立ち読み:新潮 2018年4月号

ハレルヤ/保坂和志

 かぐや姫は地上の人間がどれだけ手を尽くしても月に帰るのを止めることができない。かぐや姫、竹取物語がただの民話を離れて文学であるわけは、かぐや姫を地上においておくことができないというこの世の掟が書かれているからだというようなことを大学の文化人類学の授業で聞いたとだいぶ前に妻から聞いた。
 いまの私が言えば、これが死についてのことだと思わない人はいないだろうが、私は長いことかぐや姫の月への帰還が死を意味していると考えなかった、というかかぐや姫の話は子どもの頃、絵本か雨の日に外で遊べない子どもたちの気を紛らわそうと先生が読んで聞かせた紙芝居でごく単純化されたすじを知ったのと、中学だったか高校のはじめだったか古典の授業で読んだのだけだが原典はどうもだいぶ長いらしく、それなら古典の授業で読んだのはそのごく一部分だったということになるだろう、猫との別れを繰り返すようになるまでかぐや姫の帰還が死を意味するなんて考えたことがなかった。
 小津安二郎の『秋刀魚の味』は娘が嫁ぐ話でラスト、娘の岩下志麻が嫁いだ日の夜、息子と二人で娘のいない家に残った父の笠智衆は、式のあとわりと最近なじみになったバーに寄って酔って帰り、息子が先に寝ると、座卓、折り畳まる卓袱台でなくもっと脚がしっかりした座卓に肘をついて、
「ひとりぽっちかあ……」
 とひとこと言って、それから軍艦マーチのどこか一節を少し歌ってから立って、娘の部屋がある二階にあがる階段の下に立ち止まって、娘のいなくなった二階を見上げる。カメラは娘がいなくなった、月明りの入る無人の部屋を映す。
 今日ラストだけ私は再生したら、無人になった娘の部屋が映ったところで半ば予期していたことだったが涙が流れ出した。

