立ち読み:新潮 2017年5月号

アフリカの愛人/旦 敬介

1

 モンバサのホテルの一室に僕らはいる。
 K介が目を覚ますのに僕は気づく。目を覚まして、彼がベッドの上で起き直るのが僕には見える。彼は汗びっしょりになっている。
 モンバサは赤道直下の港町だから、いつでも暑い。それはわかっているのだが、それにしても異様な暑苦しさだ。ホテルの部屋だから冷房の設備はある。しかし、スイッチは切られている。窓枠に設置されたその冷房機はK介の子供時代に、彼の家の食卓脇に初めて導入されたクーラーにそっくりのもので、明らかに冷たい空気が出るのだが、あまりにも音がうるさいので寝るときには消しているのだ。そのかわりに彼は窓を開け放っておきたかったが、それはダメだ、と言われている。
 そうだ。この旅には今、同行者がいるのだ。その同行者が、寝る前にすべての窓を閉め切ることにこだわったのだ。それがナイトテーブルをはさんだ隣のベッドでぐっすりと眠りこんでいるアミーナだ。彼女が、アフリカでは絶対に窓を開けたままで寝てはいけない、と言い張ったのだ。
「Because it’s dangerous, you know?」
 と彼女が、危険だから、というのを根拠としてあげたのを僕も聞いていた。
 しかし、危険だからこそ、ケニアではどこに行っても窓には頑丈に溶接された鉄格子がはまっているのであり、どこにでも「アスカリ」が見張り番として雇われているのではないか。しかもここは、最高級とは言えないものの、塀に囲まれたお屋敷スタイルの由緒あるホテルの敷地内だ。したがって、アミーナが生まれ育ったのがアフリカ屈指のひどい内戦を戦っていた時代のウガンダの、なかでもとくにひどく荒らされた北部だったことを考慮に入れたとしても、治安という理由だけでは、その頑なさは説明しきれなかった。
  K介はアミーナと同じ屋根の下で寝起きするようになって十日ほどになるから、その本当の理由が別のところにあることに気づいている――夜は悪霊とか魔物が跋扈する時間帯だから窓を開けておいてはいけないのだ。アミーナに言わせると、いたるところに悪霊がいる。それが夜になるとうごめきだし、開いた窓から入ってきて、おかしなことを始める……というのだ。
「I can see things, you know?」
 あたしにはいろんなものが見えるんだから、とアミーナは自信たっぷりに言っていた。
 ほんものの魔物なら窓ぐらい閉まっていても入ってこれるだろう、とK介は反論したことがあるが、本当に魔物が入ってきたら困る、とも思っている。だから、アミーナと同じ部屋で寝るときには、窓はいつも閉め切って寝るようになっている。
 しかし、モンバサに来て三日めのこの夜は、彼にその禁を犯すことを考えさせる。全身がじっとりと汗に濡れていて、室内に湯気が立ちこめているようですらある。K介が薄暗い部屋の中に目を凝らしてみると、たしかに、部屋の反対側がかすんで見えるようでもある。
 そんな馬鹿な、と彼は考えている。
 しかし、浴室のドアのわずかな隙間から明かりが漏れていて、それは彼がわざとつけたままにしておいた明かりなのだが、たしかにそのドアの隙間あたりにもやがたちこめている。
 様子を見に行くことにしてK介はベッドから起き出す。それを見て、僕は、待って、と制止したくなるが、彼はそれに気づかず、床に降り立つ。その瞬間、彼はどきっとなって身をすくめる。床が濡れているのだ。いや、床に敷きつめられたカーペットが濡れている、という程度ではなく、床が水浸しになって、足の小指が完全に水没するほど水がたまっている。しかも、それは水ではなく、明らかにお湯なのだ。
 しかしK介は長くは立ちつくしていない。彼はお湯の浅瀬に立った一瞬のうちに完全に覚醒して事態を理解し、Shit! と心の中で声をあげるのが僕には聞こえてくる。K介は水しぶきをあげて浴室に走る。浴室のドアの下にはさざ波が立っていて、中は蒸し風呂のように真っ白だ。彼はがむしゃらに湯気をかき分けてトイレの脇をすり抜け、洗面台に駈け寄ると、蛇口から噴出している熱い湯を大急ぎで止める。流しに栓がしてあるわけではないのに熱湯が洗面台いっぱいにたまって、縁からあふれ出している。あっちっち、と飛び跳ねるようにして足を入れ替えている彼の目の前で、たまっていた熱湯はゲボゲボと音を立て、渦を巻きながら排水口に吸いこまれて消えてなくなる。
