立ち読み:新潮 2016年9月号

「うそコンシェルジュ」津村記久子

 うそを見破れないけれども、うそがばれたこともない。そもそも、私はあまりうそをつかないのでそう何度もばれようがないのだけど、ここぞというときについたいくつかのうそはばれなかった。
 うそがばれないいちばんのこつは、自分がついたうそを覚えていることだ。あとは、ありえそうな内容のうそをつくこと。そして、うそをついた裏付けになることを、うそをつききるまではあらゆる公的な媒体に残さないこと。できればうそをついた目的が完了した後も、人目に付くところで口にしないこと。だいたいそれだけで、私がつく程度のうそは成立する。
 相沢さんはその日、SNSで情報が流れてきたある芸能人のロケに出かけたいけど、先約があるので行けない、なんでどっちでもいい約束なんか入れちゃったんだろう、すっごくすっごく残念、と号泣している顔文字で、仲間たちに訴えて盛大に慰められていた。その先約の相手は私だ。
 彼女とは、小規模な布の展示会で知り合った。狭い店で行われた会なのだけれど、盛況だったので、入場者は何十人かずつに制限されていて、私は店へと続く階段の行列で、入場を待っていた。相沢さんは、私の後ろに並んでいた人で、順番待ちの人々に店員さんが出してくれたアイスティーがおいしい、という話をなんとはなしに始めて、その場で一緒に行動するようになった。話すうちに、私の着ていたワンピースや、持っているバッグが、その店の布を加工したものであることに気づいた彼女は、私が縫い物ができることにいたく感心し始めた。
 その後、流れで一緒に展示会の布を見て回り、その帰りに、店の近くのカフェでお茶を飲むことになった。そこで連絡先を交換し、私と相沢さんは知り合いのようなものになった。相沢さんは私より少し若くて、私よりぜんぜん着ているものにお金をかけている感じの人だったので、細々と自分で作った持ち物を誉められることは、今考えると気分が良かったのかもしれない。私と相沢さんは、その展示会でもらったフライヤーの別のイベントに行く約束をして別れた。
 次に会った時、私は相沢さんに彼女と出会った展示会で手に入れた布を使って作ったコサージュをあげた。自分と、友人と、姪の分を作るついでに作った、大して手の掛からないものだったのだが、相沢さんはすごく喜んでくれた。友人と姪は、いわば身内で、私が何をしてもだいたいは優しく接してくれるものなのだけれど、相沢さんのような完全な他人から評価されたことは新鮮だったし、とてもうれしかった。そして相沢さんは、私の持っていたバッグをしきりにうらやましがり始め、そういうの欲しいなあ、自分に作れる腕があればいいんですけど、私不器用だし時間ないからなあ、と結構な長い間、自虐のようなことを始めた。いっこうにそれが終わらず、だんだん言うことがなくなってきた私が、一日で作れますんで、今度差し上げますよ、と提案すると、相沢さんは、ほんとですかー? やったー! と派手に喜んだ。私は、いつもすまんな、と言いながら自分の作ったものを友人や姪に押しつけているので、ここに私の作ったものを自発的に欲しがってくれる人がいる、とやや舞い上がっていた部分もあったのかもしれない。
 相沢さんと私は、私的な話はほとんどせず、だいたい、どの店がいい雑貨を置いているとか、どの店のドーナツがおいしい、といった、休日の過ごし方の外周のようなものについて会話をすることにとどまっていたのだが、唯一相沢さんが自分の内面を見せたのは、ある男性アイドルグループにいる芸能人が好きだということについてだった。席の近くを通った別のお客が、その芸能人が愛用しているのと同じブレスレットを身に付けていたことに彼女が強く反応したので、そのことが判明した。芸能人は、主演のドラマが始まったばかりだそうで、相沢さんは今月、有休を何度も取ってロケ先を追って回っているそうだ。芸能人は、ファンサービスがとても良いらしく、いつもロケ後に時間を取って、サインや握手や撮影をねだるファンたちに対応しているのだという。だから、彼に「会う」ことは欠かせないとのことだ。
 私は、彼女の話がほとんどわからなくて、そんなに人気があるの? と姪の佐紀にたずねると、まああるけど、どっちかっていうと私たちよりはみのりちゃんの世代の人たちが一所懸命でかわいいとかってもてはやすタイプだと思う、と濁した答えを返してきた。みのりちゃんというのは私のことで、佐紀はおそらくその芸能人が好きではないのだろう。姪はそもそも、芸能人には興味がなく、画像を集めたりネットで追ったりしているのは、四国のチームの誰だかよくわからないサッカー選手だ。比較的近場をホームとしている実業団のチームから遠い四国に移籍してしまい、なかなか実物を見ることができないと悔しがっていた。ちなみに、写真を見せてもらったら普通にかっこいい人だった。
