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半島へ、ふたたび
蓮池薫
ボートで運ばれながら、殴られて腫れ上がったまぶたのすき間から見た最後の日本の姿は、故郷柏崎のほんわかとやさしい夜景だった。その二日後、北朝鮮に着いて目にしたのは、冷たく暗い清津(チョンジン)の夜景だった――拉致被害者である著者が、「北」に隣接するソウルを旅して吐露する辛苦に満ちた24年の記憶。初めての手記。
ISBN:
978-4-10-316531-6
発売日:
2009/06/24
1,470
円(定価)
波 2009年7月号より
【インタビュー】僕がソウルへ行った理由
蓮池 薫
三十年前に拉致され、二十四年間北朝鮮での生活を余儀なくされた蓮池薫さんは、七年前の電撃的な帰国の後、二〇〇五年に『
孤将
』で翻訳家デビュー。以来大学講師、文筆家としても活躍の場を広げています。北朝鮮、拉致への思いを明かした初の手記『半島へ、ふたたび』について伺いました。
――この手記は、二〇〇七年六月から今年三月まで新潮社HPに掲載された蓮池さんのブログが元になっていますが、二年近く続けたブログが本になることについてのご感想は?
蓮池
ずっと翻訳をやってきて、文章を書くことになれ始めてから、自分の本も書いてみたいと思っていました。そのきっかけになったのがブログです。それが本になり、また新しい一歩を踏み出せたうれしさで、とても興奮しています。
――初めてソウルに行き、見聞きしたことを綴った第一部。韓国のベストセラー作家、孔枝泳さんとの出会いや、翻訳家になるまでを綴った第二部。韓国や日本と比較するかたちで必然的に北朝鮮でのことが書き込まれ、蓮池さんならではの手記になりましたね。
蓮池
第一部「僕がいた大地へ」については、出かける前にソウル観光の本などをいろいろ読んで、同じことは書きたくないというのが当初からありました。なにを見ても僕なりに湧きあがってくる特別な感情があったので、それを書いてみたのです。僕は北朝鮮にいた二十四年間にも、見るものすべてを日本と比較していました。そういうのが習慣になっていて、今では韓国、日本、北朝鮮と、三極で比較作業をしてしまう。自然にそういう方向に思考が行くのを楽しんでいる感じですね。比較してこそ、向こうはああだけど、こっちはどうなのだろうという見方ができるので、より深く入っていけるような気がします。
――それにしてもソウルは北朝鮮との国境に近接している首都です。抵抗感のようなものはなかったのですか?
蓮池
それはなかったですが、第一部の冒頭にあるように、飛行機から朝鮮半島の赤茶けた大地を見たとき、二〇〇二年に平壌を発ってやはり上空から見たのが同じ大地の色でしたから、僕の思考とは別に、体がギクッと反応しましたね。あっ、また来ちゃったみたいな感覚で。
――
「ああ、見て、見て、あれ、朝鮮半島じゃない!」家内の声に、急いで飛行機の窓から覗き見る。瞬間、背筋にヒヤリとしたものが走る。黒みがかった森と赤みがかった茶色の田野。そうだ。かの地の色だ
――この文章ですね。読んでてドキッとしました。すごい描写です。
蓮池
これは作り話ではなく、正直な気持ちだったのです。体が震えていました。それがソウル入りすると好奇心の方が勝って、恐怖心はあっという間に吹き飛んじゃった(笑)。北朝鮮にいるときから、ソウルには関心があったのです。ソウルは敵対する相手側の首都ですから、北では悪口ばかり聞かされていました。人間が多過ぎるとか、貧富の差が激しいだとか。だからとても暮らせるようなところじゃないと思っていましたが、ソウルや韓国の他の場所が映し出されるドラマを見る機会も時々あって、そうするとソウルなんか立派な都市なわけで、僕の頭のなかで錯綜した情報やイメージがぐるぐる回っていた。ですから、どっちが正しいのか、この目で確認したいという気持ちが前々からありました。
――また行ってみたいですか?
蓮池
もちろん行きたいです。この次はぜひ韓国の人々との接触をもっと持ち、直に話をしてみたい。いろいろな場所に行って、おやじさんがいればそのおやじさんと、居酒屋に行ったら、僕は日本から来た者なんだけどと酒を酌み交わし、気さくに話をする。地方にも行きたいし。今回はその辺ができなかったので、この次はぜひにと思っています。
――ソウル以外で行ってみたいところというのは?
