新潮


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立ち読み

2009年1月号


「デンデラ」佐藤友哉

(登場人物)
01 斎藤(さいとう)カユ(70)
02 桂川(かつらがわ)マクラ(88)
03 福沢(ふくざわ)ハツ(74)
04 和泉(いずみ)ソモ(85)
05 石塚(いしづか)ホノ(86)
06 曽我部(そかべ)ナキ(88)
07 日高(ひだか)ノコビ(88)
08 小渕(おぶち)イツル(94)
09 三(み)ツ屋(や)メイ(100)
10 星井(ほしい)コテイ(79)
11 菊池(きくち)マカ(83)
12 天海(あまみ)アテ(81)
13 新田(にった)チヌ(84)
14 浅見(あさみ)ヒカリ(85)
15 桐山(きりやま)ソウ(81)
16 山本(やまもと)シギ(87)
17 真壁(まかべ)イヌイ(82)
18 長尾(ながお)マツキ(91)
19 久保(くぼ)ラン(71)
20 呉(くれ)クワ(79)
21 八木(やぎ)ササカ(88)
22 保科(ほしな)キュウ(87)
23 小牧(こまき)タイ(72)
24 小野寺(おのでら)コト(84)
25 春日井(かすがい)カガ(67)
26 戸川(とがわ)グリ(78)
27 大井(おおい)ツグ(77)
28 上岡(かみおか)ツイナ(68)
29 北島(きたじま)タヒ(69)
30 板野(いたの)ウメ(74)
31 富永(とみなが)カン(73)
32 金田(かねだ)ミツギ(62)
33 飯島(いいじま)シマ(68)
34 堤(つつみ)ウスマ(84)
35 浜村(はまむら)ヒョウ(74)
36 塚本(つかもと)テマ(81)
37 大原(おおはら)ムミ(85)
38 南出(みなみで)タミシ(81)
39 柊(ひいらぎ)ツサ(75)
40 椎名(しいな)マサリ(89)
41 黒井(くろい)クラ(71)
42 松浦(まつうら)セト(91)
43 野坂(のさか)サヨレ(92)
44 小松(こまつ)ノイ(76)
45 尾瀬(おぜ)ホトリ(87)
46 橘(たちばな)イレ(87)
47 橘(たちばな)クシ(87)
48 高宮(たかみや)ホギ(75)
49 飯窪(いいくぼ)シジラ(75)
50 草地(くさち)マル(75)

