立ち読み:新潮 2018年7月号

窓/古川真人

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 目の見えない兄が朝になると必ず開け放った窓の前に立っている。そのことに同居している弟の大村稔がはじめて気づいたのは、兄の仕事の都合で東京の祐天寺に借りたアパートで暮らすようになってから、もうじき一年になろうかという六月のある日のことだった。稔が、どうやらそれが出勤前の兄にとって、欠かせない習慣であるようだと分かったのは、いつものように窓の前にたたずむ兄の浩の背中に向かって「わが、窓の前に立って何ばしよっと?」と訊いたときだった。
 彼ら兄弟は関東に暮らすようになってから長いというのに、ふたりだけで居るときには、いつも使い慣れた九州のことばで話すのだったが、このときもそうであった。
「いや、外がどんな天気かなって思ったもんやけんさ」
 そう、浩は窓の傍から離れると言った。
「窓を開けたら天気が晴れなのかどうか分かると?」と、また稔が訊く。
「うん、顔とか瞼に光や熱が当たるかどうかで、どのくらい晴れてるのか分かるっちゃん。それに雨やったら、窓ば開けたほうがどれぐらい降ってるか音で分かるし、風が強いのかどうかも分かるし……ほら、出勤する日の天気は分かっとかないといかんけんさ」
「へえ、自分の顔で天気を判断するために窓ば開けよるってや。まあ、分かったけんさ、ご飯はもう机に置いとるよ。窓ばちゃんと閉めて台所に来ない? そうせんと、そろそろ蚊が入ってくるけんね」と、稔は言った。
「そうね、窓はちゃんと閉めとかんといかんね」と、窓の鍵を掛け、カーテンも閉めて台所にやって来た浩は、椅子に座りながら言う。「そうせんと、デング熱に罹かっちゃうもんね」
 去年――二〇一四年の八月に稔と浩は、それまで住んでいた横浜のマンションを引き払い、祐天寺のアパートに移り住んだ。二〇一〇年に大学を出た浩は横浜の企業に就職して働いていたが、その会社が明治通り沿いのオフィスビルに移転することになった。会社からは移転するにあたって出勤の利便のために住居を引っ越す社員に、かかる費用の幾らかを補助するというので、この兄弟は祐天寺に移ってきたのだった。
 横浜で浩が職を得て働きだすことになったとき、両親は当時おなじ神奈川県内にアパートを借りて暮らす稔に、兄と一緒に暮らして手助けをするよう厳命した。大学に籍こそ置いていたものの、ほとんど大学に寄りつかずにいた稔は、命に従って浩の勤める会社まですぐのところに建つマンションの一室に移り住むことにした。大学では音声補助のソフトをつかうことで、コンピュータの技能を学んでいた浩が会社に所属するシステムエンジニアとして勤めつづけるあいだに、稔の方は留年を重ねて大学をやめ、それからというもの別に働き口を探すわけでもなく、生活に必要な金のすべてを兄に頼る日々を送った。横浜のマンションに暮らしていた頃に稔がやることといえば、それは浩の着る物の洗濯と干したものを取り込んで、棚やハンガーラックに収納する、会社から近いために朝と晩に加えて昼もひとりで帰ってくる兄の食事の、買い出しまでを含めた準備と皿洗い、それに――これは毎日ではなかったが――室内の掃除ぐらいのものであった。これらの家事を怠惰な気質の持ち主らしく、全般的に中途半端な、手を抜くところと一生懸命になるところのちぐはぐさを隠そうともしないやり方で、稔はつづけていたのだった。そして、この生活は何も変わらずに毎日つづいていくのだろうと思っていたのが、そうではないと稔に知らせたのが、兄から伝えられた会社の移転の話であった。その話を浩が伝えてきたのが二〇一四年のゴールデンウィークに入る前で、それから、引っ越しの用意、役所の煩雑な手続きに忙殺されながら、なんとか祐天寺の新しい住居に荷物を運び終えたのは、盆の休みが明けて移転先のオフィスでの営業がはじまる前日の夕方だった。その日の晩、まだ開けられていない段ボールで足の踏み場もない部屋で眠りについた稔は、さっそく翌日になると行き慣れない道を歩いて会社の移転先であるオフィスビルの玄関まで浩を連れて行った。横浜に住んでいた頃には、住むところと会社がほとんど目の前といえるほど近く、浩は杖をついてひとりで出勤もすればマンションに帰ってきてもいたのだったが、祐天寺のアパートから新しい仕事先までは二十分以上も歩かねばならなかった。夕方にまた迎えに来るからと言って兄を勤め先のビルのエレベーターに乗せた稔が、これから兄を送り迎えする日々がずっとつづくのかと予想される骨折りをまえにして、ほとんど茫然とした気分になったのが、だいたい十か月前のことだったのである。
