粛々」を好むのか―漢字の擬態語あれこれ―</title>
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   <published>2011-10-27T04:00:00Z</published>
   <updated>2011-10-26T10:24:25Z</updated>
   
   <summary>「鞭声粛々……」の鞭の音...</summary>
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      「鞭声粛々……」の鞭の音
      　法案が否決されれば「粛々」と再議決し、不信任案が出されれば「粛々」と否決する。あるいは、不祥事が発覚した際は法に従って「粛々」と処分を進め、批判を受けながらも大規模な公共事業を「粛々」と続ける……最近の政治家や官僚たちは、「粛々」という言葉が大好きです。インターネットで検索すると、2010年の一年間で「粛々」が使われた新聞記事は、『朝日』で213、『読売』で205、『毎日』で176、三つの全国紙を合わせると594件にもなるのだとか。1990年には三紙合わせても19件でしたから、いかに“粛々の時代”になったかが分ろうというもの。90年代以降、日本は政治も経済も混迷し、あちこちで不祥事が明るみに出ました。そんな時代、組織のトップたちにできることといえば、「慌てず騒がず」しかなかった、ということでしょうか。
　そんな「粛々」という言葉――その「流行の始まり」を辿っていくと、どうやらそれは江戸時代の漢詩人・頼山陽による、川中島の合戦を描いた詩に行き着くようです。上杉謙信が武田信玄の本陣に不意打ちをかけようと密かに川を渡るシーンを描いた詩にこうあります。
　「鞭声粛々　夜　河を過る
　　暁に見る　千兵の大牙を擁するを
　　遺恨なり十年　一剣を磨く
　　流星光底　長蛇を逸す」
　思わず情景が浮かんでくる、迫力のある詩句でしょう。この詩は、明治になってもいっぱしの文化人を気取る者なら誰もが知っていたといいます。それが今では、「粛々」のフレーズだけが残って使われるようになったというわけです。
　ただ実は、現在の「粛々」と頼山陽の詩での使われ方では、ある決定的な意味の違いがあることをご存知でしょうか？　今日使われる「粛々」は、「慌てず騒がず、おごそかに」といった意味に解釈されます。頼山陽の詩の一節も、もちろんそうした意味で使われているのですが、さらにもう一つ別の意味も込められていたのです。それは、闇夜を切り裂き響き渡る鞭の音……。そこには絶妙な効果音も反映されていたのでした。
「粛々」の語は、そもそも古代中国では鳥が羽ばたく音を表す擬態語だったのです。頼山陽は、そのことを知識として理解しており、武者たちの行動のニュアンスだけでなく具体的な「音」を重ね合わせてこの詩を詠ったのでした。
　今、我々が普通に使っている漢字の形容語中には、「粛々」と同じように、かつては擬態語だったものが意外なほど多いのです。堂々、丁寧、辟易、颯爽、酩酊、逡巡……みな擬態語です。それらは元はどういう意味だったのか、どのように輸入されて「日本語化」していったのか――漢字文化の特異な歴史を探ります。
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   <title>義理と人情―長谷川伸と日本人のこころ―</title>
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   <published>2011-10-27T03:00:00Z</published>
   <updated>2011-10-26T10:09:30Z</updated>
   
   <summary>真っ暗闇じゃあござんせんか...</summary>
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      真っ暗闇じゃあござんせんか
      　言い古されたことですが、本を作る時に編集者が頭を悩ますのが書名と帯のコピー。「絶対にコレね」と、強く書名を指定してくる書き手もたまにはいますが、文芸書以外では稀なことです。
　本書のメインタイトルと帯を思いついた時、誤解されやしないかと一瞬迷いました。「この本、あっちの世界の話ね？」と思われたらいやだな、と。「あっち」とは、以下のような世界のことです。
「義理人情」や「任侠」という言葉から私の頭に浮かぶのは、村田英雄バージョンの「人生劇場」の世界や、鶴田浩二、高倉健、菅原文太らの映画「人生劇場・飛車角」「網走番外地」「仁義なき戦い」、長い楊枝を加えた中村敦夫の台詞「あっしには関わりのねえことでござんす」などです。そうした主人公たちの、生きるプリンシプル（主義）は、「義理人情に厚く」「一度受けた恩義は忘れず」「弱者の味方をする」という、まさしく長谷川伸の描こうとした世界でした。そうではあるのですが、銀幕やブラウン管の中で、格好いい台詞を吐く姿があまりにも強烈なため、そちら（うわべ）ばかりに目がいってしまい、ことの本質は語られぬままになってしまいがちでした。
　著者の山折さんは「まえがき」で、長谷川伸の評価が低いことについてこう書きます。「近代的な知性や感性にはそぐわないものとして軽視され、侮蔑され、排除されていった。〈中略〉義理人情の世界では個の自立も個人の尊厳も手にすることはできないとか、〈中略〉断罪されてしまったのである。」
　さて、「個の自立」を一所懸命、学校や社会で学ばされた末、今の日本はどうなっちゃったでしょうか？　他者との関わりは薄くなり、弱者が切り捨てられやすいシステムが出来上がり、勝ち残りたいのなら自己責任で頑張りなさい、という社会が現出しました。居心地いいんでしょうか、この世界（真っ暗闇じゃござんせん？）。
「だから今、長谷川伸を読む意味があるんです」と山折さんは言います。長谷川伸が、主人公を通して描こうとした本質はなんだったのか。私たちが戦後半世紀をかけて少しずつ捨てていったものはなんだったんでしょう。この本にはその答えが書いてあります。
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   <title>指揮者の役割―ヨーロッパ三大オーケストラ物語―</title>
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   <published>2011-09-22T05:00:00Z</published>
   <updated>2011-09-30T08:54:59Z</updated>
   
