立ち読み:新潮 2016年8月号

「スイミングスクール」高橋弘希

 とおり雨の後のアスファルトには、幾つかの水溜りが広がっていました。ひなたはその中の一つの畔(ほとり)にしゃがんで、水面を覗いていました。小さな身体を、もっと小さくなるように縮めて。両腕で、膝を抱えるようにして。赤い髪留めが二つ、耳の下で揺れていました。
「水溜りの中に、空があるよ」
 その水溜りは、私にはただの淀みにしか見えませんでした。でもひなたに近づくにつれて、水面には次々に風景が映り込んでいきました。スーパーの屋上の鉄柵が映り、電柱と電線が映り、樹木の枝葉が映り、最後にはそれらがすべて途切れ、四月の空が映りました。水面ではときに細かな雨粒が弾け、波紋が広がると、空の形が変わります。私は手の平を中空に差し伸べて、現実の空を見上げてみます。青空の中からときに陽光の線がふっと落ちてきて、それは手の平に達すると雨粒に変わりました。ひなたは再び振り返って、
「天気雨が降ってるね」
 その日の午後、私とひなたは、街の火葬場を訪れました。“胡桃(クルミ)”の遺骨は、四寸程のペット用の骨壺に納められていました。火葬場職員の黒服姿の男性に自宅供養のやり方を尋ねると、彼は柔和な顔を浮かべ、忌日に納骨される方もいます、ずっと家に保管される方もいます、海や河へ散骨される方もいます、ペットのワンちゃんを火葬するというのも、新しい考え方なので、決まり事というのはないんですよ――。このまま霊園へ納骨することを、彼は勧めてきました。でもひなたが胡桃を連れて帰ると言うので、私はそれに従いました。ひなたはパステルカラーのリュックに、胡桃の遺骨を納めました。骨に重みはないので、九歳のひなたでも簡単に背負うことができます。
 火葬場からの帰路、自転車を走らせながら、私は雨の匂いを感じていました。鼻腔がじわりとする、鉄錆のような、生温かい、雨の匂い――。アスファルトへ一つ二つ、黒い点が落ちたかと思うと、瞬く間に辺りは大降りになり、私達は慌てて近くのスーパーの軒下へ避難しました。一帯にはけたたましく雨音が響き、駐車場には次第に水溜りが出来上がっていきます。私達は軒下に二人並んで、ときに空模様を窺いながら、雨音が途絶えるのを待ちました。
 その春の夕立をもたらした積乱雲は、今ではもう街外れへと流れていきました。雨雲のやや西側、駐車場を仕切る金網の向こう側に、懐かしいものを見つけて、私はひなたの背に触れました。
「あっちの空に、虹が架かっているわよ」
 ぱっと顔を上げたひなたの瞳を見て、どきりとしました。眼球は涙を溜めて潤み、瞼は桃色に腫れて、睫毛はふやけていました。ひなたは立ち上がって大きく背伸びをすると、
「あの辺りに住んでいる人には、虹が目の前に見えているのかな。目の前に虹があったら、触ることもできるのかな」
「光が反射してそう見えているだけだから、触ることはできないのよ」
 ひなたはパーカーの袖で、顔周りを擦るような仕草をすると、
「知ってるよ。でも虹の中に手を入れたら、手の平もきっと七色」

 数日が過ぎた夕刻、私は街道沿いのバス停で、ひなたの帰りを待っていました。薄暮れの街道を、ヘッドランプを灯したり、灯していなかったりする乗用車が行き交います。私はときに、踏切の向こうへと目を遣り、訪れる車を確認します。スイミングスクールのバスは、到着予定時刻を十分ほど過ぎていました。再開発地域で工事をしているので、路が混んでいるのかもしれません。
 バスの送り迎えをするのは、ひなたが幼稚園のとき以来でしょうか。今住んでいる千葉ニュータウンの二階建ての家ではなく、まだ三鷹のマンションに住んでいた頃のことです。幼稚園の初日、ひなたは先生に手を引かれると、ママがいい、ママがいい、と涙を浮かべて訴えました。あのときは私も慌てふためいたものですが、今になって思い返すと、懐かしくも微笑ましくもあります。
 ひなたがスイミングスクールへ通いたいと言い出したのは、胡桃の死の翌日のことです。奈々(ナナ)ちゃんと一緒にスイミングに通いたい、バタフライできるようになりたい、学校から帰宅したひなたは、ランドセルを放り出すと訴えました。その夜、ひなたが寝静まった後、夫に相談しました。私は習い事をさせるのなら、公文か英会話がいいと考えていました。公文なら、何かを地道に毎日続けるという忍耐力が身につくはずです。英語が話せれば、受験にも就職にも役立つはずです。夫は缶ビールを呑み、輪切りのトマトを摘まみつつ、スイミングもいいんじゃないかな、そう述べました。身体も丈夫になるし、もしものときに溺れないだろうしさ。
 ずっと昔、私がまだひなたより幼かった頃、私もまたスイミングスクールに通っていました。初日の授業で、大泣きしたことを今でも覚えています。両腕に橙色の浮きをつけ、水面から顔を出し、プールサイドへずっと泣き顔を見せていました。生温かい涙と、生ぬるいプールの水で、私の頬はぐっしょりと濡れていました。ひなたも私と同じように、水を怖がるかもしれません。その話をすると、夫は苦笑しました。ひなたちゃんが水を怖がるとも思えないけどなぁ――、それに本人がやりたいっていうのが一番だよ、親の都合で無理矢理に通わせたって、続かないものだしね。
 私は以前、ひなたをピアノ教室の体験授業に参加させたことがあります。何気なく安売りしていた玩具のピアノを買い与えたところ、ひなたは毎日飽きることなくピアノを弾き続け、独学で両手弾きまでできるようになりました。才能は伸ばしてあげなければと、ピアノの先生に見てもらおうと考えたのです。でもひなたには合いませんでした。ひなたが弾きたいのは、“子供のバイエル”ではなく、流行の歌謡曲でした。確かに、ひなたの意欲を尊重して、やりたい習い事をさせたほうが、将来的にひなたの為になるかもしれません――、私が親指を唇へ当てて一人で頷いていると、夫はくすくすと笑みを溢していました。何が可笑しいのよ、そう尋ねると、
「ひなたちゃんが、ママは難しいことを考えているときに、三白眼みたいになるって」
 慌てて自分の目蓋を手の平で押さえると、夫は余計に笑いました。私はむっとして、それから夫の言葉を思い返して、
「もしものときってどんなときよ?」
 夫はもうテレビへと視線を移しており、ナイターの結果に気を取られながら、
「夏になると、子供が海や河で溺れたっていうニュースをよく聞くじゃない。平泳ぎができれば、岸まで辿り着けるんじゃない?」

(続きは本誌でお楽しみください。)