 そして暇な日があった。誰にでもあるだろう。家事をしないといけないし、部屋の掃除だってした方がいい、外に出て散歩をする日和でもあるし、趣味に費やしてもいい、レコーダーにたまった番組を消化するのも悪くないというそんな日に、びっくりするぐらいそのどれもに対してやる気が起こらない、という無気力な日が。心身のエンジンオイルが切れたかのように、ただ寝転がって何もできない。かといって睡眠は十分にとってしまったので、眠ることもできない。そして枕元には携帯電話だけがある。そんな時についついやってしまうのが検索である。忙しい普段は、脳の隅にとりあえず追いやって存在を無視している由無し事が、ここぞとばかりにいざり寄ってくる。あなた、これが気になってたでしょ? 今がそれを知る機会よ。あなたは本当はそれを知りたいのよ。
 それで私は検索したのだった。まったく知らなくてもどうでもいい、二度しか会ったことのない相沢さんが好きだと言っていた芸能人について。相沢さんのツイッターはすぐに出てきた。居住地が本人の言っていた住所だったことと、その芸能人と撮影したという写真で身に付けていたコサージュが、私の作ったものだったのですぐにわかった。私の周囲の人は、まったく誰もSNSのたぐいをやらないので、顔をぼかして隠しているとはいえ自分の写真をネットにアップロードしているなんて、この人が芸能人みたいだな、と思った。実際、相沢さんは、その芸能人を追いかけている人たちの間では、ちょっとした顔役であるようで、フォロワーもたくさんいた。
 その時はそれで終わった。私は彼女から頼まれたバッグを作って、次に別のイベントに出かけたときに渡した。相沢さんは、ありがとうございますー! と大きな声で言った。そして、その時私が着ていた、彼女と出会った展示会で買った布で作ったワンピースを誉めそやし、誉めちぎり、自分にも一着作ってくれないか、と打診してきた。材料費は出します! と彼女は元気よく言った。私は承諾した。ツイッターを見たのだが、という話は言いそびれた。べつに身元を探ろうとしたわけでもなくやましいこともないので、言っても良かったのだけれども。
 手を動かすことは好きなので、毎日退社後に淡々と製作をして、行きたい雑貨のイベントについて彼女に予定を問い合わせた。大丈夫です! と文字上ながらやはり彼女は元気よく返事をした。で、またエンジンオイルの切れた暇な日が来て、私は何となく彼女のツイッターを見て、会う予定の日に、追いかけている芸能人のロケが重なって見に行けない、どうして約束なんか入れてしまったのか、私のばか、と嘆いている発言を読んだ。何とも言えない気分になった。
 その日は休みだったので、頼まれた服はとにかく完成させた。私は、レコーダーにたまっていた海外ドラマを見ながら、自分の作った服にアイロンをかけ、きちんとたたんで、先月行った服屋の紙袋に入れた。相沢さんは人なつこい人だな、と思った。人なつこいことと善人であることがうまくつながらないことだってある、と私は三十代半ばにして学習した。
 ツイッターを見たので、とは言わなかったが、自分のせいで後悔をして欲しくなかったので、本当にその日でいいんですか? 俳優さんはロケをなさっているし、貴重なお休みですし、服を渡す用事はまだ先でも、と延期を申し出たのだが、相沢さんは、早く着たいのでその日がいいです! と言ってきたのが意味不明だった。でも一方で、SNSでは仲間たちに、自分の代わりにお写真たくさん撮ってきてね、本当に本当に本当に残念、と連日ふれ回っていて、私は、なんだかこの人すごく複雑な人だな、と思い始めた。私が延期していいと言っていて、自分もその日にべつにやりたいことがあるのなら、聞き入れてもいいと思うのだけれども。
 私は、自分との先約について彼女が愚痴っていること以上に、その複雑さをだんだん重荷に感じ始めた。数えるほどしか会ったことがないので重荷も何もないのだが、休みを費やしてまで、知人レベルの人の行動に関して「なんで?」と思い続けることは時間の浪費に思えた。また、作った服をあげたくもなくなった。いや、べつにあげてもいいんだろうけれども、その後彼女と会うつもりはないし、そのわりに彼女が私に借りを作っちゃうよな、と思った。私は、そういう人間関係のバランスの悪さが嫌いだ。怖さすら感じる。
 そういうわけで、私はうそをつくことにした。体調不良ですっぽかすのがいちばん手っ取り早いように思えたけれども、当日に知らせると急すぎて、彼女が芸能人の追っかけに行けないかもしれないし、前日だと、次の日に回復する可能性を考慮されてもいけないし、それはそれで難しいと思った。

(続きは本誌でお楽しみください。)