 すると、大騒ぎの記憶だけを残して、真夜中の沈黙が急に広がる。
 すべては前の晩の断水のせいだった。K介たちがシャワーに入ったときにはふんだんにお湯が出たのに、その後、歯磨きをしようとすると急に断水になっていたのだ。水が出ないものだから、右と左のどちらの蛇口が水なのかお湯なのかわからなくなって、復旧したらすぐに復旧したことがわかるように、彼はでたらめに蛇口を開け放っておいた。ところが、結局水はもどらなかったので、そのまま彼らは忘れて寝てしまった。そして、誰もが寝静まったころに断水は復旧した。しかも、開けてあったのはお湯の蛇口で、その蛇口の給水力が、流しの排水力を上回っていた……。
 水浸しになったこの風景を見るのを拒絶するようにK介が目を閉じて激しく顔をしかめるのが僕には見える――彼が、このとき、急に日本語にもどって「覆水盆に返らず」と思い出すのが僕には聞こえている。しかし、その表現ではとても部屋じゅうが水浸しになったこの不幸の規模の大きさを表現できていないことに気づいて、彼はかわりに、No use crying over spilt milkと思いついて言い直してみる。するとこの水浸しががすべて牛乳になっている状況が脳裏に浮かび、その事態のおぞましさに、K介は思わず目を閉じて、顔をしかめたのだ。と同時に彼は、断水以後のすべてを黒板消しで消すようにして、なかったことにしてしまいたがっている。
 瞼を閉じて、すべてを忘れようと心を空白にしてみて、ふたたび目を開くと実は何ごとも起こっていなくて、すべてがもとの、平穏な世界にもどっている――そういう「魔術的な取り消し」というのが、人生において、まれに起こることがあるのではないか。そのような、すがりつくような希望をK介が、瞼を閉じたこの瞬間に抱いたことを僕は知っている。彼がその願望を抱いたのはこれが初めてではない。最後でもないことが僕には今ではわかっている。K介が子供のころ、おもちゃを遊びちらかした後、片付けるのが面倒で、忘れたふりをして放置しておいて、すると夜の間に小人たちが出てきて朝までに何ごともなかったかのようにきれいに片付けておいてくれる、という願望の形をとったことがある。
 ゆっくりと目を開いて、彼は今回もまたそれが実現されなかったことを確認する。やっぱりダメか、と彼は考え、続けて思いつくのは、ホテルから賠償を求められたらどうしよう、ということだ。
 バレないようになんとか形だけでも繕っておかねば――と彼はまわりを見まわす。すると、ちょうどいい具合に、トイレの便器の脇に、オレンジ色のプラスチック製マグカップが、水に浮かんで揺れている。それは便器の脇の低い位置に設置された蛇口から水を汲んで、用便後に左手で尻を洗浄するときに使うものだ。
 K介はこれをひしゃくのように使って床の水を掬い出してトイレに捨てていけば、案外うまくいくかもしれないと思いつく。しかし、試してみると、そんなものではまるで追いつかないことがすぐにわかる。広く浅く床を覆っている水を、円形のもので掬うのは、彼の予想よりもはるかに困難で効率が悪い。
 他に使える道具はないのか。K介は見まわしてみるが、手ごろなものは何も見当たらない。海の水を飲み干すことのできる『支那の五にんきょうだい』の話を彼は思い出す。それはK介が子供のころに読み、やがて自分の子供にも読み聞かせることになる絵本だが、そこに出てくる兄弟の一人が、海の水をすべて飲み干すことができる超能力の持ち主なのだ。しかし、それは童話の中の出来事だ。では、こういう突発事態に慣れているアフリカ人ならいい知恵があるかもしれない、と彼は考え、アミーナのベッドに近づくが、彼女は純白のシーツの上にうつ伏せになって、黒々と眠りこんでいる。何があっても自分は眠るのだ、という気迫がみなぎっている。彼女の肌は暑さを吸収しつくして、ひんやりと乾いている。

(続きは本誌でお楽しみください。)