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【冒頭部分掲載】

『フェカンにて』

平野啓一郎


 八月九日月曜日、小説家の大野は、一週間分の荷物が詰まった黒いバッグを携えて、サン=ラザール駅の23番フォームで十二時四十分発ル・アーヴル行の特急列車を待っていた。
 大野は今、フランスのパリで生活している。これは昨年、文化庁に新しく出来た文化交流事業の第一回目の派遣によるもので、今年の二月末に渡仏し、一年間滞在して、来年二月末に帰国するのである。彼が今住んでいるのは、オデオンと云う街の真ん中である。そこに、六十平米の二部屋のアパルトマンを借りて、独りで住んでいるのである。
 フランスでの活動は、日本文学科のあるパリ第七大学での不定期の講義と、大使館、領事館の手配するストラスブールやエクサン・プロヴァンスと云った地方都市での、これもまた不定期の講演とが中心で、残りの時間は人に会ったり、芝居を観たりと自由である。毎月の報告の義務はあるが、そう云う事には、元々変に几帳面なので、定められた書式に従って、月の初めにきちんとメイルで提出している。一体、期限の気になる質で、原稿を依頼されても、締切を守らなかった事は一度もない。引き受けると、その後は一切連絡を取らないので、不安になった編集者がメイルで様子を尋ねると、返事の代わりに原稿が送られてくる。それが大体、期日の一日二日前である。時には慎重な編集者が、本来の締切よりも二週間も早く締切期限を打診してくる事がある。そう云う時にも、やはり莫迦正直に、その二週間前の締切の一日二日前に原稿を送るのである。尤も彼は、大学在学中からこの仕事を始めているので、今でも何処か、締切と云うものを学生のレポートの提出期限のように、融通の利かないものだと思い込んでいる。それで、何かの折に、外のもっとずっと締切にだらしない作家の話を耳にしたりすると、目を丸くするのである。そう云う小役人のような性分を、大野は常々自嘲している。それでも、締切に遅れる作家とはどう云う作家なのだろうと想像すると、彼はつい、余り人には言えぬような事を考える。その遅れると云う事を、自ら進んで言ったり書いたりしているのを目にする時には、ますます口には出せないような事を考える。そして、胸に秘めていたつもりなのに、時折文壇で、生意気な奴だと悪口を言われたりしているのを見つけると、どうして分かったのだろうとまた驚くのである。とは云え、大野も、無理な仕事は初めから断るのである。
 フランスでの毎日は、そう云う訳で日本にいた頃ほど多忙ではなかったが、それでも六月末には短篇集を一冊刊行したので、その前後は流石に慌ただしかった。帰国前には、初校と再校との二度のゲラの見直しと、何時もながらの身も蓋もない二通りの自作解題の執筆、プロモウションに関する事務的な連絡、更に『京都新聞』と『赤旗新聞』とからそれぞれ別に依頼されていた短いエッセイと、建築専門誌『X‐knowledge HOME』の連載枠の為のイサム・ノグチについてのエッセイの執筆、帰国後に立教大学で予定されていたホルヘ・ルイス・ボルヘスについての講演の準備とが、丁度、皿に盛ったお菓子を前にした子供達のように、初めは遠慮がちに、仕舞いには取り合うようにして彼のパリでの時間を持ち去っていった。最後の一週間ほどは、彼も、別に取り置いた分までも出して奪い合いを収めようとする母親のように、渋々幾つかのパリでの予定をキャンセルして、すべて日本からの仕事に時間を当てていた。三週間の滞在の後、パリに戻って来ると、今度は日本での対談やインタヴュー、講演等の大量のゲラの見直しと刊行後の一連の事務処理、日本から遊びに来た友人の暢気な観光案内を挟んで、『X‐knowledge HOME』の為の今度はカンディンスキーについてのエッセイと、イタリアの『CASA VOGUE』から依頼された「花」についてのエッセイ、東京の富士美術館で開催される「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」のカタログ用のエッセイの執筆、それに『新潮』の十二月号に掲載予定の百五十枚程度の小説の準備と、やはり何かと落ち着かなかった。
 八月に這入るとすぐに、スウェーデンのストックホルム市が主催するTokyo Styleと云う大規模な日本文化の紹介イヴェントに参加し、俳句をテーマとするシンポジウムの特別枠で、現代日本文学についての一時間弱の講演を行った。これは、シンポジウムの企画者である、彼の最初の二作の小説の翻訳者による招待である。
 ストックホルムには三泊し、一日半ほどは市内観光をする時間も得て、パリに戻って来たのが一昨日の事である。昨日は、不在の間に溜まっていた仕事を片づけるのに丸一日を費やした。それから晩に、ポンピドゥー・センターの三階にあるカンディンスキー図書館での撮影の打ち合わせの為に、ルーヴル近くの寿司屋で知人のカメラマンと食事をしたが、二軒目が思いの外深酒となって、今朝は這々の体でベッドを抜け出して来たのであった。
 ココア・ブラウンの半袖のカットソーにジーンズと云うラフな格好である。それも手伝ってか、発券窓口では、今日も二十六歳未満かどうかと割引の確認をされた。フランスでは、大野は何時も、学生のように見られている。その切符をまだ左手に持ったまま、今、漸く到着した電車の二等車両を探して、彼はバッグを肩に掛け直し、歩いているところである。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。