蓮池
たくさんあります。釜山にも行きたいし、今回は僕自身のなかで心の準備ができていなかったので行けなかったけれども、板門店にもぜひ行きたい。あとは江原道、東海、いわゆる日本海側の江陵とか、田舎の方にも行きたいですね。
――
捕縛され、ボートで運ばれながら、殴られて腫れ上がったまぶたのすき間から見た最後の日本の姿は、故郷柏崎のほんわかとやさしい夜景だった
――これは第一部に出てくる、拉致されて清津に運ばれたときのことを描写した文章ですが、やはり衝撃的でした。
蓮池
夜、ソウルのホテルの窓から町の輝く光を眺めているうちに、七年前に帰国したときの宿舎になった赤坂プリンスのカーテンの隅からのぞき見た東京の夜の光の洪水を思い出しました。それが柏崎の夜景につながり、さらに北朝鮮の清津の暗い夜景を連想したのです。拉致、犯罪というのは夜行われるものですよね。暗い中で行われる。日本に帰ってきて、赤坂プリンスで夜でもカーテンを開けたらマスコミに撮られるよと注意され、帰国したのにまともに夜景も見られないのかと、みんながもやもやしていました。そんなことを、今ならつなげて考えられるわけです。赤坂プリンスにいた当時は、そんな精神状態ではなかった。ソウルに行って、自分をいろいろ感慨深い状況に置いて、物思いにふけることのできる心の余裕ができた。そうしたら、ソウルの光が、東京の光、故郷のやさしい夜景、北朝鮮の闇に浮かぶ薄暗い夜景に自然につながったのです。
――おぞましい体験を書いているのに、光をモチーフにした詩のようでもある。そういえば詩の翻訳もなさいますね。
蓮池
詩の翻訳も好きです。この本のなかでも、韓国の国民的詩人、金素月の「チンダルレの花」や、僕も北朝鮮で聴いて、ギターを爪弾きながら歌っていた朴世永作詞の「イムジン河」を自分で訳してみました。最初は既存の訳詩を引用してみましたが、釈然としないものがあって、そのときに「蓮池さんが訳したらどうですか」と言われて、うれしかったですよ。やっていいのか、こんな有名な詩をと思って。「イムジン河」なんか、どうやったら日本語で感動させられるかなと考えながら訳すと、とても楽しい。時間を忘れる。随分時間がかかったのですが、全然苦痛じゃなかったですね。
――
北朝鮮に拉致されて二十年近く、「帰国」という二文字を心から消し去り、ひたすら子どものために生きてきたつもりだった。だけど、心のどこかでは、望郷の念、日本に帰りたいという気持ちを消しきれずにいたようだ。この歌は、僕に鳥の帰巣本能にも似た望郷の思いを呼び起こさせたのだ。鳥になってイムジン河さえ越えれば、韓国に行ける
――この文章につながるところ、自由への飛翔願望のシーン。
蓮池
そう、自由です。自分の力で、自分で考えて、自分で仕事をして、自分で稼いだお金で子どもを育てることから生まれてくる満足感、それが北では持てなかった。朝起きて、よしやるぞと、全身に力が漲るというか、ようし!という気持ちが出てくる、自由であるということは、感覚的に言うとそういうところに出てくるのです。だって、今日はこれをやれとか言われて、嫌だけどやらざるを得ないとか、生活はある程度保障されているからやらなくてもそこそこ食える、やっても同じだみたいなのだったら、人間やる気なんか出ないじゃないですか。僕の子どもたちだって、北朝鮮では生まれたときに将来が大体決まってしまう。親がいくら頑張っても限度があって、そこで終わってしまうから、結局は親が育てるというより、党や国が子どもを育てているわけですよ。
――
僕がソウル北端の自由路から見渡した、かすんだあの北の空のもとには、今も「イムジン河」の歌に出てくる鳥のように自由な身になって川や海、山を越えて帰国する日を夢見、待ち焦がれている拉致被害者たちがいる
――あとがきにも書いていますね。
蓮池
結局この本で言いたいことはそれなんです。帰国すれば、北朝鮮では「敵の巣窟」と言われていたソウルにも自由に行ける。自分のやりたいことをやれるそんな自由を、未だ帰らぬ拉致被害者の方々にも味わっていただきたい。もしかしたら、おまえだけ帰ってきていいな、と思われるかもしれません。でも僕は日本政府と国民のみなさんに言いたい。残されている拉致被害者も帰ってきたらいろいろなことをやれる、日本にはそういう自由がある。そのチャンスが持てるよう、早く救出しなくてはと。北朝鮮政府にも訴えたい。彼らを一日も早く帰して、日朝関係が正常化へ向かうよう誠意を尽くして欲しいと。
(はすいけ・かおる 翻訳家)
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