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リストカットの向こうへ
生野照子

小学校で給食拒否、中学校ではストレス性腹痛から登校せずに閉じこもった少女。思いあぐねた母親が心身症外来を受診、懇切な治療でいったんは立ち直るが、心の奥底に刻まれたトラウマは自傷を求め、ついには……。母と娘の間に何があったのか、夫と妻の関係は? 心身症治療の第一人者が、三十五年の経験を踏まえて描く長編小説。

ISBN:978-4-10-315631-4 発売日:2009/06/30

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波 2009年7月号より

面接の「場の迫力」
生野照子


 私が心身症の治療を始めてから35年が経ちました。受診者と出会うなかで、多くの話を聞き、心を揺さぶられてきました。
 受診者は症状というSOSサインを出して外来を訪れますので、たいていは通常以上の状況を抱えています。それを治療者に聞いてほしい、訴えたい、そして理解してほしいと思っていますから、その話し方にも自ずと迫力がでてきます。話し下手や内向的性格の人でも、それなりの迫力があります。こちらも、その気持ちを受け止めて治療に実らせたいと懸命に聞きますから、双方の気力が交差しあって、まさに「場の迫力」となり、ときには鬼気迫るような面接になります。けれども特別に大声をあげるわけでもなく、つかみあいになっているわけでもなく、順々と話し合いが進んでいるのです。場の雰囲気というのは、気迫から立ちのぼるオーラみたいなもので、そのオーラが話し合う人々にさらに影響を与え、「人と場の相互作用」みたいな状況が醸しだされてくるのだと思います。会話というのは、それが真剣であればあるほど、生き物のように増大して動き出すものです。
 相手が子どもであっても、ときには大人以上の気迫を感じるときがあります。心身症を患う子どもは、得てして非常に感性が鋭く、ピンピンした触角でこちらとの折り合いを図ってきます。ちょっとでもすれ違うとバネのごとく反撥し、うまく同調できると、さらにチャレンジしてきます。その兼ね合いが非常に難しいのですが、同時に、非常に魅力的であり、引き込まれます。相手が子どもであることなど差し置いて、トントンの気持ちになって話しこんでしまうのです。天才といわれるような子どもが受診するときには、私のほうが懸命についていくような会話になることもあります。

 あるとき、不登校になっていて、難しい心理学みたいな本を読んでいる小学生の女の子がいました。その子の話では、ずっと孤立してきたとのこと。抜きんでた感性が逆作用しているのか、友人ができず、親とも打ち解けない状況が続いているということでした。話の中には長年の孤独がずっしりと詰まっていて、こんなに純真な子どもなのにと思うと可哀そうで、思わず私の眼から涙が溢れてしまいました。するとその子が、「先生、治療する人が泣いたらダメやないの。ちゃんと距離をとって、客観的に私の話を聞かんと……。わかった? 先生」と言うのです。私は思わず笑ってしまいました。なんとその子が愛らしく思えたことでしょうか。しかし多分、このストレートさが周囲の人には受け入れがたい印象を与えているのです。本当は、こんな所こそ治療で伸ばしてあげたい素質なのですが。

 心身症の治療では、「社会への適応」ということが重んじられます。周囲の人とうまくコミュニケートし、社会的役割を果たせるようになることが、「治癒する」ということの重要条件です。「本人さえ良ければ治癒」と見なすのは専門家だけで、現実社会ではそうはいきません。やはり、子どもであれば学校にも行き、友達もでき、一定の日常生活を送ることが求められるのです。しかし、この女の子のような場合、社会への適応ということは、彼女の個性をつぶすことになりかねません。尖っているからこそステキな個性は、丸く人当たりが良いように変性し、従順な性向を持たねばならない――現実的には、それが適応性の獲得ということなのです。
 しかし、それでよいのでしょうか。この子を治療すべきなのか、周囲を治療すべきなのか、私はいつも迷います。このような個性を受け入れる社会であることこそ、大事なのではないだろうかと。
『リストカットの向こうへ』は、そのような思いをこめて書いたものです。病気という形ではあるけれど、けっして異常ではない生き方があることが伝われば、と願っています。

(いくの・てるこ 医師)

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