立ち読み

2016年4月号

「死者と生きる――被災地の霊体験」奥野修司

 東日本大震災の被災地で、不思議な体験が語られていると聞いたのはいつのことだったのだろう。多くの人の胸に秘められ、口から口へと伝えられていたそれは、大切な「亡き人との再会」ともいえる体験であり、同時に亡き人からのメッセージともいえた。
 津波で流されたはずの祖母が、あの朝、出かけたときの服装のままで縁側に座って微笑んでいた。夢の中であの人にハグされると体温まで伝わってきてうれしい。亡くなったあの人の携帯に電話をしたら、あの人の声が聞こえてきた――。
 これから僕が書こうとしているのは、こうした「不思議な」としか形容できない物語ばかりである。誰にでもわかるという普遍性がないから、それを信じようと信じまいと僕はかまわない。再現性もないから、それが正しいかどうかを証明することもできない。ただ僕は、僕なりにその人の体験がたしかであろうと判断したものをここでご紹介するだけだ。事実であるかもしれないし、事実でないかもしれないが、確実なのは、不思議な体験をした当事者にとっては「事実」であるということだ。
 東日本大震災の二年目から、僕は毎月のように被災地に通い続けた。なにやらそうしないといけないような気がして、まるで仕事にでも出かけるかのように通った。ボランティアではない。もちろん物見遊山ではない。それは霊体験ともいえる、きわめて不思議な体験をした人から話を聞くことだった。なぜそんなものに興味を示したか、すこしばかり経緯を説明しておいたほうがいいだろう。
 震災の翌年、僕は、在宅緩和医療のパイオニアとして宮城県で二千人以上を看取った岡部医院の岡部健さんと毎週会っていた。がんの専門医であった彼に胃がんが見つかり、余命十ヵ月と宣告されながら、僕が会ったときはすでにその十ヵ月が過ぎていた。僕が彼の話で注目したのは「お迎え」という現象だった。「死の間際に亡くなった両親があらわれた」といったように、自身の死の間際にすでに亡くなった人物や、通常は見ることがない事象を見ることを「お迎え」というが、僕が小さいころは日常的に使われていた言葉だった。それがいつの間にか幻覚・せん妄になっていたのである。それが僕の中でずっと未消化のまま残っていて、岡部さんに会ったとき、ちょっと失礼かなと思いながらこうたずねた。
「お迎えって信じますか?」
 すると岡部さんはじろっと僕をにらみ、「お迎え率って知らねえだろ。うちの患者さんの四二%がお迎えを経験してるんだ。お迎えを知らねえ医者は医者じゃねえよ」
 伝法な口調で吐き捨てた。
 僕はうれしかった。
 今から千年以上も前に、天台宗の僧・源信を中心とした結社が比叡山にあった。彼らは亡くなっていく仲間の耳元で、今何が見えるかと囁き、末期の言葉を書き留めたという。死ぬ直前に極楽か地獄を見ているはずだから、最期に何を見たか、死に逝く人は看取る人に言い残すことを約束したのである。このとき何かを見たとすれば「お迎え」に違いない。千年も前からお迎えがあったなら、お迎えは特殊な現象ではなく、人が死んでいく過程で起こる自然現象と考えたほうがいいのではないか。そんな思いを、このとき僕は岡部さんとはじめて共有できたのだ。
 お迎えの話に導かれるように耳に入ってきたのが被災地の「幽霊譚」だった。
 実際、僕が聞いた話にこんなものがある。たとえばタクシーの運転手だ。
「古川駅から陸前高田の病院まで客を乗せたんだが、着いたところには土台しか残っていなかった。お客さん! と振り返ったら誰も乗っていなかったよ」
 仙台である内装業者と一緒に食事をしたときも、ふっとこんな話を漏らした。
「震災の年の夏だったが、仮設住宅で夜遅くまで工事をしていたら、いきなり窓から知らない人がいっぱい覗いていた。そのとき頭の中に若い女性の声で『わたし、死んだのかしら』なんて聞こえた。驚いて窓を見たが、年寄りの幽霊ばっかりだった」
 まるで都市伝説のような恐怖体験だが、当時はこんな話は掃いて捨てるほどあった。
「これはお迎えと同じだよ。きちんと聞き取りをしたほうがいいんだがな」と、岡部さんはさりげなく僕の目を見て言う。
 僕は聞かないふりをして黙っていた。
 お迎えは、僕の中で実体験としてあるが、霊体験となるとそういうわけにはいかない。当時の僕にすればUFOを調べろと言われているようなものだ。
「近代科学は、再現性があることが原則でしょう? 幽霊話はどうも……」
「だめかい」
「気が乗らないですねえ」
「だけどよ、被災した人の二割が見たという話もあるぜ。二割といやあ、たいへんな数だ。お迎えと同じじゃねえかい?」
 でも僕は首をたてに振らなかった。
 あるとき岡部さんから電話があり、ちょっと話したいことがあるという。何事かと思って駆けつけたらこんなことを言った。
「幽霊話はよくなかったな。『遠野物語』の第九十九話で柳田國男は、男が明治三陸地震の津波で死んだ妻と出会う話を書いたよな。結婚する前に親しかった男と、あの世で一緒になっていたという話だ。なんでわざわざ男と一緒に亭主の前に出てくるのかわからんが、死んだ女房に逢ったのに、怖いとはどこにも書いていない。つまり家族の霊に出会ったときは、知らない人の霊に出会うときの感情とはまったく違うということじゃないか?」
 沖縄戦のさなかに、北部にあるヤンバルという山中で逃げまどっているとき、先に戦死した兄の案内で九死に一生を得たといった霊的体験を沖縄で何度か聞いたことがある、それを語ってくれた老人は、一度も怖いと言わなかったことを僕は思い出した。
「霊としてあらわれた死者と、霊に遭遇した生者のあいだに物語があったかどうかの違いかもしれませんね」
「そうだろうな」
 そして岡部さんはこんな話をした。
「石巻のあるばあさんが、近所の人から『あんたとこのおじいちゃんの霊が十字路で出たそうよ』と聞いたそうだ。なんで私の前に出てくれないんだと思っただろうな、でもそんなことはおくびにも出さず、私もおじいちゃんに逢いたいって、毎晩その十字路に立っているんだそうだ」
 切ない話だったが、それを聞いてほっとすると同時に、思わず胸が高鳴った。これまで霊を見て怖がっているとばかり思っていたのに、家族や恋人といった大切な人との霊は怖いどころか、遭えることを望んでいたのだ。この人たちにとって、此岸と彼岸にたいして差はなかったのである。
「ちいっとやる気になったかい」
 亡くなる三ヵ月ほど前のことで、がんは体のあちこちを侵食していたからソファーの上で横になったままだったが、岡部さんは子供のようなキラキラとした目で言った。
「え、まあ……」
 なんだか丸め込まれたような感じで素直に承諾するのは悔しかったが、死者と逢いたいと願う生者の物語を聞いてみたいという気持ちがふつふつとわき上がってきて、こりゃ腰を上げるしかないよなあ、と自分に言い聞かせていた。こうして僕は、津波で逝ったあの人との「再会」ともいえる物語の世界へ一歩踏み出すことになる。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。





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