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立ち読み

2010年9月号


「作家の超然」絲山秋子

   (1)雨雲

 八月第一週の大学病院は、出国ラッシュの空港のようにごった返していた。
 早めの診察を済ませた病人たちは精算のため窓口に列を作って待っていたし、桜の樹に囲まれたロータリーにバスが停まるたびに、新たな病人たちが一斉に正面玄関の自動ドアから入ってくる。最近オープンして賑わっていると言われるショッピングモールよりよほど大勢の人がいた。
 裏手の通路は立体駐車場へと繋がっていて、そちらからも病人たちがひっきりなしにロビーへと歩いてくる。初診の受付を待つ集団はそれぞれが不調を抱えながらもどこか初々しく、はにかんだ表情を浮かべているようにさえ見える。再診の患者たちは一目でそれとわかるほど淡々としていて、手続きを済ませると無駄のない動きでエレベーターやエスカレーターに乗って上の階にある受診科へと向かった。

 待ち合いで、おまえは長椅子の端に浅く腰を下ろして、読む気のない本を広げていた。天井にはレールが張り巡らされ、ちょうど懸垂式モノレールの車両のような箱が各科にカルテを搬送するために軽い振動音をたてて往復していた。最初の頃、おまえは物珍しそうにそれを眺めていたものだが、今ではもうすっかり慣れてしまった。
 目を上げると、不自然と言っていいほど高い位置にテレビがあり、式典の模様が放映されていた。画面は夥しい数の鳩が弧を描いて飛んでいく広島の空を映し出していた。暫くして紺色の制服を着た子供の姿がクローズアップされた。そして驚くほどのボリュームで作文を読む声が流れた。
「みんな、苦しんで、苦しんで、死んでいきました」
 おまえは声を出してうめきたいような気持ちになる。だが眉ひとつ動かさない周囲の患者を見て、また居心地の悪そうな表情に戻り、本に目を落とした。

 結果から言って首の腫瘍は小さな雨雲のようなものだった。一時的に激しい雨を降らせるとしても、やり過ごすという方法もあったのだ。
 だがおまえは確かめずにはいられなかった。おまえは、いつだって叩き付けるような雨を横切って雲の向こう側の晴れ間を見つけに行くのだ。与えられた玩具を弄び、噛み裂いて全てをバラバラにしないと満足しない犬のように、おまえは長さ六センチの腫瘍の構造と組織に心を奪われた。おまえは知っている。人体の異常ほどの魅力は、小説にも音楽にも絵画にもないことを。
 あとになって、おまえは手術の直後に撮った腫瘍の写真を兄嫁から貰い、思う存分見つめることになる。その頃のおまえは因果関係の読めない神経の痛みや、感覚の不自然さをもてあましていたが、それでも手術の選択を後悔したことは一度もなかった。
 写真で見た腫瘍は明るい肌色で、ずんぐりしていてややいびつな、ショウガの塊のような形状をしていた。おまえはこれを「ゴボウ巻き」と呼ぶことに決める。ゴボウが神経であり、練り物が神経をまとめる「鞘」である。或は、金色の細い電線の束をまとめる黒や赤のビニールの皮膜、あそこに腫瘍ができてしまったのですよ、と言ってもよい。
 目で見える病気を説明するのはなんと楽なのだろう、とおまえは思い、深く満足するのだった。