 そしてようやく近頃になって、慌ただしく始まった兄弟の新しい生活のあらゆるところに、慣れた気軽さとだらしのない雰囲気が漂いだしている、そのような日の朝であった。
 この日も稔は、いつものように自分の部屋で目を覚まして蒲団から起き出ると、台所でパンをトースターに入れ、パックに詰めてあるサラダ用の野菜を皿に盛りつけて、それらを食卓の上に置いてから自分よりも早くに起きている浩の部屋に行き、そこで窓の前に立つ兄を見出したのだった。浩にはもうひとつ朝の習慣があり、起きだすと彼はまずラジオを必ず点けた。隣の部屋で寝る稔にとって、壁越しに聞こえるそのスピーカーからの音が、兄の目覚めの合図となっており、また自分が起きだすための目覚ましともなっているのだった。
 食卓の置かれた台所と浩の部屋の間には短い廊下があり、それぞれの部屋を仕切る扉があったが、いずれも開けてあった。そのため、浩が会社で食べる弁当を用意していた稔は炊飯器と冷蔵庫の間を動きながら、今朝も自分の目覚まし代わりとなった、兄の部屋から聞こえるラジオの音を聞くともなしに聞いていた。
「ほら、ラジオでも言いよるよ」と、用意し終えた弁当箱を専用の手提げに入れた稔は、冷蔵庫を開けながら言うと、ちょうどサラダを食べ終わり、パン屑を床にこぼさないよう前屈みになりながら食パンにかじりついている浩の手元に、お茶を注いだコップを置いた。
「ああ。蚊のこと?」と顔を上げて浩は言った。
「うん、卵が年を越しとる可能性があるって……そこ、お茶のコップ。ちょっと、いっぱい注ぎすぎたけん、こぼさんように飲みない?」と、右手にはパンを持ったまま、空いた左手の指をひろげて、食卓の上を這うようにうごかす浩の傍に立つ稔は言う。「そう、コップはそこ。口を持っていって飲んだら良いよ」
 浩は指先にコップが触れると、その縁に口を近づけてなみなみと入ったお茶を飲んだ。「デング熱か。罹かりたくはないね」そして、コップに注がれたお茶の半分ほどを飲むと、大きくため息をつきながら言った。
「そうたい。死ぬことはそうそうないらしいけど、それでも、これから暑くなるのに倒れたら、かなわんよ」
 デング熱と疑われる場合の患者には、どのような対処が病院でなされるのかといった内容のことをナレーターが話しているラジオに耳を傾けながら、稔は言った。
「蚊はどうにもならんもんね、おれには」と浩は言った。
「そうたい。見えんけん、蚊が部屋に入っても殺せんもんな。なるべく窓を開けないのが、浩の対処法ってことになるね」
 稔はそう言うと、パンを置いていた空の皿の上でそろそろと両手をこすり合わせて、指に付いていたパン屑を落とす浩から、壁に掛かる時計に目をやった。
「そろそろ着替えして、髭剃って出る準備ばするかね」と、朝食を終えた兄の前に置かれた皿を流しに片付けながら、稔はつぶやいた。
 稔と浩は、八時半ちょうどにアパートを出た。二階に住む彼らは、まず稔が階段を、その後ろから浩がついて、前をいく弟の肩に手を軽く置きながら降りる。郵便受けの置かれた狭い玄関を通り、その前にひろがる二台分の広さの駐車場まで来ると、浩は必ず着ている背広のポケットのあちこちに手を突っ込んで、忘れ物がないか確かめる。そのわずかなあいだに、稔は駐車場の前の狭い路地や、そこの曲がり角に置かれた子供が腰掛けられるほどの大きさの置き石、あるいは頭上を通る何本もの電線の向こうに広がる空に目をやりながら、煙草をくわえて火を点けた。
「忘れもんはない?」
 どうやら何も忘れた物はないと分かり、満足したという証のように背広の裾に付けられたポケットを両方の手でぽんと叩いた浩に、彼は訊いた。
「ケータイ、ティッシュ、ハンカチ、財布、手帳。うん。だいじょうぶ」と浩は言った。

(続きは本誌でお楽しみください。)