第一部
  第一章 往生際

    1

 当たり前のように斎藤カユは『お山』に棄てられましたが、当たり前のように充実していました。斎藤カユはこの日を熱心に待ちわびていたものですから恐怖はなく、むしろ安堵さえしていたほどです。
 死の先を知るのは生きる者には不可能ですので、生まれてから今日まで聞かされつづけた『お山参り』の話も果たして真実なのか、苦患なき極楽浄土が本当にあるのかは、誰にも解りません。ですので斎藤カユは考えるのをやめまして、実に満足した気分で一人、雪の積もった『お山』の中に立っているのでした。
 七十をむかえた老人は、誰であろうとどのような事情を抱えていようと、年明け早々の冬に一人ずつ『お山参り』をするのが『村』の決まりごとでした。必ずやらねばならぬことでした。そして決定された物事をわざわざ否定するような発想は、斎藤カユにはありませんでした。
 雪は降り積もるだけ降り積もりまして、『お山』を覆い隠しています。地面も、枯草も、根深く積もった雪に埋もれ、『お山』を白く染めています。それほどの雪でした。それほどの季節でした。そのような中、斎藤カユは『お山』の中腹付近にある『お参り場』に立ち、祈りつづけていました。躰は冷えきり、両足は紫色に染まり、白装束も雪が染みこみ骨張った肌が透けていましたが、それでも祈りつづけていました。そうまでして何を祈っているのかは、斎藤カユ自身も解っていません。習ったこともなければ、考えたこともないのです。それでも斎藤カユは祈りつづけるのでした。
 斎藤カユの脳裏に浮かぶのは、一度も外に出ることなくすごした『村』のことでも、腹を痛めて産み、つい先ほど自分を『お山』まで運んだ息子のことでも、七十年の人生でもありませんでした。
 何もありませんでした。
 それは斎藤カユが空っぽなのではなく、両手を合わせて祈っているだけで、すっかり満足できたからでした。悲しみも、苦しみも、悔しみもありませんでした。
 年を重ねるだけ重ね、労働のできない躰となった老人が『お山参り』をすることで、この世から綺麗に消えて極楽浄土へ赴けるという教えは、斎藤カユが幼いころから聞かされていたものでした。極楽浄土など存在しないと隠れて云う者もいましたし、口減らしなる言葉も知ってはいましたが、知っていたとしてもほかの道はないわけですから、斎藤カユは何も考えないことにしていました。『お山参り』を拒否して逃げる老人もいましたが、それは卑しい頭で多くのことを考えるからだと思っていました。深い思考に入る。難しい問題を突きつめる。そうしたことは、そうしたことができる者がすべき作業で、頭を使ったとたんに混乱に冒されるような者は、手を合わせてさえいればいいのだと思っていまして、ですから斎藤カユはただ祈りつづけるのでした。不作の年に『お山』に入るのは良いことなのだと、むしろ誇らしい気持ちで祈りつづけるのでした。
 長年にわたる貧しい食生活により痩せ細り、さらに酷使によりくたびれた躰はすぐさま限界に到達しまして、手を合わせるのも難儀となりました。指先には力が入らず、雪に埋もれた両脚は感覚を失い、鼻毛は凍りつき、息は吐き出すそばから細かな結晶となり、白髪は固まっていましたが、斎藤カユは恐怖を抱きませんでした。このまま綺麗に消えれば極楽浄土に赴くことができ、そこでは先に『お山』に入った者らが優しく出むかえてくれるのだから恐れる理由はないと判断していました。
 夜になりました。
『お山』が闇に溶けこむ中、斎藤カユは二本の足でしっかり立ち、変わらずに祈りつづけています。疲労と空腹により頭は熱を帯びてはいましたが、それ以外は完璧に冷えてしまい、もう震えてすらいません。心と躰が生命の維持をあきらめた証でした。その気配を嗅ぎつけた数羽の夜鴉が旋回を始めました。斎藤カユが肉塊になるのを待っているのです。『お山参り』により死んだ老人は、夜鴉や狐など、冬の『お山』に生きる獣らの食糧となりました。食糧を消費することしかできなくなった躰が食糧となるわけです。そうしたことについてもやはり深く考えてはいない斎藤カユは、肉体の末路をただ肯定的に捉えていました。
 夜鴉の啼き声が大きくなり、高度を落として近づいてきます。その中の、斎藤カユに最も接近した一羽と眼が合いました。漆黒の瞳に自分の姿が映っているのが、幻にせよそうでないにせよ、はっきりと見えます。斎藤カユは戦慄するでもなく、その瞳をじっと見つめていました。顔面が凍りついていなければ微笑んでいただろうと思いましたが、それはありません。斎藤カユは自分の反応を想像することもできないほどに凍りついていまして、直後、当たり前のように力尽き、仰向けに倒れました。全身が雪に埋もれても冷たくなく、夜鴉に意地汚く突かれても痛くありません。このように力尽きた斎藤カユには見ることはできませんでしたが、仄青い月光が降り注ぎ、これは斎藤カユも気づいたのですが、少しばかりの温度となりました。それには意識をわずかに快復させる程度の効果はありまして、斎藤カユは凍りついた瞼をぱりぱりと音を立てて開きました。極楽浄土がやってくると思いました。自分にまつわるすべてが消えると思いました。斎藤カユはすっかり満足しますと、瞼を再び閉じました。
 やがて、複数の跫音が聞こえてきました。
 斎藤カユは耳を澄ませ、それが獣の跫音ではないことを確信しましたが、それより先の推測は立てられません。暗闇が支配する時間帯に『お山』に入ることは、『村』では禁じられていました。『お山参り』にしてもそうでした。『お山参り』の祭事は朝のうちに始まり、村長と、『お山参り』をする老人の家族とが、この日のためにこしらえた酒を回し飲み、全員に酒が渡ったところで、『お山』に入る老人と、老人を『お山』へと運ぶ家族の代表者が家の中央に座して、村長から『お山参り』の通則を聞かされ、再び酒を回し飲み、陽が真上に昇ったところで背負われて『お山』に入り、この『お参り場』まで運ぶという仕来りでした。
 本来であれば、このような時刻に人の跫音が聞こえてはいけないのです。
 夜鴉の羽撃きが遠くなり、跫音が接近してきたことで、斎藤カユは物事が新たな段階に入ったのを悟りました。意識は朦朧となっていましたが、それだけは悟りました。
 息遣いが聞こえてきました。
 女のものでした。
『お山』に女が入ることもまた禁じられていました。股座から不浄の血を垂らす女は、同じく女である『お山』に忌み嫌われているので、入山でもしたものなら火焔にまつわる災いがその家に降りかかると恐れられていたのです。女が『お山』に入るのを許されるのは、月役を終えて女としての機能を失ったとき、つまり『お山参り』のときだけでした。
 跫音が、斎藤カユを囲みます。
 動けない斎藤カユは、逃げることはおろか瞼を開くこともできません。いくつもの手が伸びましたが、それを見ることもできません。その手は冷えてはいるものの確実に発熱していまして、やがて斎藤カユの頬に触れましたが、それを感じ取ることもできません。それでも耳だけは機能しているため、まだ生きているぞという、興奮して痰の絡んだ声を聞くことだけはできました。
 老婆の声でした。
 斎藤カユの意識はここで一度終わります。

 
続きは本誌にてお楽しみ下さい。

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