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彼女の知らない彼女
里見蘭

スポーツとは無縁の「私」が、東京オリンピック女子マラソン選考レースを走ることになるなんて。準備期間はたったの四ヶ月、しかも、パラレルワールドの「私」の影武者として――。選考委員大絶賛のリーダビリティと爽やかな読後感。違う生き方、あったかもしれないなって悩んでいる全ての人に捧ぐ、スポーツ青春小説誕生!

ISBN:978-4-10-313011-6 発売日:2008/11/21

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1,260円(定価) 購入

波 2008年12月号より

ありえない疾走
衿野未矢


 市民ランナーには「記録にこだわる人」と「こだわらない人」の二種類がいる。前者は「フルマラソンで3時間を切る!」など目標を定めて練習を重ね、走る環境の整った近郊の大会に勝負を賭ける。一方「楽しく完走!」が目的のファンラン派は、ホノルルマラソンなどイベント色の強い大会を選ぶ。沿道に友人や家族を見つけると、ファンラン派は立ち止まってハグや写真撮影に時間を費やすが、記録挑戦派はチラッと見ただけで走り抜けるのである。ファンラン道をきわめるために、パーソナルコーチについている私の自己ベストは4時間52分49秒。昨シーズンはホノルル、東京、パリでフルマラソンを走った。
 両派に共通するのは、「マラソンをテーマにした小説は読まない」ことである。ミュンヘン・オリンピックの金メダリストであるフランク・ショーターは「次のマラソンに挑戦する前には、前回のマラソンを忘れなきゃいけないね。次に何が起こるかなんてわかりっこないんだから」と言った。彼以上に「走ってみなけりゃわからない」の市民ランナーには、走りながら「自分はなぜ走るのか」など思索にふける時間もたっぷりある。自分が主役のドラマを体験しているだけに、他人の、まして小説という“作りごと”の中での「マラソンというドラマ」を、素直に楽しむことができないのである。
 さて『彼女の知らない彼女』は、日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作である。えっ、ファンタジー? 本書にも引用されている、野口みずきさんの名言「走った距離は裏切らない」が象徴するように、マラソンは一歩一歩の積み重ねだ。昔のスポーツ漫画のように「当日の朝になって『消える魔球』のような秘策が生まれ、弱小チームが優勝する」なんてありえない。マラソンとファンタジーは水と油であろう。しかも走り始めたのがきっかけで離婚に至ったというドラマを体験した私である。失礼にも、ストレッチしながら読み始めたのだが、パラレル・ワールドから故障したエリート女性ランナーの代役を連れてくるという「絶対にありえない」設定が、実はとても効果的だった。
 おとぎ話なんだからと肩に力を入れずに読み進むうちに、「で、これからどうなるの?」と引き込まれた。作者にマラソンへの過剰な思い入れがないぶん、LSD、スプリント、クロスカントリーなどのトレーニング場面はスッキリしていて読みやすい。オリンピックの東京開催が「実現した世界/しなかった世界」の対比もリアルだ。
 読後、自分も走りたくなり、皇居一周五キロのランニングをしながら気がついた。来年三月二十二日に行われる「東京マラソン2009」は、定員の七倍を超える約二十六万人が応募した。私の周囲にも「もし当選したらマラソンを始める」という未経験者が何人かいる。『彼女の知らない彼女』が四ヶ月でマラソン大会での優勝に挑戦する設定は「ありえない」と思ったけれど、抽選結果の発表は十一月上旬だから、「当選したら派」に残されたトレーニング期間は四ヶ月である。マラソン小説には点の辛いランナーにも、マラソンは「見るだけ」という人にも、抵抗なく受け入れられるであろう青春スポーツ小説を生んだのは、絶対にありえない設定と、「もしかしたら、ありえる」とのバランスなのだ。

(えりの・みや 作家)

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