 花ちゃんは十二月十八日の夜に旅立った、その日は満月でなく新月だった、旧暦では師走でなく霜月で、年が明けてこれを書いている今、まだ旧暦の霜月は終わっていない。十二月十八日が新月だから朔=一日ついたちで今日はまだ二十五夜、この霜月は満月が十五夜でなく十六夜で、それは一月二日でスーパームーンだった。花ちゃんの旅立ちは満月でなかったが新月だったから記念すべき夜と感じた。
 花ちゃんは一九九九年の五月一日に、妻のお母さんのお墓参りに谷中の墓地で、前日までの雨があがった汗ばむくらいに気温が上がった日に墓地の入口ちかくの石畳の道で和菓子のおまんじゅうくらいの大きさしかない体を陽に温まった石畳に猫好きの言葉でいう顔面睡眠の姿勢で幸せそうに眠っているところに出会った出会いとその後の話は『生きる歓び』という短篇に書いた。私はその中で、このは片方の目がないし長く生きられないかもしれないから特別いい名前をつけてあげようと妻と言って、花ちゃん、、、という名前にしたことを書いたが、花ちゃんはまあ長生きと言えるだろう十八年八ヵ月生きた。
 私たち夫婦はちょうどその頃家を探していた。花ちゃんに出会うちょっと前、だいぶ気に入った家があったが知り合いに煽られて私はその家を売り値から二百万だったか三百万だったか安く買い値を言い、話が頓挫したところだった、不動産屋をしている知り合いにその話をすると世田谷でそんなに値引きさせるのは無理だと言われ、夫婦で、
「失敗したかもね。」
 と残念がった。そんなに必死に探し回ったわけではないがそれでも他に見てきた家よりずっといい、というか「住みたい」と思ったのはその家だけだった、隣りが広い空き地だった、緑がいっぱいで二階からそこにあざやかな青い長い羽のオナガが来ているのが見えた、「あの明るい階段をペチャと花ちゃんが昇り降りしたら楽しいね」と二人で言った、ジジもあそこを昇り降りすればきっとダイエットできるとも言った。一度頓挫するとこっちも気持ちの張りがなくなりしばらく休みの感じで、不動産の仲介業者もそれまでのように連絡をとってこなくなっていた、そこに花ちゃんがきた。
 すると一週間もしないうちにその仲介業者が連絡をとってきた、彼はこのあいだの家を保坂さんが言った値引き額の半分の値引きで手を打ちませんか? と言った、二百万だったら百万、三百万だったら百五十万ということだ。
 私たちは即、了承した。
 あの谷中墓地で、私たちには見えなかったが花ちゃんの向こうに神さまが立っていて、
「この子は目が片方ないから、そのかわりに新築の家をつけてやることにしよう。」
 と言っていた、と家の話が決まったあと私と妻は話した、この話はその後も何度も二人でした、というか私がした。私はあのとき本当に花ちゃんの向こうに神さまが立っていた風景になっている、妻はこの風景にどこまで賛成かわからないが妻も花ちゃんに神さまがあのときだけでなくずうっとついていたと言っている。
 猫を大事に大事に飼っている人はみんな猫には神さまがついていると言う。それはいわゆる神さまとは少し違うかもしれない、ユダヤ教やキリスト教の、一神教の、厳しい神とはきっと違う、かといって八百万やおよろず式の、何にでも神が宿るようなイメージの神でもない、猫についている神さまはそのつどは特定の猫についているように人には感じられるが、総体としては一人ということになるのではないだろうか、気象とか地球の上でさまざまに姿を変える水とかが私には一番ちかく思える、こういうことは猫と神さまとのあいだで交された約束だから人間が自分の目や耳やそれら五感で物質を理解しているような仕方で理解できるものではない。
 私はあのとき谷中の墓地で、陽だまりですやすや眠っていた小さい和菓子のおまんじゅうみたいだった花ちゃんの向こうに神さまが立っていたと、見てきた光景のように思い出す、私は人間だからそのようにしか思い描くことができない。私はこの小説をかぐや姫のことから書きはじめた、まったくそんなつもりはなかったが、花ちゃんが旅立った夜が新月だったと書いてみると、その関連に気がついた。
 私は花ちゃん以前、家の中の猫を三匹、外の猫を、死に目にあえなかったり突然死していた猫を別にして四匹看取った、そのとき一度も月を見上げてお願いをしたことはなかった、ただ一度、チャーちゃんは医者から抱いて帰る道で、雨が上がった夜空を見上げて「アーン、アーン」と二回だったか三回だったか、高く長い声で鳴いて息をひきとったそのとき月が出ていた、調べると一九九六年十二月十九日は月齢8.4日、半月の二夜後だ、猫と月の記憶はそれしかなかった。
 ペチャは八月二十六日の夕方に息をひきとった、八月になったくらいからだろうか私は毎晩明け方ちかく、東の空にようやく姿をあらわしたくらいのひときわ明るい星に「ペチャを助けてください」と祈った。調べるとそれはアルデバランという星だった、そのすぐあとのこと、私はたまたまメルヴィルの『ビリー・バッド』を読み出すと、冒頭一ページ目に、水夫のビリー・バッドのさっそうたる姿を形容して、
「雄牛座の巨星アルデバランが、おのれの星座の劣等星を随えて運行している姿がこうもあろうか。」(坂下昇訳)
 という一文に出会った。猫と神さまとのつながりはこういう風にして人に示されると私はそのときがまったくはじめてというわけではなかったと思うが、いま思い出せる範囲ではこのときが最初だった。
 星に願いをかけたのはペチャのときだけだった、夜空の頂点を見上げて、あれがシリウスだと何度も思った記憶があるから一月十七日の夜に息をひきとったジジのときも十二月か十一月かそれくらいから夜空の一番明るい星に願いをかけていたかもしれない。
 私も妻も花ちゃんは片方の目がなかったからその代償に神さまは家をつけてくれたと長いこと考えていた、その考えは花ちゃんが旅立つまで変わらなかったが旅立ってここに横たわる花ちゃんを見ながら妻が気がついた、
「花ちゃんがもしふつうに両目があったら、あたしたちの子にならなかったよね、――」

(続きは本誌でお楽しみください。)