| 波 2006年11月号より |
有馬哲夫『日本テレビとCIA―発掘された「正力ファイル」―』 保阪正康
本書は現代史の深部をえぐったきわめて特異な書である。日本国内で民間テレビ放送が開局されるまでの日本、アメリカの政治構造を丹念に追いかけることで、メディアがどのように誕生するかを明かし、そこにかかわった人物たちの思惑を裸にして示している。この種の書が日本人研究者の手によってえがかれたことに、私はいささかの驚きをもった。 正力松太郎は日本テレビ創設の功労者であり、日本の民間放送の草分け的人物として名をのこしている。もともとは内務省警保局育ちの官僚だが、大正十三年に虎の門事件の責任をとり官界を去り、新聞人に転向した新聞経営者であった。敗戦直後はA級戦犯に指定されるが不起訴となった。この正力がアメリカ政府の要人やGHQと連携する形で日本テレビ放送網は開局されることになるのだが、そこには正力とアメリカ側関係者とのつながり、さらには正力と日本国内の権力構造とのからみあいなど不透明な部分があるやに囁かれていた。メディアそのものが情報戦略の一端に組みこまれていた時代の動きは、当然のことながら闇に伏せられていたのである。 著者はワシントンのナショナル・アーカイブやその第二公文書館を文字どおり走り回り、著者の書くところでは「正力松太郎による日本へのテレビ導入にアメリカはどのように関わっていたのか」という問いへの答えを求めつづけたというのだ。そのプロセスでCIA文書のなかから「正力ファイル」(それは文書にして四七四ページに及ぶ)を発見し、それをもとに、さらに関係者への取材を重ねて答えを書きあげた。その緻密な努力と精査された事実が確かに本書には網羅されている。 たとえば、著者は正力は日本の通信や文化、経済の発展のためにテレビを導入したというが、実際はアメリカ側は反共産主義の世界戦略の一環として導入させようとしたのであり、「テレビ導入の経過を見ていく上では、後者の立場をとったほうがより多くの事実を説明できる」と断定している。そのうえで正力という人物、その経歴や思想、そして日本国内での影響力などがアメリカ側に確かめられ、テレビ導入のコースが少しずつ確立していく。 本書の面白さは、このコースが確立していくときの日米間の「人物」たちのすさまじい執念が活写されていることだ。とくに正力は詳細に調査され、テレビを世界戦略の一端に用いるときにもっともふさわしい人物としてCIA文書のファイルに記されたという。そうした見方が固まったあとに、そのコースにはアメリカの資金、技術、そして人員などが加わっていく。 もとよりこのコースは占領期のころからであり、日本へのテレビ導入は実はGHQの占領政策や日本の政治指導者間の確執もからんでいることがわかってくる。とくに占領期の政治を担った吉田茂と正力の関係は複雑に変化していくことが著者の筆で明かされていく。吉田は「外資導入による経済復興」を意図していたが、その延長に通信民営化構想があり、当初は正力のテレビ構想とも合致していたというのだ。 日本テレビ放送網が正式に開局(一九五三年八月二十八日)した折りに、正力は、テレビの大衆化を図り、政治・文化に寄与するだけでなく、新しい広告媒体としての役割を果たしていくだろうと述べた。こうした正力の挨拶(とくにテレビに対する思い)は確かに先駆者としての誇りにあふれている。ところがその一か月あとに、日本の政治やメディア関係者の間に怪文書が撒かれ始めた。そこには国家の中枢神経ともいうべき通信事業が一営利会社の利益のために、「外国軍部の手にゆだねる結果を招来し、国家民族の将来にとってゆゆしき大事」といった内容で、正力と日本テレビを名ざしで批判している。民間テレビの開局そのものが国益のからむ“国内戦争”の様相も呈するのだ。 この怪文書を実際につくったのは誰か。著者は「実は情報をリークし、正力マイクロ構想を潰そうとした張本人は吉田」と明確に名ざしている。と同時にアメリカ側はこのときから吉田を見捨てたのではとも書く。なるほどとうなずける反面、その動機のひとつを政権へのこだわりにみていることに若干の疑問を感じた。吉田のどのような動きも二重性があると私は見ているのだが、民族派吉田は正力とジャパンロビーのなかにくさびを打ちこもうとしたのかもしれない。もっとも怪文書事件のあと、再び吉田と正力の間に密約ができるなど、著者の分析は精緻なので、私にはそれに太刀打ちするだけの根拠はない。 (ほさか・まさやす 作家)
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