   <summary>素朴な疑問に答えます...</summary>
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      素朴な疑問に答えます
      　指揮者はオーケストラのなかでただひとり、音を出しません。考えようによっては、じつに不思議な音楽家。では一体、何をしているのか？　どんな資質や能力の持ち主なのか？
　本書はそんな素朴で本質的な疑問に、さまざまな角度から具体的に答えてくれます。著者の中野雄（たけし）さんは、長年オーディオとレコード事業の経営にたずさわった音楽プロデューサー。クラシック音楽ファンなら『丸山眞男　音楽の対話』や『モーツァルト　天才の秘密』などの著作で、その平明な語り口や膨大な知識量をすでにご存じかもしれません。音楽評論家の宇野功芳氏によれば、「中野雄さんの博識さには本当に頭が下がる。……彼は実に多くのコンサートマスター、オーケストラの楽員、指揮者から多年にわたってあらゆる情報を得ている」。
　そんな中野さんが七年がかりで書き下ろしたこの本は、ヨーロッパの三大オーケストラ（ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボー管）を舞台に、フルトヴェングラーからゲルギエフまで、古今のマエストロたちの仕事と人間性の秘密に迫ったものですが、随所で貴重な「情報」が公開されています。ベルリン・フィルの奏者は自分の楽団とウィーン・フィルの違いをどう感じているのか。伝説の名コンサートマスター、ヘルマン・クレッバースはコンセルトヘボー管に移るにあたって、指揮者のヨッフムからどう口説き落とされたか。ウィーン・フィルの内部でバーンスタインの声価が高まったのはなぜか。カラヤンの真価、小澤征爾の海外での評価は実際どんなものなのか……。中野さんだからこそ引き出せた、名音楽家たちの述懐や本音を知るだけでも面白いのですが、「指揮者の役割」に焦点をあわせたこの本を読み進むと、三大オーケストラの個性や歴史についても自然とその輪郭がくっきり浮かび上がってきます。
　読み終えて、音が聴きたくなったら――巻末のＣＤ＆ＤＶＤ案内をご活用ください。
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   <title>危機の指導者 チャーチル</title>
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   <published>2011-09-22T04:00:00Z</published>
   <updated>2011-09-30T08:59:00Z</updated>
   
   <summary>今こそ日本人はチャーチルに学ぶべき...</summary>
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      今こそ日本人はチャーチルに学ぶべき
      　この本を読んで、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、震災危機への対応に右往左往する菅直人前首相の姿でした。
　外務省の現役幹部である著者が5年の歳月を費やして書いた本書は、純然たるチャーチルの評伝であり、菅内閣や日本政治に対する論評は一言も書いてありません。
　それにもかかわらず、私が前首相の姿を思い浮かべ、「まさに未曾有の国難に向き合う現在の日本人のために書かれた本だ」と強く感じたのは、この本が、チャーチルの波乱万丈の政治人生を追うだけではなく、「危機におけるリーダーシップ」について普遍的かつ実際的な洞察を行っているからに他なりません。
「今さら、チャーチルの大時代な政治スタイルに学べなんて……」と疑問に感じる方もいるかもしれません。しかし、本書の議論は、現役官僚ならではのリアリズムに貫かれており、極めて今日的な内容です。いわゆる懐古趣味的な「強いリーダー」待望論とはまったく次元が異なりますので、ぜひご一読下さい。
「今こそ日本人はチャーチルに学ぶべき」――自信を持って、強くお薦め致します。
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   <title>天皇はなぜ滅びないのか</title>
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   <published>2011-09-22T03:00:00Z</published>
   <updated>2011-09-30T08:54:07Z</updated>
   
