| 波 2007年7月号より |
重松 清『くちぶえ番長』 大島真寿美
『くちぶえ番長』という、そもそもタイトルからしてちょっと懐かしいような響きのあるこの物語の舞台は、おそらく昭和四十年代。 小学四年生のツヨシの学校に、一人の転校生、マコトという女の子が引っ越してくるところから物語は始まる。 この、マコトこそが、くちぶえ番長。颯爽と一輪車を乗りこなし、ちょんまげみたいな髪型をした、スポーツ万能、弱きを助け強きをくじく、スーパーガール。しかも、この女の子、転校早々、自己紹介で、番長になりたいと宣言してしまったものだから、みんなびっくり。何から何まで型破りな、こんな女の子が突然現れたら、そりゃあもう、周囲への影響は甚大です。 優等生ではあるものの、いくぶんひ弱なツヨシなんぞは、マコトによって、徹底的に揺さぶりをかけられる。あんた、それでいいの? かっこわるー。そんなんじゃだめじゃん。 マコトはそれをさらりと言うし、さらりと行動にうつす。 とにかく、いかした女の子なんですね。 ふらりと現れ、悪を退治し、ふらりと去っていく、日活映画のさすらいのヒーローみたい。マコトは女の子なんだけど。あ、そうか。だから、マコト、なんていう中性的な名前を与えられているのかもしれません。 そんなマコトに揺さぶりをかけられ、成長するツヨシくん。 彼の中に眠っていた“強さ”が目覚めるのをマコトが助けただけかもしれないけれど、ツヨシはマコトとの出会いによって確実に変化する。小学四年生なんていう年齢は、いくらでも成長する時期ですからね。ほんのちょっとの偶然で、いかようにも成長してしまえるんです。(いかようにも、という点をよく考えてみると、実は案外恐ろしい時期でもあるのですが) 昭和四十年代とおぼしき舞台で繰り広げられる事件はどこか牧歌的で、一見、昔はよかったな~なんて呑気な勘違いをしてしまいそうになりますが、どうしてどうして、原型はまるで同じだ、ということがはっきり見て取れます。いじめ一つとってみてもそれは同じ。どこからおかしくなるのか、どこに解決の糸口があるのか、大人になったツヨシが懸命にそれを知らせようとしてくれているかのよう。 『くちぶえ番長』は、重松さんの明るく快活な語り口もあって、ツヨシのすがすがしい成長ぶりをつい楽しんでしまうことになるのですが、とはいうものの、この話は本当に成長物語なのかな? とやや疑問に思うのもまた事実。というのも、この物語には、死や別れといった喪失がいくつも内包されているからです。 もしかしたら、これは成長の物語などではなく、喪失の物語なのではないか、とさえ思えてしまうほど。 もちろん、成長には喪失がつきものだし、喪失ゆえに成長を余儀なくされもするのだから、喪失がいくつも内包されていることが成長物語を否定する根拠にはならないのだけれど、しかし、それにしても、そこには作者の強いこだわりが感じられます。ツヨシの成長を描くとともに、作者がしつこいほどこだわった、喪失。生きるうえで避けては通れない喪失は、書くうえでも避けては通れないのだ、と言わんばかり。 ツヨシとマコトの物語には二重写しになった、ツヨシの父・ケンスケと、マコトの父・ヒロカズの物語が透けています。この物語がすでに失われた物語であるからこそ、ツヨシとマコトの物語がより一層輝き、しかし、そのツヨシとマコトの物語もまた、すでに遠い過去の、失われた物語なのかもしれないと思わせられる。であるならば、そのツヨシとマコトの物語をもって一層輝くのはなんなのか、といえば、おそらくそれは、連載中にこの物語を楽しんだ、現役の小学四年生の子供達の、リアルな毎日なのかもしれない、というこの構造にこそ、もしかしたら、もっとも大きな作者の企みがあったのかもしれません。 ここに隠された、失われた物語は、失われているからこそ、実は私もよく知っていて、それでちょっと泣きました。 (おおしま・ますみ 作家)
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