 首のぐりぐりはずいぶん前から存在していた。右肩よりは顎に近い場所にあって、そっと触れれば脈打っていた。人に気づかれるほどの大きさではなかったが、自分で見過ごせるほど小さくもなかった。ある日おまえが触れてみると、それは記憶にあるよりずっと大きくなっているように感じられた。そのときからぐりぐりはおまえの中心に居座って、常に注意を促す不穏な存在となった。
 春先に仕事が一段落したときに、おまえは近くの病院に出かけて行って医師に相談し、MRIを撮ったのだった。そこでは腫瘍の存在がわかっただけで、それ以上の対応ができなかったので転院することになった。二軒目で「神経鞘腫(しょうしゅ)」という所見が出たものの、脊髄が専門の医師から手術なら大きな病院の耳鼻科がいいと紹介状を書かれ、おまえはまた初診の列に並ぶことになった。
 三軒目の病院は設備が整っていた。造影CT、エコー、細胞診、採血、PETと検査は続いた。だが、それをどうするのか、方針も結論も出なかった。痛みやだるさといった症状のある疾患でもないのに、おまえは週に二度の通院を続け、気がついたときには思いのほか体力を消耗していた。それでも再診受付の列に並ぶほか、できることはないのだった。帰っても仕事にならないので、朝まだ暗いうちに起きて原稿を書いた。県外で人と会う予定は病院の曜日を避け、打ち合わせなら夕方の時間帯に入れた。ある日、もう限界だと思って尋ねると医師は、検査は続けるが手術はしない方がいいと言った。
「なぜですか?」
「失敗したら後遺症が残るからです」
「このまま様子を見ていたらどうなりますか?」
「腫瘍が大きくなるかどうかわかりませんが、なればどこかに障害が出るでしょうね」
 おまえは深く納得した。
 後遺症と障害というのは、患者にとって全く同じ症状であっても医師と彼の実績にとっては大違いなのだ。
 潮時だと思い、転院を申し出た。
 梅雨が明け、夏になっていた。
 評判のいい耳鼻科の医師がいると聞いて飛び込んだ県外の大学病院で、おまえは三軒目の病院で受けたPET検査の結果を聞いた。腫瘍は頸部大動脈と大静脈の間に位置していた。腫瘍マーカーの判定からも良性という所見だったが、腫瘍が増大して症状が出た場合いくつかの機能が損なわれる恐れがあった。今度の医師は明快な口調で、嗄声と嚥下障害の可能性があると指摘した。
「それなら私の仕事には直接影響しません。大丈夫です」
 おまえは言った。もちろん強がりだった。実際はそれらの後遺症について丹念に調べ上げていた。思ったような声が出ない恐怖、想像できない痛みに悩まされること、そして今から厄介だと思うのは食事の問題だった。食べられるものが制限されるのだろうか。外食は出来なくなるのか。たとえ締切当日であっても、自分のために特別食を作らなければならないのか。水や酒は飲めるのだろうか。小説を書くという仕事に直接差し障りがなくても、それらは十分に生活を脅かす要素だった。
 だが、これ以上心配しながら暮らすのは耐え難かった。何度目かの通院の日、おまえは医師に申し入れた。
「先生、手術をお願いしたいんですが」
「ふむ」
 医師はメガネの奥の小さな目でおまえを見つめた。
「動脈と静脈の間にこんな大きな物が詰まってたら気になって来年の予定も入れられません。手術していただけませんか」
「そうですか。患者さんがやれとおっしゃるのであれば、やりますよ」
 医師はそう言ってにっこり笑った。
 手術が好きな医師だった。それは決して悪い意味ではなく、腕に自信があるのだった。カレンダーを見ながら手術日を決定するとき、医師はまるで家族旅行の予定をたてるように明るく、てきぱきとしていた。医師と自分の年齢はさほど変わらないはずなのに、おまえは父親の姿を思い出していた。
 その日の診察のあと、おまえは看護師から今後の予定や書類の関係のことを聞いた。次に必要となるのは、手術の同意書と保証人だった。良性疾患で金額的にそれほど高額でなくても、保証人が必要なのだった。虫歯を抜くようにはいかない。全身麻酔の手術というのはそういうことだった。
 家族の方がいいだろうと思い、久しぶりに長兄に電話をした。兄夫婦は有給休暇を取って東京から来てくれることになった。余計なことは何も言われなかった。

 
続きは本誌にてお楽しみ下さい。

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