   <summary>東日本大震災と天皇の力...</summary>
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      東日本大震災と天皇の力
      　茨城県在住の著者・長山靖生さんのお宅にある七十畳ほどの広い書庫には、三万冊もの書籍や史料が、ジャンルごとに整理されて、収蔵されています。二年ほど前から、長山さんは本書のテーマに取り掛かっており、その資料が書斎の一画を占めていました。
　いよいよ本書の原稿を脱稿という時、東日本大震災が起きました。幸いにもご家族ともども無事でしたが、お宅は停電と断水になり、書庫の資料はことごとく散乱してしまいました。激しい余震も続くため、長い間、別の場所に避難されていました。
　二ヶ月ほどして落ち着いた頃、テレビで、天皇・皇后両陛下が被災地を訪問される様子をご覧になったそうです。予定のご訪問時間を大幅に延長し、被災者をお見舞される天皇陛下のお言葉を聴いた時、長山さんは思わず涙が出てきたそうです。それは執筆中のテーマに大きく関係する体験でした。その後、長山さんは避難先でも執筆され、本書を脱稿しました。
　被災地での天皇の言葉はなぜ心に響くのか――。
　その疑問は、戦国から江戸時代における「天皇の力」の現在の形であると直感したのだそうです。このことは本書にも記されています。
　近世の皇室史からこの力の源を探ってみると、強大な勢力である武家や江戸幕府に、武力をもたない天皇家がいかに対抗して、皇統を続けてきたのか、また、天皇と庶民とのおもしろい関係もたくさん見えてきます。
　なぜ朝廷は幕府に倒されなかったのか。皇統が存続できた秘密とは――。その答えは、本書で詳しく展開されています。
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   <title>子規は何を葬ったのか―空白の俳句史百年―</title>
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   <published>2011-08-25T04:00:00Z</published>
   <updated>2011-09-30T08:52:54Z</updated>
   
   <summary>名もなき「俳句の星々」たち...</summary>
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      名もなき「俳句の星々」たち
      　正岡子規といえば、司馬遼太郎『坂の上の雲』で、その短くも濃厚な生涯に触れた人も多いでしょう。明治日本を代表する知性として、旧世代の俳諧を峻烈に批判し、俳句の近代化を成し遂げた巨人でした。
　著者の今泉氏も俳句愛好家の一人として、ついぞ子規の功績を疑うことはなかったと言います。ところが、あるとき、疑問が湧きます。それは、子規の有名な言葉がきっかけでした。
「天保以後の句は概ね卑俗陳腐にして見るに堪へず。称して月並調といふ」
　要するに、子規以前のおよそ百年間は、駄句ばかりで評価に値しないと一刀両断しているのです。
　おかしいな、百年もの間、駄作ばかりということがあり得るだろうか――。
　素朴な疑問を抱いた著者は、「百年の謎」に挑んでいきます。資料をひもとき、国会図書館に通いつめ、子規や虚子の書に丹念に目を通す……。しかし手がかりは少なく、暗黒の百年はあたかもブラックホールのようでした。
　その闇に一条の光が射したのは、二〇〇六年。神田神保町の古書店で偶然出会った本が、探照灯となりました。そこから先は、ミステリーの謎解きのよう。次々と見つかる無名俳人や女性たちの秀抜な句、望外の発見。ついには、子規に批判された大宗匠の珍しい写真まで入手したのでした。
　考えてみれば、五七五のリズムは日本人の心に脈々と流れ、一度たりとも途切れたことはありません。今も、新聞やテレビの俳壇では、老若男女がこぞって句作に励んでいます。俳句の歴史は、芭蕉・蕪村・一茶のビッグ3や子規のような天才が作り上げてきたと思いがちですが、事実はおそらく逆。素人の俳句愛好家たちのたゆまぬ句作が、大河のように歴史を作ってきたと思えるのです。
　明治の俳句改革に命をかけた巨星・子規。しかし俳句文芸という宇宙には、夏の夜空の天の川のごとく、知られざる星々が光り輝いていました。俳句文芸の本流は何か、という問いも孕んで、興味の尽きない一冊となりました。
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   <title>こころの免疫学</title>
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   <published>2011-08-25T03:00:00Z</published>
   <updated>2011-09-30T08:52:54Z</updated>
   
   <summary>「こころの免疫力」をつけるための革命的パラダイム。...</summary>
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      「こころの免疫力」をつけるための革命的パラダイム。
      　日本人の食物繊維の摂取量が減っていることをご存じでしょうか。1951年には1人当たり1日27グラムだったものが、1994年には16グラムになり、現在は12グラムになってしまいました。諸外国と比較しても、むしろ少ない国に属しています。
　その一方で、この10年間で2倍以上増えた病気があります。それは、アトピーや喘息などのアレルギー疾患と、うつなどの「こころの病」です。日本人の4人に1人が花粉症で悩んでいるといわれていますし、日本の自殺者数は1998年から13年連続して年間3万人を超え、うつ病の患者数は2008年に100万人を超えてしまいました。
　このふたつのデータで興味深いのは、食物繊維の摂取量の減少に反比例するように、アレルギー疾患と「こころの病」が増加しているということです。実は、そこには重大な因果関係がありました。
　現在、「こころの病」は脳の問題で、さまざまなストレスとの相互作用によって発症すると考えられています。しかしそれは、単に脳だけの問題ではなく、免疫系、つまり食べ物や腸内細菌までも含めた、体全体の問題だったのです。たとえば、うつ病は一般的に、脳内のセロトニンが不足すると発症するとされています。そこで、脳内にセロトニンが増加する薬が処方されることになるのですが、これはあくまでも対症療法です。どうしてセロトニンが減ってしまったのか。根本の問題が解決されなければ、病気を治すことはできません。
　最近の研究で、脳と免疫系が互いに情報をやりとりしていること、脳の機能も免疫系の影響を受けていることが明らかにされています。
　本書には、免疫系が「こころの状態」にどのように関わっているのか、どうすれば「こころの病」を回復させることができるのか、そして、こころを健康に保つために、私たちがすぐにやるべきことが記されています。ぜひご一読ください。
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   <title>形態の生命誌――なぜ生物にカタチがあるのか</title>
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   <published>2011-07-25T03:00:00Z</published>
   <updated>2011-09-30T08:52:54Z</updated>
   
   <summary>「生物学界のインディ・ジョーンズ」による冒険的進化論...</summary>
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      「生物学界のインディ・ジョーンズ」による冒険的進化論
      　この本の主題は、ずばり「生物の形」です。微生物から人間にいたるまで、生物は進化の過程でどのように「独自の形」をとるようになったのか、「カタチ」という補助線を引くことで、多様な進化を解明する手がかりが得られるのではないかというのが出発点になっています。
　著者の長沼毅氏は広島大学の大学院生物圏科学研究科准教授、つまり大学の先生ですが、「辺境生物学者」もしくは「生物学界のインディ・ジョーンズ」という異名があります。その渾名が示すように、北極圏から灼熱の砂漠地帯、熱湯が湧き出る深海火山の火口まで、極限的な環境に棲息する生物のことを聞けば世界のどこへでも出かけてゆくアウトドア派の研究者です。実は、本書の最終原稿も、昨年末から今年初めにかけての南極調査の途上、砕氷艦「しらせ」艦上から送っていただきました。
　長沼先生が調査する対象は、過酷な環境に棲息しているためか、奇妙な形をしたものが少なくありません。たとえば、2005年夏、無人探査機で生態を撮影した富山湾の「オオグチボヤ」は、海底で大きな口を開いて立っています。なぜ、そのようなヘンテコなカタチをしているのでしょうか。
　視点を変えれば、おかしなカタチは身近にも存在します。我々が当たり前だと思っている手の指の数――なぜ5本なのでしょう。その昔、魚類から進化したばかりの両生類には8本指の生物もいました。パンダが小骨の突起である「第六の指」を使って竹を上手に食べている姿を見ると、指の数はもう少し多くてもよいのかもしれません。
　あるいは、口に食べ物を入れたまま喋ると噎せることがありますが、食べ物の入り口と呼吸器が重複している人間の体は欠陥品ではないでしょうか？　そう語る長沼先生は、気管と食道の繋がり方の「設計変更」を検討し、「しゃべる口」と「食べる口」「呼吸するための鼻」の三つに分ける新しい人体のカタチを提案します。終始、「生物の形」に着目しながら進化のダイナミズムを捉えようという本書は、帯に掲げた茂木健一郎氏による推薦文が示す通り、「カタチに徹すると、生命の本質が見えてくる」一冊です。
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